NPO・999ブログ    本を読んで 考える力を養おう

「自分のできることを できる時に できる処で」
市民的知性の地平を拓くNPOふおらむ集団999

台風19号災害・コロナそして猛暑の中での読書

2020年10月25日 | 臥龍つぶやき
昨年10月発生の台風19号豪雨による被災に対し、多くの皆さんにご心配をいただき、家屋の復旧には多大なご支援ご協力を賜り心から厚くおれいを申し上げます。
 千曲川の越水という想定外の事態で我が家も床上50センチを超える浸水に遭遇しました。現在はお陰様で何とか元の生活ができるようになりました。
 災害復旧も儘ならない年明けの春先早々、今度は世界的に新型コロナウイルスが蔓延し、三密するな・外食自粛だ・濃厚接触禁止だと言って、飲み会や好きなカラオケも全くできない状況となり、更にこの夏は例年に無い猛暑日が続き、特に年寄りには熱中症に気を付けて外出は控えろと、誠にストレスのたまる日々が積み重なり大変な‟ぴえん”です。
災害復旧作業をあれもこれもと日々考え悩みながら進める中、寝つきが悪くなり、また、夜中に目が覚めたらなかなか眠れないというような日々が続き、何とかしなくてはと考えていたある日、水に浸かった本を整理していた時、改めて本棚を眺めてみると、若い頃読みふけった懐かしい本、当時話題となり買いあさった「積読」のままの本、結婚した時に妻が持ってきた本など、まだ見ぬ多くの本が眠っていることに気が付きました。どうせ眠れないならこれらの本をよもう、そう開き直って久しぶりに本気で読書に立ち向かうことと致しました。
 思えば昭和の20年代30年代の頃は、職場に市内の本屋さんが出入りしており、週刊誌から全集・専門誌など定期的にまたは電話一本で配達してくれ、その際に次はこんな本が出ますと言って勧誘され、仲間同士競い合って買いあさった時代でありました。
 そうこうする内、新型コロナ対策、熱中症対策とますます家の中に籠る機会が増え、読書にはうってつけの環境が整って参りました。災害復旧中は夜寝る前と夜中だけでしたが、今では暇ができればすぐ読めるように、居間・寝室・トイレに読みたい本と老眼鏡を用意してあります。変な話ですが、家を建て直すときトイレに書棚を作ろうとしたところ、家族に反対され実現できなかったんですが、体質的に長く入っていることが多い私には一番安心安全な場所であります。
 これまでに読んだのは、まず個性あふれる武将の生きざまや戦略・戦術など仕事を進めるうえで役立つだろうと、若い頃に一度は読んだ戦国武将もの、織田信長や徳川家康までをはじめ、宮本武蔵・柳生宗炬・武田信玄・伊達政宗それに真田太平記などを読み返してみました。今の世の中と照らし合わせながら改めて若い頃の感銘とは違ったものを感ずることができました。また、日本文学全集・世界文学全集はいつかは読んでおきたいと思っていたものであり、何とか半分ぐらいまで読み進めております。
 更に社会人になりたての頃、東京大学文学部哲学科心理学研究室卒業の学歴を持つ尊敬する上司の様々な教えの一つに「何でも良いから若いうちに本を読め、特に小説はどんな名も無き作家の作品でも一生懸命読者への思いを込めて創作したものであり、その思いが何であるかを感じ取れるような読み方をしろ」と言われたことを思い出しながら、当時のベストセラーや話題の本など手あたり次第読んだものが、数えてみたら50冊を超えておりました。読書はその本の時空にタイムスリップして、様々な経験をしながら多くを学ばせていただく大切な一時であります。
 今年は残念ながら信州岩波講座が休止となり大きな学びの機会が失われ、999の皆さんにもお会いすることも出来ず、腹が立つやら悲しいやら、やるせない思いをしています。
 新型コロナウイルスによって、せっかく身についた読書習慣を今後も継続したいと思います。今年の年末には傘寿を迎える余命いくばくも無い我が人生で、本棚すべてを制覇できるか、静かに挑戦をしております。(T・Y)

NPO・999読書井戸端会議

2020年10月12日 | ふるさと・内山塾
普願寺で「内山節 哲学塾」開催
「混沌の中から見えてくるもの
        ―コロナ禍の世界とどう向き合うのか―」




 「ふるさと・内山塾」を衣替えして「内山節哲学塾」を9月9日(水)普願寺講堂で開催しました。コロナ感染が収まらない中、3蜜を避けるため50名限定としたが定員を超える59名の参加者となりました。椅子間隔を取り、マスク着用、換気を徹底しての開催でした。
 
 内山さんは、私達はわからない世界につつまれて生きている。新型コロナウイルスについてもわからないことが多い。また例えば、就職する時だって仕事の内容をよく知って就職した訳ではない。死んだらどうなるかも、死の意味もよくわからないでいる。生まれてから死ぬまでわからないことだらけである。そういう中で生きているのだ。

 ところが、近・現代社会のイデオロギーは科学の発達ですべてがわかるという捉え方をしている。自然科学や社会科学の発達ですべてがわかるというのは共同幻想にすぎない。資本主義という経済システムも科学的、合理的であることに自己の正当性を求めているだけだ。わからないということへの恐れ、怯えをもって生きていると言える。
わからない世界につつまれて生きている人間が、確かなものと感じ取れるのは、はっきりした関係の中に生きている時だ。確かなものは関係の中にしかないということだ。
自然と関係をもちながら生きていればそこに確かなものを感じる。人と人との関係の中で生きていればそこに確かなものを感じる。そういう確かなものを感じることができるコミュニティー・共同体を構築することだ。

 私たちは様々な他者とともに生きる社会を維持しなければならないし、それを可能にする社会のあり方を、コロナ禍の体験を生かし再考察する必要がある。
と発言されました。

 講演の後の談話会には活発な意見が出ました。
 ・共同体の中で関係をつくることに抵抗感がある。
 ・ソ連が崩壊して資本主義の社会になったが進歩はしていない。
 ・第一次産業を残す方法。
 ・しい人生のためにがんばる力を出すには。
 ・コロナ以前の社会に戻す動きがある。
 ・経済の見返りを求めているがこれを変えるにはどうするか。
 ・コロナ禍で学校では対話ができにくい状況にある。
 などなど時間が足りないほどでした。