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第2回「内山節 哲学塾 須坂精舎」

2021年12月06日 | ふるさと・内山塾
 第2回「内山節 哲学塾 須坂精舎」に55名が参加!




 9月8日に開催予定していた「内山節 哲学塾 須坂精舎」は、コロナ感染の第5波流行の「緊急事態宣言」中になってしまい急きょ中止して、2か月遅れ11月10日(水)須坂市普願寺講堂で開催しました。急な変更だったため、参加者は減少するかと思いましたが、9月の申込者数と変わらず55名が参加しました。講演テーマは「未来社会のデザイン」でした。
 内山さんは、明治以降の近代化した日本の社会を検証する。それは、国民国家、市民社会、資本主義が三位一体となって形成されたもので、その中身は人々が国民という個人に分けられ、国家が一元管理する社会になった。市民という個人、資本家、管理職、労働者、消費者という個人に分けられ、人々が結び合う社会ではなかった。
 サラリーマンは都会で高齢者になると、仕事はなくなる、農業をするにも土地は無く、マンションに住んでいると、やることもなく、孤立し、自分の役割も無い。お金はあっても話す相手はいない、子供があっても話す機会は無いし、つながりが無くなっている状況にある。サラリーマン社会はポジションを取らないと何も得られない世界になる。だから一人ひとり(個人)がポジションを得るために、いい高校に入って、いい大学に入って、いい会社に就職する。そして会社の中でもポジション取りの競争をし、退職後の安定した生活を得ることが目標になっている。そうやって得たポジションだからこのシステムが安定していなくては困るのである。だからこのシステムが続くよう保守主義になる。システムを壊すことを望まないので労働組合に入って改革をしようという人は少数派になってしまう。ますます保守主義が強くなる。
 こういう個人の時代になると、生命も個的に捉えるようになった。しかし生命活動は本来結び合う中にあるものだ。例えばアリの社会は、女王アリがいて、働きアリがいるように全体で一つの生命体となっている。人間社会でも同じ。祖父=子=孫とつながり合う生命を大事にしてきた伝統社会である。人と人が結びついた生命活動、人と自然が結びついた生命活動、さらには死者(先輩)との関係の中に生命活動がある。生命は個体の中に自己完結的に存在しているのではないのだ。自然、生者、死者との関係の中に存在する。
 これからの社会デザインは、自然、生者、死者との関係が基盤となる社会をつくることだ。それを目指さないと、人々は社会の主人公になれない。システムに支配された個人を続けることになってしまう。他者との関係の中に自分の生命があり、他者との関係の中に社会の出発点がある。
自然と生者と死者との関係が基盤となる社会をつくるために、現実的対応と根源的対応の両面を併存させながら、新しいシステムを作っていくことだと話された。
                  

9月29日

2021年12月06日 | 臥龍つぶやき
〇9月29日
 9月29日、甥のお嫁さんと2人の娘から、誕生日のメッセージが贈られてきた。毎年のことで、大概は「元気ですてきな1年にしてください」「これらも元気でいてね」「体に気をつけてね」と、身体を気遣う一言で結ばれていた。今年は「長生きしてね」が贈られた! えっ‥‥、70歳になったとたん長生き‥‥かぁ。
 しばらく時を置いて、「長く一緒にいようね」という純真な気持ちだと気づき頬がゆるんだ。
 70歳は「古稀」として祝う風習がある。唐の詩人・杜甫の詩の一節「人生七十古来稀なり」に由来し、七十歳まで長生きする者は昔からきわめて稀である、という意味から「長寿の祝」とされる。
 ただこの杜甫の詩には「酒債は尋常行く処に有り」という前段があり、「七十は稀であるから今のうちに好きなお酒をたくさん飲んで楽しんでおこう(‥ツケはあるが)」と、不遇の生涯をおくった杜甫の偽りのない本心も歌われている。
 最近は、「古稀」の「稀」が「希」で書かれている。「人生100年時代」、もうマレではなく「70歳でさらなる希望を」「70歳は希望なり」と今日的な解釈もできそうである。そうなると、杜甫のように「七十は稀であるから今のうちにしておこう」と思うことってあるだろうか。正直「死」もまだ遠いと思っている。
 そういえば、還暦になった時は、物事や出来事の意味や内容がストンと腑に落ちる体験をした。嘘のように、何でも理解できた。これが齢を取るということかと、それが面白かった。
 そして、今迎えた古稀。少し前から、来し方のワンシーンが思い出されるようになった。あんなこともあった、あの人どうしてるかなあとか、懐かしむことざら。さらに、ああすればよかった、こうしなきゃいけなかった、と離れた人たちに心が向く。そして反省しきりなのである──。が、私の髪を切ってくれる美容師の先生から「それを思う、今そういう思いに至ったことで、それで良いんだよ」と、名言をいただいた。暗く沈みそうな心を救っていただいた。それからは反省の思いも、身勝手な邂逅も苦もなくできている。時には幸せもよみがえって来る。
 言葉で多くの人を傷つけ悔いが多いが、人の言葉に救われている。そうしてこの先も過去と現在を行ったり来たりしながら生きていくのが、私の一生になるだろう。確かに「長生き」しなくちゃ、懺悔の全部は終わらないなぁ。
 甥家族からのプレゼントの花束は、オレンジ、ヤマブキ色、黄色、白の花々で明るい光を放っている。それを眺めながら、穏やか気持ちで我が人生を考えた今年の9月29日が過ぎ去った。(J.J.)
                                            

気になる。気になる。あぁ気になる

2021年06月18日 | 臥龍つぶやき
気になる。気になる。あぁ気になる
 一つ目、句読点がいつの間にか「,(カンマ)」と「。」になっている。小学校で句読点は「、(テン)」と「。」と教えられたはずなのに。
新聞で読点を使い始めたのはまだ日が浅い。昭和初期までの新聞記事に読点はない。読点の打ち方にも決まりはない。だからと言って、読点は“カンマ”でも良いとは思えない。
裁判所の判決文はいつのまにか“カンマ”と“まる”になっている。文部科学省の役人が決め裁判所がそれに従ったらしいと言うことだ。
  二つ目、文章を書くときは「書き出しは一字下げる」「段落が変わったら一字下げる」ということを教えられる。しかし、下げないのが当たり前のようになっている。デザインの一つと言うが、知人の大学講師に聞いたら、学生の論文でも字下げをしない学生が多いそうだ。
なんだかこっちがおかしいのかと不安になり、マイクロソフトの影響かとも思い、字下げは日本語だけか?と思ったが、英語も同じ。
 三つ目、格助詞「を」や「行う」「〇○したり」がやたらに出てくる文章や話が多い。
例えば「判断をし」「話をし」は、「判断し」「話し」で良いのに、「を」をわざわざ挟む。国の代表者たる首相も「ワクチン接種をし」と言っている。
 ニュースで「現在○○線は、順調に運転を行っています」とアナウンサーが伝える。「運転を行う」なんて言わなくても「運転しています」と言いえばいい。「会議を行う」も「会議をする」で良い。
  ご丁寧といえばご丁寧だが、「行う」を使う必要はない。
四つ目「○○したり」は「受付したり、話をしたり、会議をしたり」“したり”ってなんだと、ふと疑問に思った。
 「受付し、話し、会議し」で良いのに“○○したり”って何もしていないのに何かしたように伝わる。“たり”ことばは必要なのか。いらない。
どうでもいいと言えばいいのだが、気になる。
 「ら抜き言葉」がかつて議論になった時、「言葉は変化するものだ」と言った学者がいた。そうだと思うが、あまりにひどくないか。話し言葉は百歩譲っても、書き言葉、文章までルール違反はいかがなものか。
  ツイート・ラインなど、気軽に伝える文を書く機会は増えたが、そこに書く文章に責任を持たないのが当たり前のようになっている。
  文の力が削がれていると言ったら言い過ぎなのか。これこそ活字文化の衰退ではと、大げさに思う。(会員K・U)

温泉に入るサルたち

2021年05月11日 | 臥龍つぶやき
温泉に入るサルたち
 温泉 に入るサルで有名になった地獄谷野猿公苑。サルたちは山から下りて、雪の降る冬には、よく温泉に入っている。温泉に入るのは雌と子ザルが多く、大人のオス猿が入ることはあまりない。
 サルたちは、仲間で毛づくろいをしたり、ゆったり風呂に入っている。年配の雌ザルは、湯治に来ているかのようにのんびりして、体が温まると、うとうと目を閉じ居眠りをしている。人と同じで寒さに堪えるのだろうか。
 春生まれた子ザルにとっては、初めての冬で、子ザルたちにも温泉が好きな子と苦手な子がいる。母親ザルが温泉に入っていても、子ザルははじめのうち怖いのか、濡れたくないのか、温泉のふちで暖まっている。だんだん母のそばにいたいか好奇心なのか、温泉に入るようになっていく。なれると一人で温泉に入り、大人と変わらずリラックスしている。
 近年、訪日外国人で来苑者が大変増えたため、公苑では露天風呂と来苑者の距離を離し、サルたちがゆっくり温泉に入れるように一部を直した。今では、サルたちはカメラや人を気にせず、ゆっくりと温泉に入れるようになった。
 訪れる人は、サルが温泉に入っている光景に、看板に偽りなしと喜んでいる。当のサルたちは、入りたいときに入っているだけで、はた迷惑な話である。暖かな日は温泉に入らず、陽の当たる場所で、日向ぼっこや動き回っているサルたちが多いので、寒い日に行くと温泉に入っているサルを見る確率が高くなる。

 普通の人が、野山に住む野生ザルの群れを観察することは困難である。議論はあろうが、呼び寄せるため餌付けをしている。動物園のサル山のサルたちとは全然違う。確かに人慣れはしているが、ほぼ野生の生態が観察できる場所である。
 サルたちの社会は、人間社会と似ている面もある。強いものはいい場所を陣取り、よき相手と巡り合う、力弱きものは中心から離れて群れている。また、強い母親の子は、親の後ろ盾をかざし、少々やんちゃな子もいる。時には気弱そうに見える小さな子供らにいたずらすることもある。少し時間をかけてサルたちを見ていると、人間社会と同じような行動をとることが見られる。人間もサルも似ているのかなと思うこともある。
 温泉に入ることが有名だけれど、春になると子ザルが生まれ、子育てする母親ザルが見られる。生まれたばかりの子ザルはうまく歩けず、母親ザルが一生懸命に子育てをする姿がほほえましい。ベテラン母ザルもいれば、初めての出産した雌ザルもいて、それぞれ子育て一生懸命です。また違った母ザルの生態が見られる。時間をかけてサル社会を見て、人間社会と比べてみるのも面白いです。新たな気づきがあるかもしれません。たまにはそんな時間を持つこともよいのではないでしょうか。(会員G・K)
                        

アンコンシャス・バイアス

2021年04月13日 | 臥龍つぶやき
アンコンシャス・バイアス<unconscious bias> 
          無意識の偏見ー自分事として

 森元総理の「女性蔑視発言」以降、ジェンダーに関するいろいろな事柄に目が向くようになった。日本はいわゆる「ジェンダー後進国」であることも、事実として認識せざるを得ないようだ。「女性蔑視発言」は容認されるはずもないが、もっと問題なのは森さん自身が『俺、何か悪いこと言ったのか?』と思っているように感じることと併せて、もしかしたら似たような感覚を持っている人が、実は大勢いるかもしれないことだ、と考えている。
 自分自身はどうなのだろうと自問する。「森さん的な感覚」とは対極にいたいと思う気持ちは強いが、果たしてどうなのか。
 「アンコンシャス・バイアス」という言葉がある。「無意識の偏見、思い込み」といった意味だそうだ。インターネットで「アンコンシャス・バイアス クイズ」をやってみた。無意識の偏見度を診断するものだ。例えば、「小さい子どもを持つ女性には、なるべく出張のない業務を割り当ててあげたい。」「昇進を望む女性は、男性とは違い少ないと思う。」「来客受付やお茶出しなどを男性が行うのは違和感がある」「子どもを持つ女性は、公私共に時間に追われているのだから、仕事のアウトプットの質が落ちてもやむを得ないだろう。」・・・・といった13の設問にチェックしていくと診断の結果が出る。
  結果は芳しくなかった。こちらが「よかれ」と思ったことでも、相手にとっては「ありがた迷惑」なこともあるようだ。『もっと仕事以外のことでもコミュニケーションをとり、相手がどういう状況にあり、どう考えているのか、知る努力が必要です』とのアドバイスを頂いた。耳が痛い。
 「無意識の偏見」って厄介だと思う。公共施設のトイレの表示、「赤」は女性用、「青」は男性用、となっていればやっぱり分かりやすい。色がダメなら形はどうかと言えば、「スカート」のシルエットは女性用、「ズボン」は男性用もやっぱりダメなのか。一方で、そんなことはジェンダーの本質とは関係ない、とも思えてくる。
 とりあえず、自分の中にある「アンコンシャス・バイアス」に敏感でありたいと思う。まずは、自分の家庭を見つめてみたい。(会員:K.T)




防疫体制の弱体化が招いた新コロナ時代

2020年12月06日 | 臥龍つぶやき
〇防疫体制の弱体化が招いた新コロナ時代         
 今年は当初から新コロナ禍騒動で生活が一変してしまった。我が家も長男が横浜から遠隔通勤をしている結果、4月から自宅へ帰れず家族と会えない生活が続いている。さすがに耐えられず8月は10日間ほど横浜の自宅へ行き、17日に我が家へ戻ってきたが、今度は私を含め他の家族が自粛という隔離が2週間も続き外出が制限されてしまった。半年近くもの間、社会全体がコロナ禍で極端な閉塞感と生活苦が広がりを見せた結果、まさに地域崩壊が起きていると言わざるを得ない。
 86歳を生きてきた中で、まったく同じような経験をしてきたことが思い出される。私の幼少時代は日本中が肺結核の猛威に曝された。私を産んだ母親は出産直後産褥熱に罹り引き続き肺結核を発症、一年後に死亡したと聞いている。昔はミルクが手に入らずご近所の乳児のいる方に一年間預けられ、ようやく乳幼児期を生きてきたそうだ。二人の兄がいたが兄一人が肺結核で10年もの間自宅での療養を強いられ、医療も受けられないまま苦しみぬいて死んでいった。唯一の生計を担っていた長兄が東京大空襲で爆死し、敗戦を迎えた我が家は祖母と小学校5年の私が残された。
 このような状況は我が家だけではない。結核は伝染病であり、明治・大正・昭和とストレプトマイシンという特効薬がない中で長い間多くの国民が苦しめられ、戦争で死ぬか結核で死ぬか、国民は選択する権利さえ奪われ敗戦への道を辿ってしまったと言える。まさしく亡国病だったのだ。
 今では結核という病名さえ忘れられているが、実は今でも結核は無くなっていない。むしろ増えつつあるというデータさえある。
保健所の削減に見る感染症対策の崩壊
 私が保健師として地域医療に携わってきた1957年当時は、全国で約900か所あった保健所と共にほとんど一年中予防接種や健康診断に追われていた。中でも結核予防は一年中の大半を使い、ツベルクリン反応検査に始まりBCG接種、X線撮影車が各地域を細かく回り胸のレントゲン検査をしたものだ。
 しかし感染症が減少したという理由で2019年には全国の保健所は472か所、約半分に削減された。その結果健康に関する施策はほぼ市町村に押し付けられ、保健所の専門的機能が消失した。
 当時市町村の健康支援体制は非常に脆弱で専門家は保健師のみ、とても保健所のように医師・薬剤師・検査技師など保健師以外の専門家が充実している状況ではないことは今でも変わらない。その専門家も削減され今ではごく一部の拠点保健所にしか配置されていないと聞いている。
 1996年には感染症病床が9716床あったが2019年には1758床に激減している。2019年現在、第一種感染症の指定医療機関は5県にしかない。(3月18日社会新報より)
 
国民の命を奪う国の医療行政
 今、新型コロナウイルスが猛威を振るう中、これほど脆弱な防疫体制を導いたのはほかでもない自民党政治である。かつて向こう三軒両隣、どこにでも患者がいたと言われるほどの結核がどれだけ人々を苦しめたのか、当時は国を挙げて結核の撲滅に力を注いできたことがコロナ禍に全く生かされていない。
 確かに急性伝染病は70年の間に減少してきた。しかし結核の感染者はむしろ増えているという報告もある。さらに未知の感染症が広がる恐れは十分にある。私たちは常に感染症と隣あわせ、死の恐怖に曝されて生きている。
 いつの時代も経済優先、人間の命は最下位に位置付けられているとしか思えない今回の新型コロナ対策に私たちはどう立ち向かえばいいのか、考えさせられる今日この頃である。
                                   (会員:Y・W)

この夏の登山を終えて・・・

2020年11月16日 | 臥龍つぶやき
 今年の夏はコロナ禍の中で遠出を避けて、妻と二人で2度登山をして来ました。今までも何回か登山はしてきましたが70歳を過ぎて、体力的に無理ではないかなどの不安や、足・腰が衰えているなどの自覚がありましたが、どの程度の山へ登れるのだろうか、自分でも良く分からない中での登山への挑戦でした。
まず、1回目の登山は小諸市と群馬県妻恋村に位置する黒斑山(くろふやま標高2404m)です。浅間山外輪山の最高峰で、遠くには八ヶ岳連峰や富士山も小さく眺められる山です。小諸市側から浅間山を見ると左側にあり、直角にそびえる山です。              
8月15日、朝6時30分自宅を車で出発、8時前に高峰ビジターセター(群馬県)に到着、駐車場はほぼ満車、8時から高峰高原ホテルなどがある車坂峠から登山開始。アップダウンの繰り返す表コースを通り途中、多くの人に抜かされ、その健脚が羨ましく思いました。ガレ場(大小さまざまな岩や石がゴロゴロ散乱している斜面)が多く歩きにくい登山道でした。すると頂上のような場所が現れ、多くの人が休んでいたので、着いたと思ったら頂上ではなく「トーミの頭」という場所でした。ここまでの標準コースタイムは1時間20分ですが2時間かかりました。浅間山が真正面に望め雄大な姿が一望できました。居合わせた子供たちも「ウォーすごい」と歓声をあげていました。頂上はそこから更にコースタイム20分とありましたが、30分かかりやっと到着しました。頂上は涼しい風が吹き別天地であり、壮大な景色に感動しました。時間的にはかなり早い昼食を食べ、帰りは樹林帯を通る、全く眺望の無い「中コース」を歩きました。慎重に歩いているつもりでも、ガレ場で足がもつれ転倒してしまい、膝にかすり傷をおってしまいました。大事にいたらず良かったと思っています。登山はよく言われることですが下りの方がさらに大変だと思いました。
2回目は8月24日、百名山の蓼科山(標高2530m・立科町)です。中級コースだそうです。登山口は何カ所かあるようですが、無謀にも時間的に最短コースということで「七合目・一の鳥居登山口」からにしました。
朝6時30分自宅を出発、登山口には8時30分到着、予定していた駐車場はすでに満車で登山口から少し離れた駐車場に車を置き、8時40分登山開始。先ずは、「将軍平」を目指し、途中、女神湖を望みました。この登山道も最初から予想していた以上のガレ場が多くとても歩きにくく、ここでも多くの人が私たちを追い抜いて行きました。コースタイムは1時間10分ですが2時間かかり「将軍平」に着きました。
ここにはヒュッテがあり6人程が休んでいました。私たちも小休止。ここから頂上までは500m位だそうですが、100m位行った所から急な登りとなり、それも大きな岩が幾つも重なる急斜面、ここがコースの核心部で、岩と岩の間を一歩一歩落ちないように注意しながら歩きやっとの思いで、頂上に着くことができました。
その頂上も溶岩の塊の大きな岩や小さな岩だらけで、歩道はなく、まるで写真で見る月面のような所でした。それでも、ゆっくりと反対側の展望台へ行き、白樺湖を見ながら昼食を取りました。おにぎりが美味しかったこと。ああよく登って来たなと感慨に浸りました。妻は10年位前にも登ったようですが、こんな岩だらけとは一言も登山前には言わず私は憤慨しました。
帰りも同じルートを通り下山しましたが、後ろ向きに降りたり、足の置き場に悩みながらの下山でした。途中、若い男女3人の歩荷に出会い、その荷物!を背負って登るのかと思わず「ご苦労さんだね」と言ってしまいました。急斜面は注意しながら慎重に降りてきましたが、岩場を過ぎてからのガレ場では足がフラツキ5回も転倒してしました。足が弱っていることを実感させられ、幸い大怪我にはいたらなかったことでほっとしましたが、その後の筋肉痛には不自由しました。
後で知ったことですが、蓼科山の登山道は里から眺める優しい姿からは想像できないほどの急登で、昔は登るよりも眺め楽しむ山と言われていたそうです。この山へは2度と登ることはありませんが良い経験をしたと思っています。そして、よく登れたと自分を褒めてやりたいと思いました。登山は苦しみが多く有りますが、何ともいえない達成感や充実感があります。
さて、来年はどうするか? 自分の体力や自分のペースに合わせた登山を楽しめたらと思っています。(A・W)

台風19号災害・コロナそして猛暑の中での読書

2020年10月25日 | 臥龍つぶやき
昨年10月発生の台風19号豪雨による被災に対し、多くの皆さんにご心配をいただき、家屋の復旧には多大なご支援ご協力を賜り心から厚くおれいを申し上げます。
 千曲川の越水という想定外の事態で我が家も床上50センチを超える浸水に遭遇しました。現在はお陰様で何とか元の生活ができるようになりました。
 災害復旧も儘ならない年明けの春先早々、今度は世界的に新型コロナウイルスが蔓延し、三密するな・外食自粛だ・濃厚接触禁止だと言って、飲み会や好きなカラオケも全くできない状況となり、更にこの夏は例年に無い猛暑日が続き、特に年寄りには熱中症に気を付けて外出は控えろと、誠にストレスのたまる日々が積み重なり大変な‟ぴえん”です。
災害復旧作業をあれもこれもと日々考え悩みながら進める中、寝つきが悪くなり、また、夜中に目が覚めたらなかなか眠れないというような日々が続き、何とかしなくてはと考えていたある日、水に浸かった本を整理していた時、改めて本棚を眺めてみると、若い頃読みふけった懐かしい本、当時話題となり買いあさった「積読」のままの本、結婚した時に妻が持ってきた本など、まだ見ぬ多くの本が眠っていることに気が付きました。どうせ眠れないならこれらの本をよもう、そう開き直って久しぶりに本気で読書に立ち向かうことと致しました。
 思えば昭和の20年代30年代の頃は、職場に市内の本屋さんが出入りしており、週刊誌から全集・専門誌など定期的にまたは電話一本で配達してくれ、その際に次はこんな本が出ますと言って勧誘され、仲間同士競い合って買いあさった時代でありました。
 そうこうする内、新型コロナ対策、熱中症対策とますます家の中に籠る機会が増え、読書にはうってつけの環境が整って参りました。災害復旧中は夜寝る前と夜中だけでしたが、今では暇ができればすぐ読めるように、居間・寝室・トイレに読みたい本と老眼鏡を用意してあります。変な話ですが、家を建て直すときトイレに書棚を作ろうとしたところ、家族に反対され実現できなかったんですが、体質的に長く入っていることが多い私には一番安心安全な場所であります。
 これまでに読んだのは、まず個性あふれる武将の生きざまや戦略・戦術など仕事を進めるうえで役立つだろうと、若い頃に一度は読んだ戦国武将もの、織田信長や徳川家康までをはじめ、宮本武蔵・柳生宗炬・武田信玄・伊達政宗それに真田太平記などを読み返してみました。今の世の中と照らし合わせながら改めて若い頃の感銘とは違ったものを感ずることができました。また、日本文学全集・世界文学全集はいつかは読んでおきたいと思っていたものであり、何とか半分ぐらいまで読み進めております。
 更に社会人になりたての頃、東京大学文学部哲学科心理学研究室卒業の学歴を持つ尊敬する上司の様々な教えの一つに「何でも良いから若いうちに本を読め、特に小説はどんな名も無き作家の作品でも一生懸命読者への思いを込めて創作したものであり、その思いが何であるかを感じ取れるような読み方をしろ」と言われたことを思い出しながら、当時のベストセラーや話題の本など手あたり次第読んだものが、数えてみたら50冊を超えておりました。読書はその本の時空にタイムスリップして、様々な経験をしながら多くを学ばせていただく大切な一時であります。
 今年は残念ながら信州岩波講座が休止となり大きな学びの機会が失われ、999の皆さんにもお会いすることも出来ず、腹が立つやら悲しいやら、やるせない思いをしています。
 新型コロナウイルスによって、せっかく身についた読書習慣を今後も継続したいと思います。今年の年末には傘寿を迎える余命いくばくも無い我が人生で、本棚すべてを制覇できるか、静かに挑戦をしております。(T・Y)

NPO・999読書井戸端会議

2020年10月12日 | ふるさと・内山塾
普願寺で「内山節 哲学塾」開催
「混沌の中から見えてくるもの
        ―コロナ禍の世界とどう向き合うのか―」




 「ふるさと・内山塾」を衣替えして「内山節哲学塾」を9月9日(水)普願寺講堂で開催しました。コロナ感染が収まらない中、3蜜を避けるため50名限定としたが定員を超える59名の参加者となりました。椅子間隔を取り、マスク着用、換気を徹底しての開催でした。
 
 内山さんは、私達はわからない世界につつまれて生きている。新型コロナウイルスについてもわからないことが多い。また例えば、就職する時だって仕事の内容をよく知って就職した訳ではない。死んだらどうなるかも、死の意味もよくわからないでいる。生まれてから死ぬまでわからないことだらけである。そういう中で生きているのだ。

 ところが、近・現代社会のイデオロギーは科学の発達ですべてがわかるという捉え方をしている。自然科学や社会科学の発達ですべてがわかるというのは共同幻想にすぎない。資本主義という経済システムも科学的、合理的であることに自己の正当性を求めているだけだ。わからないということへの恐れ、怯えをもって生きていると言える。
わからない世界につつまれて生きている人間が、確かなものと感じ取れるのは、はっきりした関係の中に生きている時だ。確かなものは関係の中にしかないということだ。
自然と関係をもちながら生きていればそこに確かなものを感じる。人と人との関係の中で生きていればそこに確かなものを感じる。そういう確かなものを感じることができるコミュニティー・共同体を構築することだ。

 私たちは様々な他者とともに生きる社会を維持しなければならないし、それを可能にする社会のあり方を、コロナ禍の体験を生かし再考察する必要がある。
と発言されました。

 講演の後の談話会には活発な意見が出ました。
 ・共同体の中で関係をつくることに抵抗感がある。
 ・ソ連が崩壊して資本主義の社会になったが進歩はしていない。
 ・第一次産業を残す方法。
 ・しい人生のためにがんばる力を出すには。
 ・コロナ以前の社会に戻す動きがある。
 ・経済の見返りを求めているがこれを変えるにはどうするか。
 ・コロナ禍で学校では対話ができにくい状況にある。
 などなど時間が足りないほどでした。

フィトンチッド

2020年07月24日 | 臥龍つぶやき
 毎日コロナウイルスのニュースがある。私たち人間は医療機関へ行けば検査も治療もしてもらえる。身近にある植物・木は歩くことは出来ない。しかし自らフィトンチッドを放出して病原菌・害虫・食害などを防いでいる。森林浴という言葉があるが、人が森に入ってフィトンチッドのシャワーを浴びて病気回復をし、また健康向上に努力している。
 フィトンチッドとはロシアの発生学研究者B.P.トーキン博士によって、1930年代に作られたロシア語の造語である。「フィトン」は「植物」を意味するギリシャ語。「チッド」は「殺す」を意味するラテン語に由来するという。
 フィトンチッドとは本来「植物から放出され他の生き物を殺す」物質と言う意味のこと。フィトンチッドの作用する範囲は原生動物、微生物に限らず昆虫や動物の範囲まで及ぶ、と東京大学・谷田貝光克(やたがいみつよし)教授が述べている。
 その働きは、根から地中にフィトンチッドを出して、他の植物が自分の根にはびこるのを防ぎ、自分のテリトリーを守ったり、におい物質を大気中に放出し他の植物の発芽を抑えたり、害虫に対しては虫の嫌いなフィトンチッドを出して虫を追い払ったり、殺虫力のあるフィトンチッドを発散する植物もある。花粉を運んでもらいたいときは虫を引き寄せるフィトンチッドもある。木を腐らせる腐朽菌に対して抵抗力のある物、病原菌を抑えるフィトンチッドを作れる植物もある。
 フィトンチッドは植物の世界に影響を及ぼしているばかりでなく、人間も歴史の中で薬などその恩恵を受けてきている。フィトンチッドは森林浴のようなときに木が放出する揮発性のフィトンチッドの他にも、ヤニ成分など個体のものなど多種多様である。
 木はセルロース、ヘミセルロース、リグニンで構成されているが、シロアリは腸内にセルロース、ヘミセルロースを分解する酵素を持つ原生動物を棲まわせて気を食害する。また、白アリは「林のゴミ」の掃除屋でもある。強い抗菌活性を持つヒノキチオールを白アリに投与すると腸内微生物が消失する。ヒノキチオールは木材腐朽菌を抑え、カビ、細菌、ピロリ菌にも、風呂場の黒コウジカビなどカビ類にも抗菌作用が認められているという。桜の葉、クマ笹、柏の葉は抗カビ作用、ヒノキ、サワラのにおい成分は抗菌作用、抗酸化作用があると言われる。ニンニク、ワサビは強抗菌作用がある。フィトンチッドは、生活に恵みをもたらしてくれる天然物(植物・木)である。
 以上は書物からの知識である。再考してみるのも良い機会かもしれないと思う。時々山に行くと、山林は荒れたままのところが多い。私たちが払っている森林税は有効に使われているだろうか? 森林にも目を向け、荒廃を止め再生を願うばかりだ。