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五次元という考え方について (認識論)3

2023-04-15 | 5次元宇宙に生きる(心)

のしてんてん「孫のビスケット」 キャンバスに鉛筆

 

概念がなかったら

誰も世界を思い浮かべることが出来ません

私達が何気なく思い描いているこの世界も

それはただの光の海であって

そこになんの意味も見いだせないのです

赤ん坊の認識世界を覗いてみたら

きっとそんな風に見えるでしょう

そんな光の海に秩序を与えて

意味あるものにする

それが

概念なのです

認識世界に目を向けてみると

その骨組みが見えてきます

数えてみたら四本

いえ、五本目が

そこにある

本当

五次元(新たな認識能力について)

 

第三章.五次元の認識能力

 

 

(五次元の検証)

五次元とは、

四次元(四つの概念)で認識する世界観に追加し得る、

五番目の概念を示したものである。

すなわち

五つの概念によって認識される世界観のことである。

この五番目の概念というのが、

第一章ですでに述べた、

大きさ(スケール)の概念なのである。

 

ここでは、このスケールの概念が、

時間や立体空間の認識を担っている四つの概念と

同じ資格を持っ概念なのか?本物かどうか考えてみたいのである。

果たして認識を組み立てる概念と言えるのか、である。

もし時間や長さの概念と同じものといえるなら、

おおきさ(スケール)の概念は

人間の世界観を支える五番目の能力と言い得るのである。

 

人間が新しい認識能力を手に入れるということは、

同時に認識次元を超えるということになる。

四次元に生きている人間が、

五次元世界に

道を開く可能性を持つということなのだ。

 

果たして五番目の認識能力は

正しい発見なのかどうか。

そこが大切なので、

記述が重複するのを承知の上で書いてみたい。

 

 

(概念によって成長する認識世界)

次元を超えるということを、卑近な例で考えてみよう。

概念とは、思考世界を組み立てる柱である。

乗り物に例えれば概念は起動能力のようなものである。

もしそこに乗り物があって、動力が何もついていなかったら

乗り物はその場所から1ミリも動かない

それは概念を持たない意識

すなわち赤ん坊である

0次元存在

から人は成長していくのである。

 

一次元存在

乗り物に一つだけ起動能力を与えたら機関車になる。

レールの上を一直線に走るだけで

前に行くか、止まるか、後ろに下がるしかない。

 

二次元存在

二番目の起動能力を持ったらそれは自動車となる。

移動範囲を考えるとその能力は次元を超えた広さになる。

観念的に言えば意識が線から面に拡がるということである。

 

三次元存在

三番目の起動能力を手に入れると、それは飛行機になる。

その能力は次元を超えた広さにいきわたるだろう。

この実感は現実的に理解できるのである。

能力を一つ手に入れるということは世界を広げるということであり、

それが次元を超えるという意味なのである。

 

四次元存在

四番目の能力を手に入れると乗り物はタイムマシーンになる。

認識世界の中を簡単に時間旅行ができるようになったのだ。

これが次元を超えた世界観ということなのである。

三次元存在には想像できない世界である。

 

五次元存在

 五番目の能力を持つとスケールマシーンになる。

認識世界の中でスケール旅行ができるようになったのである。

スケールの中を自由に移動する能力は、

素粒子空間から銀河宇宙を同じ空間だと認識させてくれる。

世界は空という一つの存在であることを現実として体感することが出来るのだ。

まさに次元を超えた乗り物と言えるだろう。

 

 認識世界はこのように

習得する概念と共に成長していくのである。

逆に言えば、成長しなければそのものにとって

何もない。超えるべき次元の壁さえないのである。

なぜなら概念は存在ですらないからである。

それは世界を秩序付ける知恵

なのである

 

(スケールは五番目の概念といえるのか)

私達が常日頃感じている大きさの感覚。

これは、三方の長さや時間と同じように概念と呼べるのか。

 

第一章で述べたように、私達は自分の大きさを特定できない。

比較する尺度(ものさし)がなかったら自分の大きさを測ることができないのだ。

大きさは絶対的なものではなく、相対的な認識なのである。

 

私達が今普通に認識している世界は四つの概念から成り立っている。

これをスケールの概念と比較検討しながら考えてみよう。

 

(縦・横・奥行)の三つの概念は、どれも方向の違う長さ(線分)のことである。

「長さは」、「大きさ」と全く同じように、自分の長さを特定できないのである。

長さを知るためには比較する尺度(のものさし)が必要だというのは周知の事実であろう。

 

三次元の世界が無限に広がる空間だと認識されるのは、三方向の長さを概念で認識しているからなのである。

つまり「現在」があるなら、その「前・後」があり、その「左・右」と「上・下」があるという考え方が世界を思い描いているのだ。

前後があるなら、さらにその先にも前後がある。その先はどこまでも表れる。それが無限の正体なのだ。

 

この認識の構造は時間にもある。

時間の本質は変化である。

例えば今この瞬間だけをとらえたら静止画像を見ているようなものである。

その画像だけを見ても変化を認識することはできないだろう。

つまり変化とは概念なのである。

今この瞬間は静止画像と同じである。

この静止画像の前後に存在が移っていく。

その比較が成り立って変化を理解する

認識論的に言えば

現在の前後に無数の静止画像が続いているというということになるのだ。

後ろを過去とするなら前は未来。

この概念があって初めて認識世界に、過去世界を思い浮かべる。

あるいは逆に、未来世界を想像するのである。

その双方に無限の広がりを考えてしまう。

概念の働きといえるだろう。

 

すると「大きさ」の認識はこれと全く同じだということがわかる。

今この大きさの身体があるなら、

その内側には小さな素粒子が集まって今ある私の体を作っている。

その外側には、私を乗せた地球や天体が集まって作る大きな世界が存在する。

スケールの概念とは、そんな認識を成り立たせる秩序のことなのである。

 

その認識世界がいかに大きいかは、イメージの中で体験できる。

それは四次元世界をはるかに超える、

まさに次元を超えた大きさを思い浮かべることが出来るであろう。

これはスケールの概念による認識に他ならないのである。

 

スケールの認識世界は

(大きな世界>今ある私>小さな世界)

という秩序で成り立つ。

重要なことは

小さな世界も大きな世界も

共に現在に実在する存在だということだ。

それは実在そのものの認識ともいえるのである。

現在を自分と置き換えると、

五次元は自分を宇宙そのものにまで拡げられる大きな存在だと

認識することが出来るということなのである。

しかもその上に

過去や未来は虚世界といえるが、

スケールは実世界なのである。

これについては後で述べることになる。

 

(認識世界)

認識とは現実にそれに触れられるとか、そこに行くことができるということに限らないことは周知のことである。

つまり認識世界というのは、行くことも触ることもできない世界であったとしても、

概念によって思い描くことのできる世界のことなのである。

そうすると、スケールの概念は上記四次元の認識世界に対して、

なんの変更も変質も加えず、独自の尺度で世界を思い描くことが出来る。

五つの概念がともに支えあって認識世界を作り上げるのである。

つまりこれは、すでに知られている四つの概念と遜色のない

五番目の概念だと言えるのである。

それは私達に次元を超えた認識世界を与えてくれるであろう。

 

次回予告

(第四章、五次元思考で観る自分の姿)

次元を超えた認識世界に何が見えるのだろうか。

そしてそれが己とどうかかわるのか。

自分という言葉に

考えを向けたいと思います。


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3 コメント

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Unknown (桂蓮)
2023-04-16 21:48:27
宇宙の果
宇宙が終わる境界線
それらは私がたまに検索するリンクエンジンです。
ブラックホールの果も、

のしてんてんさんのスケール感覚に
宇宙の予想される規模(規模と言っていいか定かではないのですが)を参考編に加えると
もっと分かりやすくなるかも?と思いました。

宇宙の始まりや終わりの視点から
スケール感覚を養うみたいな、

亡くなったホーキング博士の本を読んでた時、
私たちは宇宙に住んでいながら
宇宙がどう生まれたか
どう終わるのかさえ
分からない存在だと気づいて
人間の限界を感じたことがありました。


でもまー最近の記事は
イメージ性が広がり、
また論理性がバックアップされて
言い方の余計な飾りが無いので
私的にはすんなりある空間にはいれますね。
認識ということ (のしてんてん)
2023-04-18 00:09:59
宇宙の規模というのは認識の限界のことだと私は思っています。
というのも、宗教にしても科学や非論理的世界観にしても、それは認識に他ならないからですね。私達には認識以外に知り得るものは何一つないからです。
宇宙の大きさ(小ささも含めて)認識を越えてどれだけ広がっていたとしても何の意味もありませんし、認識の外は無というしかないですよね。
桂蓮さんが言われるように、人間の限界です。
私はその限界を知ろうとしているのです。
どこまでこの認識は広げられるのかということです。
五次元はその意味で科学の心を排した論理的な認識探求の試みと心の救いをテーマにした宗教の包括的認識という、180度相反する認識を統合する認識世界なのですね。
宇宙は知りえない。
だから認識を広げるしかないということでしょうか。
例えば、宇宙の始まりと言われるビックバンは、人間のスケールで観れば精子と卵子の働きに近いかもしれません。
宇宙の果ては、死と関係があるのかもしれません。
私が言い続けているのは、四次元の世界認識より五次元認識の世界がはるかに大きいという、ただそれだけのことだけなのですね。
認識を新たにする可能性があるのです。桂蓮さんにはもう伝わっているような気がして、書きすぎたかもしれません。踏み込みすぎていたらごめんなさい。
Kさんへ (のしてんてん)
2023-04-19 22:41:24
人の痛みをうんぬんするのは無責任極まりないのですが、絶望的な今を五次元の眼で見てほしいのです。
なぜ絶望なのかを、自分の呼吸と血流に聞いてください。
何が本当の望みなのかを、時間軸で観ないでほしいのです。
時間軸で観た望みは、ほとんど100パーセント今を見ていません。今の限られた負を100パーセントに膨らませて先を見る。それが絶望につながることが多いいです。
本当の望みは何ですか?
己を100パーセント生かし、満足させることでは?
絶望を五次元で観たら、己が100パーセント生きている姿が見えてくるのです。スケール軸で観たら時間は動きません。今この時に生きている自分が宇宙に拡がっていきます。
絶望と思っていたものが、小さな石ころに見えてくるかもしれません。
無責任な言い方ですが、苦悩は広大な宇宙のひとかけらになるでしょう。
あなたのやることは、やるべき使命は、決して絶たれてはいないでしょう。命ある限り使命は五次元の中に見つかると思います。
どうか絶望と言わずに、ちょっとだけ現状にくさって、落ち込んだら、それを力に変えてください。
というより、kさんにはすでに同じ答えを胸に抱いていると思います。
新しい力が今この時の中にあることをご存知ですから。

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