3月の初めに、竹生島(ちくぶじま)に行くことは決まっていました。
朝早くだったので、流石にほとんど人はいませんでしたが、神職の方がかがんで玉砂利のゴミのお掃除をしているのを見て、やっぱり日本の神社の美しさは、このような地道な作業で成り立っているのだと思いました。
当日の11時に長浜港に集合ということで、それぞれが集まる感じだったので、私はSさんの提案で車で一緒に向かうことにしました。
Sさんと熱海の部屋で合流して、前日の夜に出発ということにしたのです。
他のメンバーはそれぞれで、Iさんは当日新幹線で、みこちゃんといくちゃんは、前日は京都に一泊と言っていたので、後からK会長も合流して京都を巡っていました。
岐阜のアケミちゃんは、車で当日合流しました。
Sさんは、本当にタフでいつも遠くまで車で出掛けるのですが、彼女は、運転中はどこらからかパワー注入されるので疲れないそうですよ。
3月の初めは、少しずつ自粛ムードにはなっていた時期で、外国の観光客は来ていなかったため、みこちゃん達は、京都が空いていることに驚いていました。
私は、竹生島に行くに当たって、竹生島の弁財天は何が欲しいのかを聞いていました。
弁財天は、ミカンが欲しいと言ったので、一番近くにいるアケミちゃんに用意して貰おうと、電話をしてお願いしました。
アケミちゃんも、弁財天からは「桃が欲しい」と言われたとのことだったので、2月26日に確認していました。
弁財天です。
当日持って行くのはは、ミカンでいいですか?
ミカンでいいです。
桃は、今は缶詰めしかないからですね。
本当は桃が好きですよ。
アケミが言った通りです。
ミカンも好きだと伝えてください。
さて、当日は夜中に高速道路を走って、琵琶湖を目指していたのですが、Sさんが多賀サービスエリア内にある「多賀レストイン」で仮眠をしようと言って、途中休憩をしました。
6時間850円というビックリする料金で、お風呂にも入れて仮眠室もあるのですね。
他に、女性が2人しかいなかったので、しばらくゆっくり出来ましたが、私は6時位に起きて支度をして、7時頃にSさんに声を掛けました。
Sさんは、ずっと運転していたので、疲れていると思ったのですが、起きて5分後に「いこか~!」と言ったので、その素早さに驚いていました。
私は、その前から起きていたので、誰が話してくるかと振り子を持ってみると、ミクネの神(天之常立之神)が話してきました。
ミクネだ。
多賀神社に行ったらいいよ。
イザナギが、待っているからな。
多賀神社の「寝た子」も起きると思うよ。
イザナギも話してきました。
イザナギだ。
待っているよ。
何か欲しい物はありますか?
何もいらない。
私よりも「寝た子」を起こして欲しい。
「寝た子」ですか?
スサノオノミコトの子供だよ。
来たら聞いてくれ。
私は、「寝た子」の話は久しぶりだと思いました。
私とIさんが出会った5年前から、スサノオノミコトの沢山いる子供達が封じられていたので、スサノオノミコトのパワーが落ちていたと聞いていました。
どこかに行く度に、そこにいる「寝た子」を起こしてきたので、スサノオノミコトの子供会は、どんどん数が増えていき、スサノオノミコトも、それに伴ってどんどん元気になっていきました。
多賀大社(神様は、多賀神社と言いますが、)に行けばわかるのかと、Sさんと私は長浜港に向かう前に寄って行くことにしました。
私達が、多賀大社に着いたのは8時過ぎでした。
朝早くだったので、流石にほとんど人はいませんでしたが、神職の方がかがんで玉砂利のゴミのお掃除をしているのを見て、やっぱり日本の神社の美しさは、このような地道な作業で成り立っているのだと思いました。
鳥居をくぐって正面の太鼓橋を渡りました。
当社は中世から近世にかけて伊勢神宮・熊野三山とともに庶民の参詣で賑わった。
「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」
「お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」との俗謡もあり、ここに見る「お多賀の子」とは、伊勢神宮祭神である天照大神が伊邪那岐命・伊邪那美命両神の御子であることによる。
天正16年(1588年)には、多賀社への信仰篤かった豊臣秀吉が「3年、それがだめなら2年、せめて30日でも」と母・大政所の延命を祈願し、成就したため、社殿の改修を行わせようと大名に与えるに等しい米1万石を奉納した。
私達は、お参りをした後に、スサノオノミコトの子供は、一体どこで寝ているのか?と思い、聞いてみました。
続きます。