真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

【Ray:政治では世の中を変えることはできない時代になりました!】【LIVE】参政党定例記者会見ライブ配信!8月30日(水)15:00~

2023-08-30 20:09:26 | ONEメッセージ

【LIVE】参政党定例記者会見ライブ配信!8月30日(水)15:00~


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釈迦略伝~(一)前生 (二)降臨

2023-08-30 20:06:26 | 釈迦略伝・釈迦仏説因果経・観音菩薩伝・慈航渡世問答・達磨大師伝

この世界は3次元ですが、小さい時から異次元体験をしたことのある人は以外に多いと思います。もともと人は4・5次元の存在ですがだんだんと密度が濃くなってもう忘れかけていたところです。

今回から全6回に分けてお釈迦様の伝記を掲載します。お釈迦様が実際どのような方でどのようにして真理を求めたか、その要点が記されたものです。歴史的な証拠や遺稿を参照して様々な釈迦伝説がありますが、本編は天界の高次元の仙佛 済公活仏(さいこうかつぶつ)様が実際の物語を解りやすく伝えるものです。

夢と思っている現実の世界、あるいは現実と思っている幻の世界が交叉している物語のようですが、真実の物語というのは天命に添った生き方、その人が役目を果たすために歩んできた道のりです。私たちは多次元の存在です。.あらためて過去の聖人の歩みをたどりながら、聖人の人生から真理の重要性について汲み取っていただきたいと思います。

 大英博物館所蔵 釈迦牟尼佛画像

済公活仏著 釈迦略伝

(一)前生

お釈迦様の前世は、歌利王(かりおう)にご体を切り裂かれた故事があります。

ある時、歌利王が多くの妃や宮女を引き連れて山に狩りにゆきましたが、疲れて山で休んでいるうちに眠ってしまいました。

しばらくして目を覚ますと、連れてきた多くの妃や宮女は一人もおりません。

山をあちこち探し尋ねると、一つの山洞があり、妃や宮女はその山洞の前で僧侶の説法を聞いていました。

歌利王は大いに怒り、僧侶に向かって「汝は婦女をなぜここに誘ったのか」と責めたてました。

僧侶は「われは実に無欲なり」と答えました。

すると王はまた「いかにして、汝は色を見てもなお無欲と申すや」と詰問しますと、僧侶は「持戒あるのみ」と答えました。

王はまた「何を持戒と申すや」と問いますと、僧侶は「忍辱なり」と答えました。

王は「忍辱と聞くやいなや大怒りして刀を抜き僧侶に切りつけ、「汝に問うが痛かろう」というと、僧侶は「実に痛からず」と答えますと、王はますます怒り僧侶の身体を切って節々に分解しつつ「汝に問うが我を恨むや」と問うと、僧侶は「既に無我なり、いずこより怒りや恨みが来たるや」と答えました。

この時、四天王が震怒し一時に強風が起こり、石や砂が飛んで天龍八部が一斉に護法しました。

僧侶の分解された身体はまた元通りになりました。

歌利王は大変恐れて僧侶の前にひざまずき、伏してあやまちの赦しを請いました。僧侶はただちに王に代わって、天に赦しを求めました。

するとまたたく間に天気は晴れわたりました。

そこで王も改心し善功をつむことを誓いました。

僧侶もまた「もし成仏することを得られれば、我まさに汝を先に度す」と発願しましたが、その僧侶こそが後世の釈尊でした。

歌利王はすなわち五百世後お釈迦様誕生の時の憍陳如(ぎょちんにょ)でした。

憍陳如はまた阿若憍陳如(あにゃぎょちんにょ)ともいい、中印度迦比羅城(かびら城)のバラモン種族に生まれました。

卜術(占い)に長じ、お釈迦様誕生の時も、いち早く召されて卜を占なったことがあります。

その後お釈迦様が出家して、尼連禅河畔の山中で苦行された時、憍陳如は実にお釈迦様に随侍していた五大弟子の一人でした。

(二)降臨

釈迦の二字は、

中国語に訳せば能仁(のうじん)となり、牟尼(むに)の2字は寂黙(じゃくもく)になります。

お釈迦様の父親は、中インド迦比羅国の国王で浄飯王(じょはんおう)といい、母親は麻耶(まや)夫人といいました。

麻耶夫人は勤倹で、質朴質素な方で贅沢な生活を喜ばず説法や道の教えを聞くことを好まれました。

44歳のとしの時に天から神人が降りてくる夢を見てお釈迦様を懐胎しました。

麻耶夫人は臨月にあたる4月8日に藍比尼園(らんびにえん)に参りましたが、ちょうどこの時、園内はのどかで暖かい春の日で無憂樹(むうじゅ)の花が爛漫に咲き乱れていました。

世間で釈迦牟尼佛という方がこの日ここで降誕されました。

推算してみると、西暦紀元前約1029年(記録では紀元前400年前後が多い)にあたり、中国では周昭王(しゅうしょうおう)24年のことでした。

中国の歴史上にも、その4月8日には山や川が振動して五色の光が大微星をつらぬたと記録され、また太子の蘇田(そでん)というものが国王に「大聖人が西方に生まれ、一千年後にその教えがこの地にも及ぶことでしょう」と奏上したと記録されています。

お釈迦様はご誕生後、母の麻耶夫人と共に迦比羅城に帰りましたが、父の浄飯王は生まれた太子をご覧になって大変喜び、悉達多(しったるだ)と名前をつけました。

悉達多の三文字は「一切成就」の意味になります。

麻耶夫人は、お釈迦様誕生後七日にして亡くなりました。

そこで、麻耶夫人の妹君の波闍波提(はじゃばだい)夫人が代わって愛護養育しました。

悉達多太子が七歳になって、婆羅門(ばらもん)の学者の一人跋陀羅尼(ばつだらに)が師として学問を教えました。

しかし迦比羅国の領土はわずかに5百方里余りの一小国で、諸大国の間に挟まって群雄と対立しなければなりません。

そこで浄飯王は、孱菩提婆を招聘して太子の師として、もっぱら武芸を教えるようにしました。

悉達多太子は聡明であり、文武に通じたのでその名声は内外を震わせました。

続く


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済渡の心構え 応用 五

2023-08-30 19:55:25 | 済渡の心構え

五、老幼・貴賎・迷悟を皆、教師とすべし。

宇宙間、万物群生一切、天命を受けて生成活動す。

故に一つとして無為無益なる存在なし。

全ての物は顕に微に語り掛けんとし、一切の者は聖に凡に教え訓さんとす。

謙虚にして万声を傾聴せば悉く引導説法ならざるはなし。

続く


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天道略説~(三)天道の聖訓

2023-08-30 19:54:28 | 天道略説

(三)天道の聖訓

天道では直接、神様から御啓示を頂く特典が許されています。

御神事の様式は一部宗教で催(もよう)している「霊媒(れいばい)」とか、或いは「巫女(みこ)」「扶機(フーチィ)」「イチコ」「ヨリキ」「御台(ごだい)さん」亦は心霊学研究のグループで行っている「霊言現象(トランス・スピーチ)」「守護霊(しゅごれい)」や催眠術(ヒプノコジ―)等による心霊界との暗示や連絡とは全然異なっています。

斯様な連絡法によって着いてくる霊は狐精(きつねのせい)とか狸精(たぬきのせい)、蛇精(へびのせい)の妖精類(アリーるい)か亡者、死霊等、低級な遊魂(ゆうこん)が憑(かか)るだけであります。

釈迦、弥勒、観音、達摩、キリスト、マホメッド、孔子、孟子、老子などのような過去に天命を受けた仏、仙、神、聖や菩薩の御霊はとても降臨できません。

天道ではこれらの神格のある仙仏は勿論、より以上の親神様である

老〇(ラウム)の親しい御降壇(ごこうだん)を年に五回も許されています。

普通、開壇の時が特別事情による請訓(せいくん)の時には天命を奉(う)けた神格のある神仏が啓示訓諭(けいじくんゆ)にあたられます。

御臨壇の時は天壇の前で天才と称する少年少女(完全菜食無我無念)の身体を使い、静かに砂盤(すなばん)の前に直立し両手で木筆(もくひつ)を軽く持って黙祷しますと、瞬間的に神様の御霊(みたま)が入れ替わり、左横書きに何人にも鮮やかに見て分かる文字で画き現わされます。

非常に速度は早く滾々(こんこん)と湧き出る泉の様に後から後から現われて参ります。

左横に立っている人才が早速声高に読み上げ、そのまた左横にいる地才が即座に書き留めます。

三才の合霊は丁度水の流れるように続けられます。

昼夜を問わず何時いかなる天壇でも御臨壇を仰がれます。

御神事の時間は仙仏によって一時間か二時間、或いは五時間、六時間も書かれます。

亦は一昼夜連続される場合もあります。

この様な有難い特典は古今東西を通じて天道にしか許されていないことを明言いたします。

この厳粛な飛鸞宣化(ひらんせんか:砂文字)に参列できる方は余程、御縁の深い人でないと許されませんが、貴方も是非一度このような感激の式典に参加したいとは思いませんか。

さぞ貴方の生涯にとって意義深いことと信じます。

もし生涯の記憶と神の真実を知りたいと望まれましたらお申し込みになれば開催時に招待して頂けます。

それは素晴らしい、有難い一言に尽きます。若し貴方に御縁が深く神様が必要を感じられた場合には個人的に指名されて、特に将来の進行方針を明示や暗示で導いて下さいます。

神様は私達の前途を見透され正しい方向へご指示を垂れ賜うのです。天道の伝道者は総て御神事による御聖訓に基づいて講和し且つ行動します。

御聖訓こそは現代に即応した生きた経書聖典であります。

人間の言葉ではなく直接、神様から賜った貴い訓諭の集録であります。

御聖訓を読んでいる間に言い知れない喜悦と希望が湧いてまいります。

人生の不可解なことも解明されます。

人間のことは言うに及ばず、大霊界(理天)の内情か事細かく窺(うかが)われます。

それに地獄界、幽冥界(ゆうめいかい)の凄惨(せいさん)や処刑、罰罪も明瞭詳細に記され、読む人をして目の辺りにその状況が手に取る様に分かります。

御聖訓を読むことによって各宗教の真髄も分かり、亦総ての宗教を超越した崇高な心持にもなれます。

雑念や煩悩に苦しめられている場合、静かに一章だけでもお読みなれば忽(たちま)ち消散(しょうさん)して清らな智慧の泉が湧いてまいります。

不正邪悪な心が起こった時、一節や一頁だけでも読まれますと、直ちに軽率な行為は矯正され未然に犯罪を防げます。

憤怒(ふんぬ)疑惑がある場合、十分間黙然するとすぐ氷解して感謝と信頼に変わってしまいます。

能力が集中して物事に正しい判断が得られます。

高尚な真理を読まれますから広い智力と偉大な才能が発達してまいります。

何時も絶えず読んでいると知らず知らずに私達の血となり肉となって、人格教養が段々高くなって行き、謙遜な心寛大な心を持つことができます。

自然に太古の聖人、尊者の様な気魄(きはく)と威厳(いげん)も具わって参ります。

迷っている時はこれによって光明の彼方に導かれます。

妙智慧が開かれますから記憶力が増進してきます。

斯様に御聖訓の力は真に絶大且つ尊厳なものであります。

絶えず人生の辛酸を受けている私達にとっては、どうしても即刻に確実な安心立命のご指示が必要です。

どうぞ常に天道の御聖訓を肌身離さず携帯して寸暇を割いてお読みなるよう勧めいたします。

必ずや肉体的の救いと永久に霊的な救いが得られることを固くお約束申し上げます。

続く


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性理題釋~五十七、理気象三天

2023-08-30 19:52:49 | 性理題釋

五十七、理気象三天

理天は即ち真空であり、形色もなく、ただ一塊の虚霊(きょれい)で、潜(ひそ)む時には大変虚(むな)しく敏感であり、寂然(じゃくぜん)として動かぬもので、大きくして包まざるものはないのであります。

現れる時には、非常に神妙で敏捷(びんしょう)であり、感ずれば終に通じ、細微(さいび)にして入らざるものはないのであります。

形色はありませんが、形色あるものを生育し、声臭はないが、声臭を主宰できるのであります。これを見ても見られず、聞いても聞こえないもので、それは本物を遺(のこ)しません。これを生んだものもなく、これはまた死せず滅びず、永遠の霊明であり、永久に存在するもので、且つ永く万類の根本をなすのであります。

気体や物体は勿論、すべてはこの理を離脱する事は出来ないもので、万物が生存すればこれは依然として存在しますが、万物が消滅しても、その理は元のままで存在するのであります。

心経に『不垢不浄(ふこふじょう)、不増不減(ふじょうふげん)』と申されましたが、それはこの理の本体を説かれたのであります。

故に無象(むしょう)の象を実象と申し、無体の体を実体と申すのであります。

気天は宇宙間の気体であり、普通天と申すのであります。

故に気体は軽くて清らかなもので、地は重くて濁ったものであります。

軽くて清いものは陽に属し、重くて濁ったものは陰に属しますが、陰陽が相対して乾坤(けんこん)をなします。

乾坤の乾は天をなし、坤は地をなしますが、我々が常に言う“天地万物”の天は即ち気天であります、もしこの天がなかったならば、地も支持することが出来ないばかりでなく、人類や万物も成長することが出来ず、日月星辰(せいしん)も空中に安定する事が不可能であり、その他一切の形ある物体も、すべて存在する事が出来ません。

故に気天の働きは即ち気流の変更や昇降をなし、黙って四時(四季)を運行し、万物の終始を掌(つかさど)るのであります。

象天は形色のある現象の世界で、実質があり、目で見られる世界であって、天には日月星辰がり、地には山川や動・植・鉱物等がある訳であります。

換言しますと、すべて形体のある物体は勿論、有情無情を問わず、一切象天に属するのであります。

総括して申せば、理は無極の老〇様の仏体の性であり、気は太極の陰陽であり、象は形相であります。

生まれる時には理より気を生み、再び気により象を生みますが、破壊する時には、象が早く破壊され、気がこれに続き、理は破壊されないのであります。

譬えば、人が臨終(りんじゅう)に至れば、先ず耳や目が昏迷(こんめい)となり、手足が動かなくなって、後に気(呼吸)が断たれるのであるが、只一つ霊の真性は、又輪廻に転じ、別の殻(から)に投じて生まれて来るので、もし輪廻を脱しようと思えば、修道しなければなりません。

孔子様は『朝に道を聞けば、夕に死すとも可なり』と申して、即ち道を受けて修める事により輪廻を免れ、生死を終了する事が出来ることを申されたのであります。

続く


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