やじうまPC Watchの記事に「富士通の親指シフトキーボード終了」と載っていました。
ワープロが初めて職場に入って来たのが1982年頃。
コピー室の専用机の上に富士通のOASYS100が鎮座。
物珍しさもあって皆がコピー室に集まり他人が打つのを見ながら順番待ちの行列ができました。
親指キーを併用しながら文字を選ぶ操作が複雑過ぎて私にはスムースに扱えず、機械に明るい後輩に頼んでランチをおごる約束で文書作成してもらっていました。
そのうちしだいに台数も増えて待ち行列もなくなり、私がランチをご馳走する事も次第に減ってきました。
特殊なキー配列がJIS規格に採用されず次第に利用者も減り、ついにこの日を迎える事になり残念ですが、日本語をよく研究した配列の親指シフトキーボードでの文字入力は、ローマ字入力よりずっとスピーディだったように思います。
ワープロが初めて職場に入って来たのが1982年頃。
コピー室の専用机の上に富士通のOASYS100が鎮座。
物珍しさもあって皆がコピー室に集まり他人が打つのを見ながら順番待ちの行列ができました。
親指キーを併用しながら文字を選ぶ操作が複雑過ぎて私にはスムースに扱えず、機械に明るい後輩に頼んでランチをおごる約束で文書作成してもらっていました。
そのうちしだいに台数も増えて待ち行列もなくなり、私がランチをご馳走する事も次第に減ってきました。
特殊なキー配列がJIS規格に採用されず次第に利用者も減り、ついにこの日を迎える事になり残念ですが、日本語をよく研究した配列の親指シフトキーボードでの文字入力は、ローマ字入力よりずっとスピーディだったように思います。
仰る通り親指シフトは優れものでしたがパソコンが一般に使われる様になってから一挙に廃れました。
亡くなるのは少し寂しい気がします。
我が社にOASYSで書類を作るプロが居ましたが今どうしているか。
そんなことを思いだしました。
明日は春分の日。これからは雪解けが加速、待ちに待った菜園の季節ですね。
それまで(下手な字で)手書きだった会社の文書もOASYSが導入されると急に立派に見えました。
OASYSにまつわる話は色々と思い出されますね。