goo blog サービス終了のお知らせ 

のしてんてんハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

空の意味

2025-06-29 | 5次元宇宙に生きる(心)

(般若心経)

①色不異空:物質は空間と異なる訳ではない

②空不異色:空間は物質と異なる訳でもない

③色即是空:物質はそのまま空間と言えるし

④空即是色:空間は、物質そのものでもある

(科学的色空観)

⑤色包是空:物質を包んでいるものは空間だ

⑥空包是空:空間を包むのもまた空間である

 

上の①~④は般若心経に書かれた宇宙観である

色(物質)と空(空間)は究極同じものであるという考え方である。

スケールの概念で観るとその正しさが分かる

己の身体と言えども

それを素粒子のスケールで観るなら

一個の肉体である筈の身体は

素粒子が天体のごとく浮かぶ宇宙空間なのである。

色(物質)と思われていた私と云う存在は

素粒子宇宙に拡がる空(空間)だったのである。

 

しかしこれだけの理解では

色と空を一つのイメージで一般的に理解することは難しいのです。

悟りを求めて探究を続けてきた末にようやくたどり着いたのが

科学的色空観とでもいえる色と空の関係でした。

それが⑤~⑥なのです。

 

そこに至る経過を簡単に書いてみることで

人類の新しい存在感を理解して頂けるのではないかと思うのです。

 

般若心経の宇宙観を是として

心の探究を始めた頃

その最終点に存在しているものがあることは分かっていました。

それは自分に気付いていいるもの

常に自分を見守っていて、その時々の自分に気付いている存在

決して自我ではなく

その自我を無批判に眺めている存在

それなくしては自分を知ることのできない事実を

認めざるを得なくなって受け入れた存在

それを気付き、あるいは観照者と呼びました。

 

観照者を神と考えることもありました。

しかしその観照者をそれ以上追い求めることが出来なかったのです。

 

ところがある日、色と空を

もっと素直に、目に見えている現実の中で

子供のように単純に考えたらいいと思いついたのです。

 

色に囚われず、見えるままに空を考えたらよかったのです。

すると、

「色包是空」がすぐに見えてきました。

夜空に浮かぶ月

あまりに当たり前の風景ですが、

空間は見えないものと思い込んでいた自分に気付いたとき

一瞬で空(くう)に思いが届きました。

 

月の周りに見えない空?

見えないのではない!それが空の姿なのだと理解が届きました。

見えないのではなく、見えないのが空の科学的必然だったのです。

もし何かが見えたとしたら、万物を覆い包んでいる空は

その時点で空という特質を失ってしまうでしょう

全ての形を許し受け入れて包んでいる空である以上

一歩でも空が色に染まることはない

無いのではない!有るからこそ、月は浮かんだまま宇宙に存在できるのです。

「色包是空」

色を包むもの是、空である

それはすべてに適用される

この肉体も、地球に足を付けていると言っても

地球の引力から抜け出せば宇宙に浮かんでいる事実を知らないものはいないだろう

私の周りに何もないのではない

空が肉体のごとく存在しているのです。

そればかりか

私の肉体を創る素粒子宇宙は

私を包んでいるこの空が切れ目なく続いているのです。

何処まで行ってもこの空が途切れることはないでしょう。

要するに空は、

私を包むと同時にその同じ空体で万物を包んでいると言っていいのです。

無数の他者と対峙出来るのも

そのたった一つの空の中に等しく私達は包まれているからなのでしょう。

これを

般若心経の経文から進化させた形で

色包是空と呼びました。

 

さて、この考えを延長させると

空包是空は

簡単に理解できるのです。

空を包むものは是、空である。

空に包まれる空とは、私達の肉体と共にある心にほかなりません。

分かりやすく言えば

心包是空ということです。

 

心とは自由にうごめくエネルギーですね。

身体が取り込まれたエネルギーの塊とすれば

心はエネルギーの波動そのものです。

それは空そのものなのですね。

スケールの概念で観ればわかるのですが、

心の空は月を浮かべている空と違う点はただ一つ

波動の波長が、月:素粒子の比率で存在していることなのです。

それ故空包是空」という意味は

素粒子レベルで存在する波長の小さな空間を、

月が浮かんでいる長大な波長の空間包んでいるということなのです。

 

科学的にそれは証明されるでしょう。

原子に秘められたエネルギーを私達の空間に解放したら

とんでもなく忌まわしい爆弾を生み出した事実を見ても

私達の心の空間もまた、空に包まれている訳なのです。

 

さて、そうすると

心は私であるという考えは

あまりにも狭い領域に区切った思いだということが分かってきます。

空と言えど心そのものがちっぽけな存在でしかない。

私達が生涯をかけて求めてきた真我は

自我に閉ざされた心を見るだけでは決して達成することはないのです。

 

ここにきて初めて

私は冒頭に書いた観照者を思い出しました。

スケールの概念を発見した頃

結論的に得ていた観照者でしたが、

それが何処にいてどんな姿をしているのか

どうしても具体的なイメージを創り出せなかった、

その観照者が

衝撃的な形で私の意識の中に現れました。

 

そうです!

空包是空こそ

観照者のより具体的で科学的なイメージだったのです。

 

常に私を見つめ、私の心の存在に気付かせてくれているもの

それこそが鑑賞者であり、心を包む空の姿に他ならないのです。

 

身体に生まれた心の波動を

何故私達は色付きで知り、苦悩まで味あわせてくれるのが、

 

それを知るシステムはアインシュタインのエネルギーの法則にあります。

E=MC²

宇宙に現れるエネルギーである「E」は

自分のこの身体の質量「M」に

二つの光、すなわち空を掛け合わせた「C²」

であると言っています。

つまりこれこそ、

(心の空)と、(心を包む空)の関係から生まれているのです。

 

つまり観照者はただ動かず見詰めているものではなかったのです。

それは全宇宙のエネルギーの波動にほかならず、

私達は自らの心を

宇宙のエネルギーの中で具現化させていたと言えるのです。

 

すると自然に

私とは何かという問いに対して

思いは空包是空に向かうでしょう。

 

そこから生まれるイメージは

自我の大転換を余儀なくさせるでしょう。

自我とは音楽だったのです。

 

この点は次回

詳しく書いてみます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 心の重心 3 | トップ | 空の意味(2) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

5次元宇宙に生きる(心)」カテゴリの最新記事