一応家族への義理チョコを用意し、最近会った友人達には友チョコを贈った。近々会う友人の分も勿論渡す予定だ。
思えばバレンタインにチョコを贈るなどという風習が始まったばかりの頃母親が小学校に押しかけてきて好きな男子に渡さないのかとお節介を焼かれたことがあった。
悪目立ちする変り者の母親だったので幼馴染の間ではちょっとした有名人だった。
毎年バレンタインというとその記憶が甦ってトラウマになりそうだ。
最近古くて新しい友人たちとの交際が始まった。
新しいことを始めるのが苦手だよね?って以前心療内科医に言われた。
確かに取り越し苦労の多い性格ゆえついつい深読みばかりしてしまい独り相撲で悶々とする。
でもどういう訳だかある日突然どうでもよくなるという不思議な現象がおこるようになった。
深くものを考えられないというか。
もうかなりの数の脳細胞が死滅したのかも知れない。
年齢的なものだけではなく。
数年前にかなり脳にダメージを与える毒を喰らってしまったから恐らくは常人より早く老化しているのだろう。
悩まなくなるとか気にしなくなるということはいいことなのかどうなのか。
長い間苦しみ続けなくて良くなった代わりあまりにもものを考えなさすぎてあとあととんでもないことになるというしっぺ返しを食らいかねない。
それでも以前はそれが怖かったのだが今はええいどうにでもなれと開き直ってしまう。
どうせ残された人生の時間は限られている。
今まで考えすぎた分少々無茶してもいいだろう。
しかし考えない習慣というのにも弊害がある。
先日考えかけていたネタを改変する良い案を今朝思いつき散々ツイッターで呟いてメモまで取ったのに半日友人と遊んで帰ってきたら何かもうまた違う方向に。
今度こそはうまく行くかなと思ったのに。
いかんなあ。注意力散漫。
暫し沈思黙考した方がいいのかしら?
取り敢えず週末に別の友人との予定も入っているから焦って考えても原稿が書ける暇があるわけじゃなし。
読みかけのミステリーでも読んでもう一度頭から考え直そうか。
また入浴中とかに突然打開策のヒントが降臨するかもしれないし。
見たことのない景色を見せてやる。
昨年夏にブレイクしたアニメの名台詞。
今まさに見たことのない景色を見ているのかも知れない。
自分は何処へ向かっているのだろう。
他人事のようにそう思う自分がいた。
自分の思う自分と他人から見た自分はあまりに違っている気がする。
変わったね。
そうかも知れない。
それがいいことなのかどうかはわからない。
でも少なくとも今は自由だ。
小さな世界の中であっても心は未だかつてない自由に打ち震えている。
後になって自由の代償として失うものを案じていては自由になれない。
やってしまってする後悔とやらなかったためにする後悔。
今まではずっと後者しかなかった。
死ぬまでにやってみたいことはやっておこう。
例えどんな恐ろしい運命が待っていたとしても。
言葉にすると大袈裟になってしまうけれど感覚的には至ってシンプルなのだ。
それをうまく表現できなくてもどかしい思い。
それが今の生みの苦しみに重なる。
先日と今読んでいるミステリーの影響なのか時々ふと思う。
秘密を持っていたり悪いとわかっていながらやっている人間というものはきっと最初はびくびく恐れているけれど、いつしかその感覚が麻痺してしまうものなのだ。
いつしか嘘をついているとか隠しているとかいうことさえ忘れてしまったかのように段々とエスカレートする。
いつかはやめねば。
そう思うがずるずる深みにはまり罪の意識が薄れる。
気づけば自分でもとても信じられないようなことをしていたりする。
それはきっと罪を犯している自分を無意識に別の自分として切り離し見ないようにしてしまっているのではないか。
自分はそんなこと出来る人間じゃない。
だからあれは自分じゃなくて別の誰か。
自分だけど本当の自分じゃない別の自分。
そんな感覚がいつしか出来上がって行くのではないか。
そういう心理的な物語もいいかなと思ったり。
前作は母と息子の近親相姦すれすれみたいな話だったので今度は父と娘の話もいいかなとか。
過去の作品では夫婦・恋人の話、母と息子、母と娘、というのは多いが、父と息子、父と娘というのは意外に少ない気がする。
今回はどんな切り口で見せようか?
そして先程の心理ネタとどう絡ませようか?
まだまだ行く先は不透明。