ノーブル・ノーズの花の穴

麗しき本音のつぶや記
~月に1度ブログ~

無力

2019-02-20 09:36:06 | Weblog

平成の災害スペシャルで、鬼怒川の氾濫を見たが、
改めて、恐いと思った。

ヘーベルハウスにいた人、
その家にひっかかった家にいた人、
電柱のおじさん。

あそこにいるのが分かっているのに、
なかなか助けられない。

途中で手を振るのを止めた、おじさんの気持ちも語っていたけど、
「死んでたまるか!」と、未来を描けた人って、
生き残ってる事が多い。

でも、その反面、人間て無力だと思う。

この間も、駅のホームで、
若いサラリーマンが倒れていて、
ひっくり返して、「救急車!」と叫んだのは、
たくましい男性1人だった。

吐血していた彼の顔は、血まみれだったが、
服は、汚れていなかった。
電車が遅れるのを気にして、
降りるまで、我慢していたのだろうか。

近くにいた数人で、
彼の心臓が動いている事は、確認した。

しかし、後から来た駅員は、他の駅員に、
「AED、持って来て。」と指示してはいたが、
彼の心臓に、触れる事はなかった。
それでは意味がない。

それを見て、私は思った。
もし、人が多いところで心肺停止したら、死ぬなと。

しかし、恨んではならない。
本当は誰だって、救急車ぐらい、スマホで呼べるのだ。
私だって、時間があったから見ていただけだ。

誰も、他人に、本気で関わったりしない。
生きるも、死ぬも、その人の普段の行いと運だ。
運が良ければ、命に間に合うだろう。

10才の少女は、「助けて。」と言ったのに、
助けてもらえなかった。
恐ろしや。
子供は、親を選べない。

私は、何て幸せなんだろう。
今、生きている。
私の辛さなんて、クソみたいなもんだな。

父親が恐くて、対応できなかったんだろう。
だから、具体的な案がある。

恐い相手には、恐そうな担当者を用意しろ。
低い声で、ゆっくりしゃべり、
相手のペースに惑わされない人間を、
臨時で連れて来い。

まずは、見た目なのだ。
交渉で、負けてはならないのだ。

無力でも、やれるところまではやろう。

 

 

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