真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

天道推奨~(四)各神仏の天道証明 (1)釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)の証道

2024-05-19 20:33:39 | 天道推奨

(四)各神仏の天道証明

天道はあらゆる人の所有であり、各階層の人の心とすべき存在であります。

殊(こと)に聖者、神仏にとりましては重要欠くべからず生命の糧であります。

茲(ここ)に四大聖人の天道証明を列挙(れっきょ)して御紹介いたしたいと存じます。

天道を得た各聖者もともに斯の時運に応えて道の闡揚(せんよう)に腐心(ふしん)なされておられます。

本訓は砂文字の様式に従って各地の仏堂に於いての御神示であります。

数多い御聖訓の中から特に含みの深い所を抜粋して意訳致しました。

不十分の処は訳者の不勉強に依る所でありますが、只、天界に於いての各聖者の主旨本願を現代の人々にも分かって頂きたいとの一念からであります。

どうぞ心して読まれ、人人にもお知らせ下さいましたら幸甚の至りに存じます。

尚、「釈迦古仏の御聖訓」はその全文を掲載いたしました。

(1)釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)の証道

仏眼を啓(ひら)いて衆々(もろもろ)の修行者を看(み)るに、多くは未だに仏道の根源をしらないようである。

暁(し)らないようである。

諸因縁を遠離(おんり)し、正覚に帰依し、波羅密多(パラミダ)、即ち彼岸へ至る道は今、眼前の間直に在る。

一人一人に皆、如来の菩提性(ぼだいしょう)が隠されて、一旦、妙智慧を得れば圓覚(えんかく)に照(かがや)いて罣礙(かかわり)や纏(まとい)が無くなるであろう。

十方界の中(内)は真理によって貫かれ、偉大なる老〇(ラウム)が統宰(とうさい)なさっておられる。

四大は皆(すべて)、空と化しても真如(しんにょ)だけは綿々として光輝くであろう。

仏と衆生は元来、異なる所はないが迷いと悟りが大きな分岐点になる。

身相(真相)や諸行は無常である理を知って意を和に帰し、心を発(おこ)して道を修め、玄を悟られたい。

徒(いたず)らに虚幻(まぼろし)や翳(かげ)や生滅(しょうめつ)に執着すると寂静(じゃく場)や阿羅漢果(あらかんか)を得られないだろう。

涅槃(ねはん)に入る門戸には明師の指点が必要で、無字真経(むじしんきょう)を授記(じゅき)されてこそ、始めて参ずることができるであろう。

この陀羅尼心法(だらにしんぽう)の無量無辺の義趣(ぎしゅ)を含み、諸々の悪法を捨離(しゃり)して無量の善法を保持する威神力(いしんりょく)を有している。

今までは独授(どくじゅ)の伝統を守って庶民化されなかったが、末法の世となり、天命降(くだ)って一般に其義(そのぎ)を了悟するのを許された。(中略)

私の天盤統掌(てんばんとうしょう)の時期は既に尽きて、弥勒仏の正法が新しく明らかに復された。

これは大慈大悲の天命に基づくもので群倫(ひとびと)は平等に智慧三昧(ちえざんまい)の妙証(みょうしょう)に潤うことができた。

法は法でも比類なき法でこの密語(みつご)を授かり、一念すれば大霊験が顕れよう。

如何なる禅機(ぜんき)よりも奥蘊(おくふか)く更にまた玄妙(げんみょう)である。

これを得れば極楽浄土を完璧にし、業縁を絶やし、四生と六道を離れ、非憂(ひゆう)と苦悩は滅されることであろう。

諸賢には果たして正しい四諦(したい)、五蘊(ごうん)の縁起がわっているだろうか。

天道は三世の因果を解き、妙智が現れて一切の邪見を失くし、六塵六慾を清浄にする。どうか外門を遠ざけて正道に帰せられたい。(後略)

続く

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