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防疫体制の弱体化が招いた新コロナ時代

2020年12月06日 | 臥龍つぶやき
〇防疫体制の弱体化が招いた新コロナ時代         
 今年は当初から新コロナ禍騒動で生活が一変してしまった。我が家も長男が横浜から遠隔通勤をしている結果、4月から自宅へ帰れず家族と会えない生活が続いている。さすがに耐えられず8月は10日間ほど横浜の自宅へ行き、17日に我が家へ戻ってきたが、今度は私を含め他の家族が自粛という隔離が2週間も続き外出が制限されてしまった。半年近くもの間、社会全体がコロナ禍で極端な閉塞感と生活苦が広がりを見せた結果、まさに地域崩壊が起きていると言わざるを得ない。
 86歳を生きてきた中で、まったく同じような経験をしてきたことが思い出される。私の幼少時代は日本中が肺結核の猛威に曝された。私を産んだ母親は出産直後産褥熱に罹り引き続き肺結核を発症、一年後に死亡したと聞いている。昔はミルクが手に入らずご近所の乳児のいる方に一年間預けられ、ようやく乳幼児期を生きてきたそうだ。二人の兄がいたが兄一人が肺結核で10年もの間自宅での療養を強いられ、医療も受けられないまま苦しみぬいて死んでいった。唯一の生計を担っていた長兄が東京大空襲で爆死し、敗戦を迎えた我が家は祖母と小学校5年の私が残された。
 このような状況は我が家だけではない。結核は伝染病であり、明治・大正・昭和とストレプトマイシンという特効薬がない中で長い間多くの国民が苦しめられ、戦争で死ぬか結核で死ぬか、国民は選択する権利さえ奪われ敗戦への道を辿ってしまったと言える。まさしく亡国病だったのだ。
 今では結核という病名さえ忘れられているが、実は今でも結核は無くなっていない。むしろ増えつつあるというデータさえある。
保健所の削減に見る感染症対策の崩壊
 私が保健師として地域医療に携わってきた1957年当時は、全国で約900か所あった保健所と共にほとんど一年中予防接種や健康診断に追われていた。中でも結核予防は一年中の大半を使い、ツベルクリン反応検査に始まりBCG接種、X線撮影車が各地域を細かく回り胸のレントゲン検査をしたものだ。
 しかし感染症が減少したという理由で2019年には全国の保健所は472か所、約半分に削減された。その結果健康に関する施策はほぼ市町村に押し付けられ、保健所の専門的機能が消失した。
 当時市町村の健康支援体制は非常に脆弱で専門家は保健師のみ、とても保健所のように医師・薬剤師・検査技師など保健師以外の専門家が充実している状況ではないことは今でも変わらない。その専門家も削減され今ではごく一部の拠点保健所にしか配置されていないと聞いている。
 1996年には感染症病床が9716床あったが2019年には1758床に激減している。2019年現在、第一種感染症の指定医療機関は5県にしかない。(3月18日社会新報より)
 
国民の命を奪う国の医療行政
 今、新型コロナウイルスが猛威を振るう中、これほど脆弱な防疫体制を導いたのはほかでもない自民党政治である。かつて向こう三軒両隣、どこにでも患者がいたと言われるほどの結核がどれだけ人々を苦しめたのか、当時は国を挙げて結核の撲滅に力を注いできたことがコロナ禍に全く生かされていない。
 確かに急性伝染病は70年の間に減少してきた。しかし結核の感染者はむしろ増えているという報告もある。さらに未知の感染症が広がる恐れは十分にある。私たちは常に感染症と隣あわせ、死の恐怖に曝されて生きている。
 いつの時代も経済優先、人間の命は最下位に位置付けられているとしか思えない今回の新型コロナ対策に私たちはどう立ち向かえばいいのか、考えさせられる今日この頃である。
                                   (会員:Y・W)