きつねの戯言

銀狐です。不定期で趣味の小説・楽描きイラストなど描いています。日常垢「次郎丸かなみの有味湿潤な日常生活」ではエッセイも。

Other World 21

2012-07-07 22:40:09 | 日記
[moving]

夏の休日の昼下がり。狐原妖雅のマンション。引越が近いため既にほとんどの荷物はまとめられて室内はがらんとしている。青年の独り暮らしとはいえ、あまりにも生活感がなさすぎる。潔癖症なのか、学生時代からずっと暮らしているというのに今まさに引越してきたばかりであるかのように綺麗だ。もともと家具付きのマンションだったこともあり、本やCDやパソコンなどの他には生活必需品がほとんどで、ゲームやスポーツ用品もなく、洋服など身に着けるものも若い医師にしては数も少なくモノトーン中心の至って質素なものばかりだった。
葛野葉月はソファに腰かけて彼がいれてくれた紅茶を飲んでいた。狐原が微笑みながら彼女に話しかけた。
『〔葉月さん〕はもう荷造りは終わったんですか?見ての通り〔僕〕の方は至って身軽だからせっかく来てくれたのに手伝ってもらうこともなくてすみません。』
「私は〔先生〕のように忙しくないですし…薬局の方は耳鼻科のシーズンオフで最近は早く終わるので時間はたっぷりありますから大丈夫です。」
開け放たれた窓から吹き込む風がカーテンを揺らすけれど、熱気を帯た空気は生暖かい。
葉月が熱っぽい感じがするのは温度や湿度のせいだけではない。
独り暮らしの若い男性の部屋に入ったのは生まれて初めての経験だったし、何よりも狐原が〔葛野さん〕ではなく〔葉月さん〕と呼んでくれたり、自らを〔私〕でなく〔僕〕と言ったことに高揚していたのだ。それは狐原が葉月を自分のテリトリーの中に招き入れたということに他ならない。狐原はさりげなく自分の気持ちを伝えるために意識的に葉月に聞かせようとしている。それなのにまだ彼を〔先生〕としか呼べない自分。彼が敢えて『〔先生〕じゃなく名前で呼んで』と言わないのは、葉月にまだ遠慮があることを知りながら、それを楽しんでいる。彼の優しさの裏の少年のような無邪気な残酷さも愛おしいと思った。そしていつか彼を〔妖雅さん〕と呼べたらいいなと密かに思った。
次の休日には2人は次の職場の近くにそれぞれ引越して行く。
小早川教授と龍造寺院長の息のかかった病院では針のムシロかも知れないが今までも辛酸を舐め続けた狐原はそんなことにはもう慣れていた。また、外面のいい好青年を演じていればそれでいい。できるはずだ。ずっとそうやって生きてきたのだから。
葉月もまた狐原の側に居たいというただそれだけの理由で門前薬局に転職した。狐原に必要とされた時、いつでも応えられるように。そして必要のない時は彼の邪魔をしないよう、足手まといにならないよう、独りでひっそりと生きていればいい。切ないけれどできるはずだ。今までもずっとそうやって生きてきたのだから。ただ愛しい人の側にいてずっと彼を見つめていられるならそれだけでいい。必要とされたい。彼の役に立ちたい。葉月の望みはそれだけだった。
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Other World 20

2012-07-07 21:38:18 | 日記
[E-mail]

龍造寺明里がバスルームを出て雫が滴り落ちる長い漆黒の髪を柔らかなバスタオルで包みながら自室に戻るとデスクの上で携帯電話のメール受信のイルミネーションが点滅している。
「ふっ、また彼か。」
明里は呆れたように呟くとノートパソコンを立ち上げた。案の定E-mailが山のように届いている。それらは全て婚約者の小早川司からのmailだった。律儀な性格の明里は一応目を通すものの、彼からのmailの内容は彼自身の日常の他愛ない話ばかりで正直明里にとっては全くと言っていいほど興味がなかった。それでも一通り見終わると返信はした。小早川はその返信欲しさ故におびただしい数のmailを毎日のように送りつけてくることがわかっていたからだ。親同士が勝手に決めた婚約者とはいえ、年齢も5つ離れているし、共通の趣味もなく、自己中心的で我儘で人を見下すような性格の小早川には好感が持てなかった。小早川の方は何故か明里を気に入った様子で学生時代も何かと絡んできた。彼は同級生の狐原妖雅とは全く正反対で、明里は婚約者が小早川ではなく狐原であればよかったのにといつも思っていた。
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Other World 19

2012-07-07 21:09:44 | 日記
[バスタブ]

龍造寺明里は自宅の浴室でバスタブに身を浸していた。退勤中に葛野葉月という女に声を掛けられコーヒーショップで彼女と話をしたが、もう途中から意識を失いそうで、何とか帰宅したもののどこをどうやって帰り着いたものか全く記憶がない。食事は欲しくないからと家政婦に告げてすぐに入浴したのだが、まだ意識がぼんやりしている。ついこの前まで明里の恋人だった狐原妖雅の現在の交際相手だというその女は突然現れ、いかにも狐原のことを理解しているといった口ぶりで話したのだった。
《狐原はずっと明里を愛してきたが、今は身を引くべきだと考えている。明里も狐原に追いすがるのではなく、きっぱり彼を忘れて婚約者の小早川司と幸せに、というのが狐原の願いだ。葉月はどんなに狐原を愛しても愛されることはないとわかっているが、側にいられて役に立てるならそれだけでいいと思っている。》
そんな話だった。
もし今も狐原が明里を愛しているのなら、何故小早川から奪ってでも思いを貫こうとしないのか?
何故狐原が身を引くことが明里のためになるのか?
そして何故あの女がそれを理解してくれと言うのか?
何故あの女は愛されてもいないのに狐原に尽そうと思えるのか?
明里には何もかもわからないことばかりだった。
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Other World 18

2012-07-07 20:25:08 | 日記
[コーヒーショップ]

龍造寺明里は勤務を終え病院の通用口から出たところで見知らぬ女から声を掛けられた。小柄で地味な女。視線を外せばもうそこに存在したことすら印象に残らないような。
「龍造寺明里先生でいらっしゃいますか?」
「はい、そうですが…?失礼ですが、あなたは?」
「突然お訪ねした失礼をお許し下さい。私は葛野葉月と申します。稲荷山クリニックで週1回勤務している者です。少しお時間を頂いてもよろしいでしょうか?」
「狐原くんのことで…?」
「はい。」
「わかりました。ではその先のコーヒーショップで。」
2人の女は並んで小さなコーヒーショップに入った。
「「あなたが… 」」
2人は偶然同時に全く同じ言葉を発した。
(狐原くんの新しい恋人なのか?)
(狐原先生の最愛の女性なのですね?)
お互い続く言葉は喉の奥へ押し戻し、そのままぐっと飲み込んだ。
「それで、お話とは?」
明里はつり上がった目を見張り、動揺を隠してあくまでも毅然とした態度で、凛とした自分を失うまいと努めた。
「はい、狐原先生から直接お聞き及びかとは存知ますが、先生は龍造寺総合病院を退職して他院に移られます。稲荷山クリニックの方も退職されます。私はその病院の門前薬局に転職することに致しました。勝手に決めて事を進めていたのですが、いずれわかってしまうことなので大筋決まった時点で先生にお話したら、お許し下さいましたので先生について行こうと思っております。」
コーヒーカップを持つ明里の手が小刻みに震えている。
(狐原くんが今交際しているという女性…)
葉月という女は手元のコーヒーカップに視線を落としたままあるかなしかの微かな笑みを浮かべて語った。明里は平静を装って言った。
「そうですか。で、なぜその話を私に?」
我ながら嫌味な響きだと思った。必死に強がってはみたもののわぁっと叫んで泣き出したい気分だった。
「龍造寺先生は長年狐原先生が憧れた女性と伺っております。それほどまでに思われている方はどんな女性だろうと想像しておりましたがまさに予想以上に素晴らしい方でした。大変失礼とは存知ますが私はただ狐原先生のことは何もかも全て知りたいという思っただけです。私が龍造寺先生にお会いしてみたいと申しましたら、何もおっしゃいませんでしたが恐らく狐原先生はこの話を私の口から龍造寺先生にお伝えすることを期待なさっているのだと思います。理性では忘れて欲しいと望みながら感情では忘れないで欲しいと願っておられるのだと。私は今日狐原先生の『本当の心』をお伝えに参りました。少しでも狐原先生のことを思われるなら、そのことをわかって差し上げて頂きたいと浅越ながら私はそう思っています。」
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Other World 17

2012-07-07 19:00:02 | 日記
[スタッフルーム]

既に皆昼食を終え、がらんとしたスタッフルームに一人狐原妖雅は戻ってきた。後ろ手にドアを閉めると眉をひそめ細くて長い指を眉間にあてて苦悩の表情で目を閉じた。最近ずっと狐原は龍造寺明里を避け続けていた。未練を断ち切るべくわざと冷たい態度をとった。嫌われ憎まれ非道い男だと罵られてもそれで自分のことなどさっさと忘れてくれるなら。きっとその方が彼女のためなのだ。彼女の婚約者・小早川司は尊大で自分勝手な男だが、心の底では明里のことを愛している。いつもふざけてばかりいるがそれは彼なりの不器用な照れ隠しなのだ。学生時代から水と油のように全く自分とは合わないが明里への思いだけはひしひしと伝わってきた。だからきっと2人が結婚したら小早川は明里を深く愛することだろう。愛し方は違ってもその思いの強さは自分と同じだと狐原は思っていた。だからこそ明里の中の自分への思いは粉々に打ち砕かねばならない。完全に消し去ってしまわなければならない。それが、それこそが明里のためになることなのだ。狐原は無理矢理自らにそう言いきか
せようとした。
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