真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

性理題釋~五十七、理気象三天

2023-08-30 19:52:49 | 性理題釋

五十七、理気象三天

理天は即ち真空であり、形色もなく、ただ一塊の虚霊(きょれい)で、潜(ひそ)む時には大変虚(むな)しく敏感であり、寂然(じゃくぜん)として動かぬもので、大きくして包まざるものはないのであります。

現れる時には、非常に神妙で敏捷(びんしょう)であり、感ずれば終に通じ、細微(さいび)にして入らざるものはないのであります。

形色はありませんが、形色あるものを生育し、声臭はないが、声臭を主宰できるのであります。これを見ても見られず、聞いても聞こえないもので、それは本物を遺(のこ)しません。これを生んだものもなく、これはまた死せず滅びず、永遠の霊明であり、永久に存在するもので、且つ永く万類の根本をなすのであります。

気体や物体は勿論、すべてはこの理を離脱する事は出来ないもので、万物が生存すればこれは依然として存在しますが、万物が消滅しても、その理は元のままで存在するのであります。

心経に『不垢不浄(ふこふじょう)、不増不減(ふじょうふげん)』と申されましたが、それはこの理の本体を説かれたのであります。

故に無象(むしょう)の象を実象と申し、無体の体を実体と申すのであります。

気天は宇宙間の気体であり、普通天と申すのであります。

故に気体は軽くて清らかなもので、地は重くて濁ったものであります。

軽くて清いものは陽に属し、重くて濁ったものは陰に属しますが、陰陽が相対して乾坤(けんこん)をなします。

乾坤の乾は天をなし、坤は地をなしますが、我々が常に言う“天地万物”の天は即ち気天であります、もしこの天がなかったならば、地も支持することが出来ないばかりでなく、人類や万物も成長することが出来ず、日月星辰(せいしん)も空中に安定する事が不可能であり、その他一切の形ある物体も、すべて存在する事が出来ません。

故に気天の働きは即ち気流の変更や昇降をなし、黙って四時(四季)を運行し、万物の終始を掌(つかさど)るのであります。

象天は形色のある現象の世界で、実質があり、目で見られる世界であって、天には日月星辰がり、地には山川や動・植・鉱物等がある訳であります。

換言しますと、すべて形体のある物体は勿論、有情無情を問わず、一切象天に属するのであります。

総括して申せば、理は無極の老〇様の仏体の性であり、気は太極の陰陽であり、象は形相であります。

生まれる時には理より気を生み、再び気により象を生みますが、破壊する時には、象が早く破壊され、気がこれに続き、理は破壊されないのであります。

譬えば、人が臨終(りんじゅう)に至れば、先ず耳や目が昏迷(こんめい)となり、手足が動かなくなって、後に気(呼吸)が断たれるのであるが、只一つ霊の真性は、又輪廻に転じ、別の殻(から)に投じて生まれて来るので、もし輪廻を脱しようと思えば、修道しなければなりません。

孔子様は『朝に道を聞けば、夕に死すとも可なり』と申して、即ち道を受けて修める事により輪廻を免れ、生死を終了する事が出来ることを申されたのであります。

続く


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