真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

十大願~十、不量力而為:力量(りきりょう)を発揮(はっき)せず

2023-03-24 20:39:43 | 十大願

不守眞常終墜淵:眞常(しんじょう)を守らずば終(つい)に淵(えん)に堕ち

量解眞情體妙玄:眞情(しんじょう)を量解(りょうかい)して妙玄を体(さと)す

力能進行速英勇:力(りき)んで能く進行し速やかに英勇と

為道終久有光沾:道を為すに終久(ながく)せば光沾(こうてん)有り

解:

眞常とは変わらぬ本性で、それをしっかり守らないと、終(つい)に深淵(しんえん)に堕ちて行きます。

この本性より出でた眞情は当然私事ではなく、公の為であるからこれを量解して妙玄を体(さと)すのです。

それで自分の力量(衆生済渡に、佛法を宏(ひろ)める講師として、仏壇を設ける。

開荒(かいこう)に務め、齊食【さいしょく】を取るなど)を発揮して英勇(えいゆう)となり、道の為に犠牲する志あらば、終に光栄を沾(うるお)うことが出来ます。

一、現在三期末会(さんきまつえい)に際して、各々に各自の位に素(そ)し狄て修行し、功徳を立てているのです。  

1,富貴の位に素しては、環境は他人(ひとり)よりも良いので、仏壇を設けることが出来、布施も出来て功徳を積める時です。

2,貧賤の位に素しては、金銭は自由に転じられないけれど、貧者の一灯も功徳となり、この身を以て道に務むもまた功徳です。

3,夷狄(いてき)の位に素しては、隣り近所みな教養がないと言っても、人間は感情動物であるから、我が誠心(まごころ)でその人達を教化し、善に導くも最大の功徳です。

4,患難(かんなん)の位に素しては、因果を知り、運命は自分の手により改めるのもであるから、更に修道に勉めば、功徳を積む事によって運命を改(か)えられます。

故にこの機会に自分の力量を発揮するのです。

二、犯し易い缺点

1,心が定まらず憂い多し:自分の素位(そくい)を守らず、妄念に馳(か)けて悩みを生じ、情に操作(あやつられ)て、怠慢の心があるから、力量を発揮出来ないのです。

2,世間をあきらめきれず:修道の事情は忙しい、世間の事情には苦があるが楽しみもある。堅苦しい道理を聞くよりも、自由がほしい。このように眼前の快楽だけみて、先見の眼がなく、身が朽ちれば果たしてこの霊性(たましい)はどうなるかも知らず、一向(ひたすら)にこの世の楽しみを探すから、力量を発揮出来ないのです。

三、佳期(かき)はまだ終わっていません。

白陽は始まったばかりです。

この時こそ、財貨を布施に、身を法施に、人の嫌がる仕事を喜んで行い、速く功徳を立て、過去の愆(あやま)ちを消滅し、己の力量を尽くし至誠に達し、天に代わって眞理を宣べるならば、上天も決してその労苦に負(そ無)かず、光栄を賜(たまわ)ります。

結論

十條大愿人人立 十條の大愿を人々は立て

能悟之者行大道 能く之を悟れる者は大道を行う

依此前進大道成 此れに依り前進せば大道は成り

了愿帰根返瑶地 愿を了(お)えて帰根(きこん)し瑶地(ようち)に返る

解:

十條の大愿は求道するに、人々が立ち、始めて眞伝を得られるのです。

この性理眞伝は古の秘伝で、お釈迦さまも聖人も菩薩も愿を立てて誓いの言葉を述べました。

この事を能く悟って大道を行い、この眞理に基づいて進めば大道は成就すると共に誓願は了(おわ)って本性は帰根(きこん)し無極瑶地(むきょくようち)に返るのです。

若しもこの十大願を了らすことが出来ず、天道の宝貴も知らず、無視してこの世で迷っているならば、求道はしたものの、前世の寃孽(えんげつ)は消えず、新たな仇(あだ)を造り、どうして極楽浄土ん返れましょうか。

故に三宝は得たとしても、自分に功徳が無ければ、災難を逃れることは難しいのです。

例えば災難が向かいから来れば、三宝はすぐにでも使えましょうが、後面から車や災難がくれば、三宝を使う閑もなく、どうして逃れられましょうか。

この時こそ功徳によるのです。

故に十大願の内容を研究し、道に励んで行きましょう。

そして一人でも早く覚(さと)りの岸に済度して功徳を積んで行きましょう。

以上、十大願を終わます。

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