きつねの戯言

銀狐です。不定期で趣味の小説・楽描きイラストなど描いています。日常垢「次郎丸かなみの有味湿潤な日常生活」ではエッセイも。

Other World 7

2012-07-02 04:56:48 | 日記
青年医師とセラピストは食後のコーヒーを飲んでいた。
時間を忘れて語り合っていたが、お互いについてそれほど深い話をした訳でもないのに何故だか遠い昔から知っていたかのようにわかりあえた気がした。
言葉にしなくてもわかる。
同じような時を過ごしてきたひとなのだと。
見つめ合えば、知るはずもない幼い日のお互いの姿が思い浮かぶ。
寂しかったのだね。…辛かったのだね。…痛かったのだね。…頑張っていたのだね。…
『葛野さんがこんなに雄弁とは意外でした。今日はあなたのことを知れて良かった。機会があればまたご一緒して頂けたますか?あなたのことをもっと知りたい。』
「狐原先生…。喜んで…。私も先生の印象が少し変わりました。うまく表現できませんが…。私のような者で良ければ、是非。」
『あなたは不思議なひとだ。不器用だけれど、素直で。私は自分が少し恥ずかしくなりました。』
「先生?すみません。何を仰っているのかわかりません。…私は先生といると心が洗われる気がします。私がカウンセリングして頂いているみたい。患者さん達が先生を慕って来られるのがわかりますわ。先生はきっとひとを癒す才能をお持ちなんですね。」
(それは違う。)と狐原は心の中で叫んだ。
(私の優しさは全て演技だ。手段だ。心なんてどこにもない。嘘なんだ。癒す振りをしているだけだ。あなたみたいに、毒を吸い取るように患者の闇を全て自分の身を呈して受け止めるなどということはできない。あなたは自分が押し潰されそうになりながらもひとの痛みを自分の身に受けている。私とは違う。私の癒しは全て嘘だ。)と狐原は心の中で言った。
何も知らずに、いつになく明るく笑っている葉月を見て、狐原は初めて本当にひとを癒すことができたのかもしれないと思った。
『そう見えますか?それは買いかぶり過ぎですよ。あなたは素直過ぎますね。私はあなたが思っているほど綺麗な男ではない。人間は誰しも汚いところがありますよ。私にだってある。隠すのが上手いだけだ。』
「先生?」葉月が目を丸くしてじっと見ている。
『あ、いや。あなたのようなひとは騙され易いから気を付けた方がいい。…さあ、もう遅いから出ましょうか。』
狐原はビルを手にして先に席を立った。
「先生…。あの…ご馳走様…でした…。」
葉月がうつむいたまま小さな声で言った。
『いいえ?』
いつも通りの笑顔で狐原が振り向いた。
二人は店を出て駅の方向へ並んで歩き出した。
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Other World 6

2012-07-02 04:03:53 | 日記
[狐原妖雅]

狐原は非常勤で勤めているメンタルクリニックで週1回勤務している女性セラピストがいることは知っていた。
いつも張りつめたような雰囲気で、周囲のスタッフには近寄り難いと陰口をたたいている者もいた。
ミディアムロングの黒髪も眼鏡も地味な服装も、自分の周囲に壁を作って何人たりとも踏み込ませないというような硬い印象を与えた。
真面目で落ち着いていてあるかなしかの微笑をたたえているが、瞳の奥は哀しみに満ちていた。

何処か幼い日の自分の姿を思い起こさせた。
肉親とも縁が薄く、浅く広く分け隔てなく人に接しはしたが、心を許せる友はいなかった。
それはむしろ自らが鉄壁の微笑をもって人を拒絶しているからだと知っていた。
自分の中にはどす黒いものがいる。
他人にそれを知られてはならない。
装い隠して人心を操作することは容易いことだった。
それ故人の心を扱う今の仕事は自分には向いていると思った。
どれほど悩み苦しんでいる人と向き合っても、自分の心には全く響いて来ない。
むしろそんなことでいちいち影響されていては治療などできない。
笑顔で根気よく何度も繰り返される退屈な話を聴いてやり、おそらくは患者が望んでいるであろう共感の態度や言葉を示してやりさえすれば、患者は納得し、満足する。
院長はもっと簡潔に淡々と診察を済ませろと言うが、患者数も評判も、正直今の稲荷山クリニックは狐原医師でもっていると言っても過言ではない。
若くて美しくて優しい医師を演じてさえいれば、いくらでも患者は寄り集まって来る。
そして何度でもただ顔を見たくて言葉を聴きたくて通い詰める。
これは仕事なのだ。
ボランティアではない。
少々骨は折れるが、必ず還りはある。
そんな風にしか思ってなかった。
そのセラピストに遇うまでは。
葛野葉月というセラピストは週1回だけのシフトでカウンセリングをしに来る他は薬剤師をしているということだった。
地味を絵に描いたような暗い女だと初めは思った。
別に興味もなかった。
彼女は見る度に段々重苦しい暗いものを背負っていく感じがした。
患者の吐き出す「闇」をその体の中に吸収しているかのようだった。
『馬鹿だな。そんなことしていたら自分の身が持たないよ。』
そんな風にさえ思った。
彼女の小さな体にはどんどん闇が蓄積して、今にも押し潰されそうに見えた。
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Other World 5

2012-07-02 03:06:24 | 日記
[葛野葉月]

葛野葉月は老舗の薬局を営む旧家の直系の血筋を引く二人姉妹の長女として生まれた。
父より前の世代は皆短命だったり、生涯独身だったり、子供がなかったりしたため、唯一の直系で寡婦になっていた祖母が一人息子の父を実家の養子として葛野家を継がせた。
それ故継承者はその長女たる葉月しかいなかった。
妹が生まれた時から、葉月は屋敷内の別棟で祖母の帝王教育の元に育てられた。
将来嫁いで家を出る妹と家を継承する葉月とは全く別の育ち方をした。
ものごころついた時からの刷り込みで葉月は自分の役割、自分の運命を素直に受け入れた。
というよりも、他の選択肢は存在しなかった。
何も望むことはなかったし不思議とさえ思わなかった。
自分が必要とされることだけが支えだった。
それが葉月自身としてではなく、葛野家の継承者という立場でしかなかったとしても。
自分を認めてもらうには勉強して資格をとること。
そのためには友達も恋人も必要ない。

孤独だった。

多くの友人に囲まれ、次々と新しい恋人を作る妹を羨ましいと思うことすらなかった。
私とは違うのだ。
私には使命がある。
私はそのためだけに存在している。
そう信じていた。

ところが葉月が受け継いだ店は廃業を余儀なくされ、葉月が守ろうとしたものは全て崩れ去った。
これから先私は一体何を支えに生きて行けばいいのだろう…
生活のため資格を生かして調剤薬局に薬剤師として勤め始めてはみたが、思いがけない形で生まれて初めて自由を手に入れた葉月は、胸の中にくすぶっていた別の人生への欲求が、むくむくと頭をもたげて来るのを感じた。
働きながら勉強してついにセラピストになった葉月はカウンセリングの仕事を始めてはみたものの、毎回毎回患者から吐き出されて来る黒い負のオーラに染まっていきそうな息苦しさを感じ始めていた。

同じクリニックで週1回シフトが一致する青年医師のことは知っていた。
腰の低いフェミニストで、患者にも女性スタッフにも人気があるが、何を考えているのかわからないので、男性スタッフからは案外腹黒ではないかとやっかみ半分に噂されていた。
クリニック内で挨拶程度はするものの、あまり話したこともなかったが、美しくて寂しげな青年だという印象があった。
いつも微笑んでいて、周囲には優しいが、何処か陰がある。
きっとこの人も何か闇を抱えている。
よくは知らないけれど、何故か何処か懐かしい感じがした。
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Other World 4

2012-07-02 02:04:59 | 日記
[縁(えにし)]

軽い食事を済ませた後、二人は食後のコーヒーを飲みながら、今日初めて会話らしい会話をしたとは思えないほど和やかに語り合っていた。

『葛野さんは、元々薬剤師なのでしょう?どうしてカウンセラーをされているのですか?』
「実は薬剤師はなりたくてなった訳ではないのです。もう廃業しましたが、実家が薬局だったので…せっかく取った資格だから仕事は続けていますが、別の可能性も試してみたくて…」
『そうなんですか。私の実家も医療関係ですよ。もう実家とは絶縁状態ですが。』
「先生も…?私ももう実家とは縁がなくて。奇遇ですね。」
『何だかあなたは私と同じような匂いがします。以前からそんな気がしていました。私達は似たもの同志かも知れませんね。』
医師は少年のように無邪気な笑顔で言った。
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Other World 3

2012-07-02 01:47:48 | 日記
[診察終了後]

時刻はすでに夜10時頃。
診察受付終了後も待合に溢れかえっていた患者も全て診察を終え、受付は会計の精算を始め、ナース達はゴミを出したり、患者が読んだ新聞や雑誌を片付けたりし始め、あっという間にスタッフ達は帰り支度を整えて退勤して行った。

待合や受付も灯りが消え、常夜灯のみとなった中、3診とカウンセリングルームだけにまだ灯りがついている。

非常勤の医師やカウンセラーはその日の治療についての作業を当日中に全て終えてしまわなければならない。
週1、2回しか勤務シフトがないから、残して帰る訳にはいかないのだ。

ようやく仕事が一段落してそれぞれが部屋を出たのが偶然にもほぼ同時だった。

「あ、狐原先生。お疲れ様です。先生も今まで残っていらしたのですか?」
『あぁ、葛野さん。お疲れ様。あなたも?明日もまた薬局へ行かれるのでしょう?大変ですね。』
「先生も明日は他院のお仕事じゃないですか。お互い様ですよ。」
『そうでしたね。あなたとこんなにお話したのは初めてですね。お急ぎでなければ、こんな時間ですが食事でも如何ですか?』
もはや全く空腹を感じなかったが、せっかくの誘いを断るのも悪いとセラピストは思った。
「えぇ、軽いものなら、ご一緒します。」
『では、参りましょう。』
医師は先に立って歩きだした。
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