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***宮古 浄土ヶ浜***

 6日目   南三陸気仙沼大船渡大槌町釜石市R283、、、遠野市カッパ伝説民話の町まで、海岸線では至る所が津波の被害が出ていました。

この頑丈な防波堤を津波が乗り越えて町を破壊していきました。何所までも続く悲惨な光景は胸が痛みます。

これから行く美しい所「浄土ヶ浜」も被害がなければいいがと心配していました。

陸中海岸国立公園の中心をなす浄土ヶ浜は、宮古の代表的な景勝地。
 鋭くとがった白い流紋岩が林立し、一つ一つ違った表情を見せて海岸を彩ります。松の緑と岩肌の白、海の群青とのコントラストはまさに一見の価値あり 浄土ヶ浜の地名は、天和年間(1681~1684)に宮古山常安寺七世の霊鏡竜湖(1727年没)が、「さながら極楽浄土のごとし」と感嘆したことから名付けられたと言われています。
駐車場から徒歩で15分位ですが、15分おきに(無料)でシャトルバスが出ています。やはり被害がでていました。

観光船の乗り場と浄土ヶ浜までの海沿いの遊歩道が歩くことができませんでした 。その他は前回きたときと変わりがありませんでした。

歩いていくとこんな素晴らしい景色とも出会えます。

この美しい景色を見ると「ホット」した気分になります。

私の沈みがちだった気持ちがやっと晴れ晴れとしました。「極楽浄土」 その名前のとうりです。 周辺散策して今夜は新生温泉泊まり

明日はいよいよ十和田湖、奥入瀬渓谷に。。。。

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***南三陸 あの場所は今は***

    5日目   「3.11」 あの大災害から一年八カ月、、、今はどうなっているのかと思い再度南三陸志津川町にいってみました。町の高台に仮設住宅があり そこに建物の時計が地震で止まったままの時刻を指しています。

仮設住宅です。  早く自宅が出来るといいですが??

建物は外見はなんでもないように見えますが、中は壊れていて修復は出来ていません。少し先に行ってあの「天使の声」が流れて多くの人達が救われたのに女子職員の方は亡くなってしまった 南三陸町 防災対策庁舎 跡 はまだそのままでした。

周辺はごみがなくなってすっきりとしていますが、まだ復興は進んでいないようです。

今でもこのような状態です。

アパート4階まで水がついたのでしょうか???

気仙沼のよくテレビで目にした大きな船が周りには何もない所に打ち上げられている姿はなんとも言えません。

沼港から北へ内陸約500メートル海から離れた所に船があります。どうしてこんなところに???と 船は排水量330トンの巻き網漁船、第十八共徳丸は、そのまま残されています。市内に打ち上げられた100トン以上の大型船は17隻。共徳丸以外はすべて撤去されとそうです。 同市水産課は「市民の間では保存に賛否両論で、3・11を風化させないために後世に残すべきという声もありますが。費用の面で難しいそうです。 側に仮設のコンビニがありそこでお弁当を買いながら「どうしてこんなところに船が来たのでしょうか」 と尋ねたら 店員さんが 「私も最近しったのですが・・・ドックに入っていた船が川の水と津波でここまで流されてきたようです。」と話してくださいました。

自然の威力は とにかく凄いです。  この船はこのまま 残していてほしいものです。

被災地でよく目につくのは 「全国の皆さん応援ありがとうございます。 このご恩はかならづお返しいたします」「東北の人は皆頑張っています」等看板に書かれて所どころに立ててあります。  皆さん前向きでお話も良くしてくださいます。本当に良かったと思います。私達もまだまだ 応援していかなければいけないと 思いました。  本当に頑張ってください。

 

 

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***日本三景 松島***

 震災直後」に行った時は、五大堂が少し被害あったそうですが、 メインストリートは多くの観光客で賑わい震災の影響を全く感じさせないほどでした。 今回は裏松島と言われる所に行ってみました。  そこで目にしたものは???被害を受けたそのままの姿がありました。胸が痛みます。

駅だと思います。  反対側には

パーマやさんだと思いますが壊れたままです。

新しい家も壊れてままで、手がはいっていません。

沈下した所は水が引いていません。  海の様になっています。

コスモスの花が寂しげに咲いているのが、なんとも言いようがありません。少し離れたところでは援助物資が届かな所もあったとのことです。いまだに手がつけられず、復興のきざしもなくどうしたら良いか??と地元の一人が私にお話ししてくれました。とにかく土地が決まらないのでどうすることもできないそうです。 被災地の人たちは本当に頑張っています。一日も早く安心して暮らせる日が来ること願っています。  もう少し頑張ってください。

 

 

 

 

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***二本松菊人形***

25日(4日目)  天気も良 温かな日差しがあり 一度は行って見たいと思っていた「二本松の菊人形」を見ることにしました。二本松の菊人形とは・・・福島県立霞ヶ城公園 国指定史跡「二本松城跡」を会場に 二本松には藩政時代より菊の愛好者が多く、昭和初期から菊人形が街に飾られていました。その後、昭和30年から趣向を変え、現在の「菊の祭典」として 開かれるようになったそうです。

お城の前には沢山の人が、霞ケ城の入り口から「二本松少年隊」の勇ましい姿が出迎えてくれます。

二本松少年隊(にほんまつしょうねんたい)とは、幕末」の二本松藩」において戊辰戦に出陣した12歳から17歳の少年兵部隊のこと。まだあどけない少年達が戦っている様子に心うたれます。大河ドラマの「平清盛」などの人形もあり 本当に見事です。

菊人形を後にして、、東北道二本松IC仙台道 塩釜IC松島 裏松島石巻に、、、、、

いよいよ震災の被災地に入ります。復興 は進んでいるのだろうか???

 

 

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***裏磐梯 吾妻小富士へ***

  天気も最高紅葉に期待して吾妻小富士をめざしたてーーー磐梯高原から会津へと結ぶ色鮮やかな紅葉に包まれる迫力のドライブコース「磐梯山 ゴールドライン」 、鮮やかなゴールド(黄金)や燃えるような赤に色づき コバルトブルーの空とのコントラストは圧巻。 その美しさは東北の紅葉が最高  何年か前に最高の紅葉を見てから、とりこになってしまいました。  今回も期待して? 

このゲートをくぐると・・・いよいよ紅葉との出会いが待っています。  胸がおどります。「通行料金は県の観光復興キャンペーンのため、平成24年度も冬期閉鎖となる11/15(木)まで全車種無料です」。進むほどに紅葉が目に入ってきます。    「わ オオオ・・・・」山が燃えています。

 紅葉にうっとりしていると、なんとも言えない景色が広がってきました。

蒸気が噴き上がっています。  山肌が見え今までの美しさとは違い別世界に来たような景色です。

今日の目的地に到着。。。。今日は北風が強く真冬並みの寒さに感じます。寒い中 防寒着に着替えて吾妻小富士に登ることに沢山の観光客が連なってまるで銀座並み??です。  ダウンを着ていても強い風に手足や( ^)o(^ )が凍りのように冷たくなり、今にもが降ってきそうです。それでもなんとか頂上に着きました。  

頂上からの 駐車場です。

噴火口が見えます。  風が強くて吹き飛びそうです。怖くて近くに行けません風がなければ火口を一回りする予定でしたが、今回はやめました。

寒さと風でゆっくりと見ることができませんでした。早く引き返さないと「遭難??しそう」 でした・・・・なんて~~~でも本当に寒かったです

紅葉を見ながら・・・今夜は喜多方熱塩温泉に泊まります。

 

 

 

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***野口英世記念館***

今日は朝から雨、谷川岳には行けないので、先に行くことに 上越道で新潟東北道越後湯沢にて R17小千谷磐越道IC西会津若松へ・・・・・ここで泊まり・・・次の日は天気も回復 太陽がまぶしい 磐梯山に行くことに、途中 磐梯山が見えてくる。

あの山に行くのです。   その前に寄り道で野口英世記念館にいきました 。

世界的に有名な医学者、野口英世(幼名清作)博士は1876年11月9日福島県耶麻郡翁島村(現在の猪苗代町)に生まれました。
 清作は1歳半のころ、いろりに落ちて左手に大火傷を負いました。後にその左手を、手術はしましたが、完治することはありませんでした。しかし清作は、そ の時に医学の素晴らしさを知り、医者への道を志すことになりました。その結果、野口英世博士は医学の道へ進み、世界中の人々の命を救うこととなりました。

記念館の中に博士の生家が保存されています。

良く見かけたこの写真は 新千円札に使用される博士の肖像の写真は、1918年に中南米のエクアドルで黄熱病の病原体を発見した頃に撮影されたものです。この頃が、博士が研究者として最も脂がのっていた時期で、博士自身、知人へ写真を送る際に、好んでこの写真を使い、そこには直筆のサインをしていたそうです。 館内には他に博士がしゃべる人形もあります。

この館の駐車場で思わない人達と出会いがありました。  柿の木観光のバス2台です。 なんと乗っている人達は茅野市の方達です。知り合いもいて話お互いビックリです。旅先で同郷の人と会うと 不思議な気分になります。いよいよ紅葉の「裏磐梯」に行きます。

 

 

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***東北の旅・・紅葉と被災地に**

 東北の紅葉は山全体が「燃える」 ようになるのです。もう一度見たいと思い旅に出かけることにしました。 10月22日に出発 白樺湖佐久ICにて上越高速沼田水上・・・まで今夜谷川岳の近くにある「水上温泉 湯の陣」に予約しておいたので泊まります。  

 

高速道路から見えるそびえ立つ岩山

 

外の景色も最高・・・良い旅が出来そうです。   横川SAにて 峠の釜めしをゲットお昼には少し早いので先に行くことにしてこのあたりではまだ紅葉は始まっていません。せっかくの釜めしも車の中での食事となりました。今日は3時にチェクインになっているのでこの侭ホテルにむかいました。

明日天気が良ければ、谷川岳のロープウエイで登って見ようかと思います。今夜はカラオケはほどほどにして です。

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