「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
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多賀大社

2020-04-23 07:30:00 | 日記
3月の初めに、竹生島(ちくぶじま)に行くことは決まっていました。

当日の11時に長浜港に集合ということで、それぞれが集まる感じだったので、私はSさんの提案で車で一緒に向かうことにしました。

Sさんと熱海の部屋で合流して、前日の夜に出発ということにしたのです。

他のメンバーはそれぞれで、Iさんは当日新幹線で、みこちゃんといくちゃんは、前日は京都に一泊と言っていたので、後からK会長も合流して京都を巡っていました。
岐阜のアケミちゃんは、車で当日合流しました。

Sさんは、本当にタフでいつも遠くまで車で出掛けるのですが、彼女は、運転中はどこらからかパワー注入されるので疲れないそうですよ。

3月の初めは、少しずつ自粛ムードにはなっていた時期で、外国の観光客は来ていなかったため、みこちゃん達は、京都が空いていることに驚いていました。

私は、竹生島に行くに当たって、竹生島の弁財天は何が欲しいのかを聞いていました。

弁財天は、ミカンが欲しいと言ったので、一番近くにいるアケミちゃんに用意して貰おうと、電話をしてお願いしました。

アケミちゃんも、弁財天からは「桃が欲しい」と言われたとのことだったので、2月26日に確認していました。


弁財天です。

当日持って行くのはは、ミカンでいいですか?

ミカンでいいです。
桃は、今は缶詰めしかないからですね。
本当は桃が好きですよ。
アケミが言った通りです。
ミカンも好きだと伝えてください。


さて、当日は夜中に高速道路を走って、琵琶湖を目指していたのですが、Sさんが多賀サービスエリア内にある「多賀レストイン」で仮眠をしようと言って、途中休憩をしました。

6時間850円というビックリする料金で、お風呂にも入れて仮眠室もあるのですね。

他に、女性が2人しかいなかったので、しばらくゆっくり出来ましたが、私は6時位に起きて支度をして、7時頃にSさんに声を掛けました。

Sさんは、ずっと運転していたので、疲れていると思ったのですが、起きて5分後に「いこか~!」と言ったので、その素早さに驚いていました。

私は、その前から起きていたので、誰が話してくるかと振り子を持ってみると、ミクネの神(天之常立之神)が話してきました。


ミクネだ。
多賀神社に行ったらいいよ。
イザナギが、待っているからな。
多賀神社の「寝た子」も起きると思うよ。


イザナギも話してきました。


イザナギだ。
待っているよ。

何か欲しい物はありますか?

何もいらない。
私よりも「寝た子」を起こして欲しい。

「寝た子」ですか?

スサノオノミコトの子供だよ。
来たら聞いてくれ。


私は、「寝た子」の話は久しぶりだと思いました。
私とIさんが出会った5年前から、スサノオノミコトの沢山いる子供達が封じられていたので、スサノオノミコトのパワーが落ちていたと聞いていました。

どこかに行く度に、そこにいる「寝た子」を起こしてきたので、スサノオノミコトの子供会は、どんどん数が増えていき、スサノオノミコトも、それに伴ってどんどん元気になっていきました。

多賀大社(神様は、多賀神社と言いますが、)に行けばわかるのかと、Sさんと私は長浜港に向かう前に寄って行くことにしました。

私達が、多賀大社に着いたのは8時過ぎでした。



朝早くだったので、流石にほとんど人はいませんでしたが、神職の方がかがんで玉砂利のゴミのお掃除をしているのを見て、やっぱり日本の神社の美しさは、このような地道な作業で成り立っているのだと思いました。

鳥居をくぐって正面の太鼓橋を渡りました。



🌟多賀大社(たがたいしゃ)は、滋賀県犬上郡多賀町多賀にある神社
伊邪那岐命(イザナギ)伊邪那美命(イザナミ)の2を祀り、古くから「お多賀さん」として親しまれた。

当社は中世から近世にかけて伊勢神宮熊野三山とともに庶民の参詣で賑わった。

お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる

お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」との俗謡もあり、ここに見る「お多賀の子」とは、伊勢神宮祭神である天照大神が伊邪那岐命・伊邪那美命両神の御子であることによる。

天正16年(1588年)には、多賀社への信仰篤かった豊臣秀吉が「3年、それがだめなら2年、せめて30日でも」と母・大政所の延命を祈願し、成就したため、社殿の改修を行わせようと大名に与えるに等しい米1万石を奉納した。
境内正面の石造りの太鼓橋(不動院大僧正慈性により寛永15年(1638年)造営)は「太閤橋」の雅名でも呼ばれる。



当社には、お守りとしてしゃもじを授ける「お多賀杓子(おたがじゃくし)」という慣わしがあるが、これは「お玉杓子」や「オタマジャクシ」の名の由来とされている。





私達は、お参りをした後に、スサノオノミコトの子供は、一体どこで寝ているのか?と思い、聞いてみました。


続きます。

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