ニルヴァーナへの道

究極の悟りを求めて

地下鉄サリン事件はロシアの日本への間接侵略だったのか?

2007-02-10 16:34:22 | カルト

チャンネル桜の討論「日本と国際インテリジェンス戦争」という番組がYoutubeで見ることができる。

討論「日本と国際インテリジェンス戦争」1/6(H19.1.27)
討論「日本と国際インテリジェンス戦争」2/6(H19.1.27)
討論「日本と国際インテリジェンス戦争」3/6(H19.1.27)
討論「日本と国際インテリジェンス戦争」4/6(H19.1.27)
討論「日本と国際インテリジェンス戦争」5/6(H19.1.27)
討論「日本と国際インテリジェンス戦争」6/6(H19.1.27)


この討論番組の中で、元公安調査庁調査第二部長菅沼光弘氏は、情報が国家の死命を制するのだ、と元公安調査庁の幹部らしく、情報の重要さを力説しながら、国家へのテロを企てられた日本は、当然そのテロの深層を追求すべく、オウムとロシアの関係を徹底的に洗い出していかなければならなかったにもかかわらず、当時の政権の意志として、表面的な捜査だけで、ロシアとの関係の追及をやめて、ただオウムの妄想教義にのみ力点を置いた捜査に疑問を呈して、公安調査庁をやめた経緯を語っている。オウムの地下鉄サリン事件の本当の目的とは何だったのか、ずばり、菅沼氏は、ロシアの日本への間接侵略だったのだと言う。なるほど、そういう視点もありうるだろうな、木だけを見て森を見ず、という言葉もあるように、オウムのヴァジラヤーナの教義分析だけに終ってはならないだろう。オウムはロシアに利用されたのだ、という視点を持つことは大切だろう。なぜ、あれほど、短期間のうちにロシアで信者数を増やし、ロシアの政権の高官にも接触することができたのだろうか。やはり、ロシア側にも何らかの思惑があったことは間違いないだろう。
何故、「オウム問題を考える議員の会」の世話人代表で、ロシアに人脈がある石井紘基衆院議員が殺されたのか、何か、匂ってくる事件だ。
このような謀略がからんでいると思われる事件を考えるときは、こうだという決め付けはやめて、常に、複眼の視点を持つことが、今後の謀略に打ち勝つ鉄則だろう。日本人はとりわけ謀略に引っかかりやすいし、情報戦には脆弱だ。今回の諜報の専門家の話を聞きながら、日本人の弱点を再認識させられたし、だからこそ、この民族的な弱点を克服すべく、いろいろ学んでいかなければならないと思った。

不都合な真実

2007-02-09 16:59:59 | 
ニューズウィーク日本版2月7日号で、地球温暖化の特集記事が掲載されていたが、日本のこの冬の暖かさも、やはり、地球温暖化の影響ではないかな、と思う。もうこの流れは止まらないのではないかと思う。いくら科学者が警鐘を鳴らしても、人間が欲望を追求し、快適さを求める、「煩悩的」存在である限り、地球の温暖化という現象は止まらないと思う。はなはだ悲観的であるが・・・・・。正直、もう遅いのではないかなとも思う。ニューズウィークのゴアへのインタビューで、地球温暖化阻止の「伝道師」ゴアが、「今、行動しないのは正気じゃない」と語っているが、多くの人には、よそ事のように思えるのではないか。みんな、自分のことで精一杯なのである。勿論、私もだが(苦笑)。根本的な意識改革はできないのではなかろうか。それこそ、出家するような心構えにでもならない限り、ちょっとした意識改革はできるかもしれないが、根本的な生活スタイルの変革はむずかしいと思う。ニューズウィーク誌のこの記事の中で、「ガイア理論」の提唱者ラブロックは警告する、「人類はエンジンの壊れた小さな船でナイアガラの滝に向かっているようなものだ。」と。地球は、そのような身勝手な人間にとって「不都合な真実」に直面させるべく、終末的な破滅へ向かって、休むことなく、進んでいくのだろう。


「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 平成19年(2007年) 2月8日(木曜日)号に、今、話題を呼んでいるアル・ゴアの映画「不都合な真実」を観た読者からの感想が掲載されていましたが、非常に詳しく内容を紹介されていて、なかなか面白いので、このブログにも転載させてもらいます。
http://www.melma.com/backnumber_45206/


(読者の声3)暇つぶしに『インコビニエント・ツルース』という映画を観に出掛けました。インコンビニエントとはコンビニの否定形だから便利でないという意味、ツルースはツルー(本当の)の名詞形だから、ふたつの単語をつなげると”便利でない本当”、これでは意味が通じず、辞書を引くとコンビニエントには、都合のよいという意味があり、そうすると、映画のタイトルの意味は”都合のよくない本当のこと”となります。席に着いて映画が始まるとテーマはすぐ”地球の温暖化”だと判り、タイトルの意味が解けました。 世界の二酸化炭素の三割以上を出すアメリカが、地球温暖化の主犯だと訴えているのです。 辞書を引かなくてもよかった。(苦笑)
スタジオと思しき場所に集められた人びとが、2000年の米大統領選挙でブッシュに敗れたアル・ゴアを取り囲んでいる映像が映し出され、ここが二時間近い映画の舞台でした。
大型ディスプレイに次々と映し出される写真、イラスト、図表、グラフを駆使して、ゴアが類まれなスピーチ力を武器に(これ自体たいへんな見物です)、手振り身振りを交えて、説得力とユーモアも具えた熱弁を理路整然と展開します。
ゴアは話の劈頭、「元、次期大統領のアル・ゴアです」 とジョークをまぶし、観客の爆笑を誘い、途中にアニメを挟んだり、ゴアが環境問題の講演で世界を駆け抜けている飛行場、機内、講演会場のシーン、昔の家族・故郷の古色的な処理をした映像を繰り返し挿入して、変化をつけたテンポのある進行で、高校生以上なら理解できる内容で、観るものを飽きさせません。

キリマンジャロ、アルプス、ヒマラヤなどの、世界各地の有名な雪山の数十年前と現在の写真を並べて、雪の多寡を見比べさせ、北極や南極の氷が解けて次々に崩れ落ちる衝撃的なシーンを映し出し、グリーンランド大陸の土台が解けた雪水に浸蝕され崩壊するさまをイラストで示し、海面上昇でサンフランシスコやニューヨークの水没する地域をその航空写真を塗りつぶして示し、深層海流の消滅とそれがもたらす表層海流温度の急激な変化を予想し、赤道での一度上昇は極点では十二度もの変化となると説き、早ければ10年後に地球(に棲息する人類)が破滅すると主張するのです。映画のタイトルが”本当のこと”と銘打っていながら、そりゃ何とかの”大予言”じゃないのとチャチャを入れたくなるのは私だけでしょうか。

ゴアの環境問題への取り組みは、俄か仕込みでなく学生・青年時代からだと丹念に解説し、小さいわが子が交通事故に遭ったことがその問題へゴアを向かわせた決定的な切欠になったとお涙頂戴的な箇所もあります。ゴアが育ったブラック・アンガス(肉用牛)の遊ぶ緑り豊かな牧場や水温む川の流れる田園風景が繰り返し写され、これを失いたくないという素朴な思いを訴えます。
しかしこの映画を学校の授業で使ったら、生徒の父兄が政治的なキャンペーン映画を教材にしたとその学校を訴えたよし。
たしかに、大統領選挙に出た男の活躍を宣伝し、主張をプレゼンテーションしている映画ですから、政治性が無いとはいえません。 フォードやGMの車の販売台数が落ち込み、トヨタ・ホンダの売れ行きが伸びるだろうと棒グラフで示されていて、反日プロパガンダも卒なく入れ込まれています。若い人ほど、ショックを受けるだろう映像や悲観的な大予言に満ちています。

これを観て想ったのは、先月アメリカのユタ州で行われた、米映画界のリベラル派の雄ロバート・レッドフォードが立ち上げたサンダンス映画祭で上映された「南京」のことです。
この映画のプロデューサー、AOL元副会長のテッド・レオンシスが、アイリス・チャンの「レイプ・オブ・ナンキン」を読み感動して、制作を思い立った映画です。
監督のグッテンターグはそれを肯定していないようですが、映画祭でこれを観た人から聞くと、 日本軍の残虐性を強調して描いた仕上がりになっているそうです。
その映像には、大戦中ハリウッドで作られた反日映画「バトル・オブ・チャイナ」の上海攻撃の映像がそのまま南京の戦闘シーンとして借用され、日本軍の残虐性を描く制作意図のもとに、都合のいい映像を修正編集している疑惑が拭えない作品です。
 つまり活字と偽装写真でつくられた噴飯アイリス本の映像化に他ならないのです。
アイリス本が噴飯物であることは、日本の名のある出版社が邦訳版の出版を忌避していて、未だに日本語で読めないことがその証左です。

映画「南京」はまだ観ていませんが、キャンペーン映画のクリーム(極み・精華)と言っていい出来栄えのゴア映画を観ると、アメリカは侮れない国だと思うのです。
ゴアの父親も政治家(上院議員)で、彼が副会長を務めたオクシデンタル石油の創始者アーマンド・ハマーの実父は米共産党の創立者で、ハマーはレーニン・スターリン他のボルシェヴィキと親交があり、ハマーの妻はCIAがソ連スパイと断定したロシア女性でした。 米の左傾勢力とゴアの主唱する環境運動が地下水脈で繋がっていて自由世界を溶かそうとしているのです。
映画「南京」には在米華僑人界がかかわっていて、彼らの背後にはペキン政府がいます。日本で孤軍奮戦している映画『南京の真実』の制作陣を応援する気持ちがふつふつと奮い立ってきました。
日本からの反撃映画の成功を祈らずにはいられません。
  (HN生、品川)

ラリーキングライブ宗教討論会(2)

2007-02-03 03:16:24 | 英語
この世界の始まりをどのように説明するのか、なかなか面白い考え方が披露されています。カバラ研究者のアーロン師の言葉はインド哲学的な雰囲気が漂っています。マリアン・ウィリアムソンは、さすがベストセラーを出している宗教家だけあって説明の仕方がうまいですね。わたしがなるほどと思ったのは、「神学を超えている体験」こそが重要なのだ、という考えです。そして、サーマン教授の仏教の無知と罪の関係の説明もさすがだと思いました。

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KING: How do you explain, Rabbi, the beginning, the big-bang theory is the thing accepted in the physical world, among the scientists? What do you accept? Where did this start?

キング:アーロンさん、この世の始まりをどのように説明しますか。科学の世界ではビッグバン理論ですが、あなたは何を信じていますか。この世はどこで始まったのでしょうか?

AARON: Well, according to the Kabbalah, the divine god is the all-embracing reality. And when people are looking for God, they really have to ask themselves not where is God but where am I, because according to the Kabbalah we exist within God.

アーロン:カバラによりますと、神が全ての現実を表します。人々が神を探し求めるときは、みんな神がにどこにいるのかではなく、自分が何であるのかを把握する必要があります。何故なら、カバラによると私たちは神の内に存在しているからです。

KING: What is the Kabbalah?

キング:カバラとは何ですか?

AARON: The Kabbalah is the mystical Jewish teachings, which give us the secrets of the Torah, the prophetic teachings of Moses.

アーロン:カバラとはユダヤ教の神秘的聖書解釈法であり、トーラの秘密やモーゼの教えを説きます。

KING: Falls under the orthodox?

キング:正統派の系列ですか。

AARON: Orthodox -- sure, of course.

アーロン:正統派ですね。

KING: So you couldn't be a Conservative or Reform Jew?

キング:保守派もしくは改革派ではないということですね。

AARON: No, no, no. It's beyond denominational.

アーロン:そうです、違いますね。宗派を超えています。

KING: So you believe that the beginning -- there is no beginning?

キング:あなたは宇宙の始まりはなかったと考えるのですか?

AARON: No, I believe there was a beginning, but that beginning was created within God.

アーロン:いいえ。始まりはあったと思いますが、それは神の中で創造されたものだと信じています。

KING: Deepak.

キング:ディーパクさん、どうですか・

CHOPRA: There is no beginning, because...

チョプラ:始まりはありません、なぜならば・・・・・・

KING: No beginning?

キング:始まりはないのですか?

CHOPRA: ... as soon as you say there is a beginning, the immediate question and dilemma is, if there was a beginning, what's there before the beginning. If there is an ending, then what's there after the ending?

チョプラ:始まりがあると言うと、その始まりの前に何があったのかという疑問が湧いてきます。ディレンマがあるのです。終わりがあるとすれば、終わりの後は何もないのかという疑問が起こってきますでしょう。

KING: If there is a God, who made God?

キング:それでは神が存在するとすれば、誰が神を創ったのでしょうか?

CHOPRA: Who made God. So God is acausal -- without beginning, without ending, eternal.

チョプラ:神は因果を超越しているので、始まりも終わりもなく永遠です。

KING: Franklin, do you accept that?

キング: フランクリン、賛成しますか?

GRAHAM: I believe God is eternal. I believe he's a spirit. I don't believe there was ever a beginning with God, and I don't think there's an ending with God. Larry, God loves us, and I agree with the statement that was said earlier that God is a God of love who cares so much for us that he sent his son, Jesus Christ, out of heaven, down to this earth to die for our sins. I think, Larry, one of the problems we have -- or the problem we have today is a sin problem. The world has sinned against God. We have turned our back on God. We have broken his laws. But yet, God -- the Bible says God so loveth the world that he gave his only begotten son, that whosoever believeth in him shall not perish but have everlasting life.

グラハム:神は永遠であり魂です。神に関しては始まりはなかったと考えています。また、終わりもありません。ラリー、神は私たちを愛しています。先ほど言ったように神は愛の神なのです。私たちのことを気にかけており、天国から息子のイエス・キリストを地上に送ってくれました。キリストは私たちの罪のために死んでくれました。現代の一つの問題として、罪の問題があげられます。世界は神の掟を破り、神を裏切ってきました。しかし、聖書によりますと、神は自分を信じるものは永遠だと教えています。

KING: Do you believe, Marianne, there was a day when it began and a seven-day process and an Adam and an Eve? Do you believe that?

キング:マリアン、あなたは世界の始まりの日があり、七日間の天地の創造があったこと、そしてアダムとイブの誕生の物語を信じますか?

WILLIAMSON: Well, I think that there's some archetypical truths to those images. But I think, as Deepak was saying, as soon as you bring in the notion of linear time, you're actually moving away from the discernment of a deeper truth, which is beyond that. And so a lot of these concepts, they're important. They're theologically interesting certainly, and they're significant. But there's an experience beyond theology that I think is most important, particularly today. And that's our capacity to forgive each other, to love each other, to find mercy and tenderness toward each other. That's what's most important to me.

ウィリアムソン:そうですね、そのようなイメージには、ある原型的な真理があると思います。しかし、わたしは思うのですが、ディーパックさんがおっしゃったように、直線的な時間の概念を持ち込むと、実のところ、時間の概念を超越しているより深い洞察から遠ざかるのではないでしょうか。それで、このような聖書の概念の多くは重要です。それらは、確かに、神学的に興味深く、重要です。しかし、神学を超えている体験が存在します。私はこの体験が最も重要だと思います。特に、現代においては。そして、その体験こそが、互いを許し、互いに愛し合い、互いに慈愛と寛容を見出す受容力なのです。わたしにとっては、それこそ最も重要です。

KING: And we'll get into a lot of those areas. Robert Thurman, what in all of this picture is hate?

キング:それでは、これらの話をさらに掘り下げたいと思うのですが、サーマンさん、宗教において憎しみとは、まず、何ですか?

THURMAN: Hate, Larry, from the Buddhist view, hate is based on ignorance -- people who feel the ignorant idea that they are something separate from the rest of the universe. They're separate from God. They are separate from other people. They then feel afraid of other people and then they develop a sort of defensive reaction of fear and then subsequently hate. So it -- we don't emphasize so much the sin aspect of it, although hate produces sinful activity, negative activity. But the underlying cause of that is the ignorance, the failure to know, Larry that you and I are one in the ultimate level. God and you and I are also one on the ultimate level within the inconceivable field of love, really, Larry. That's the thing. We shouldn't try to impose our own stories on reality in such a way as to insist it fit with our theories, and then we can relax and flow with it and we will avoid hate.

サーマン:ラリー、憎しみは仏教徒から見ると無知からくるものです。自分が宇宙や神や他の人たちとは関係がないという誤った考え方を持っている人の無知です。そしてそのような無知に覆われた人は、他の人を恐れ、自分を守ろうとある種の保身的な反応を起こし、そこから憎しみが生まれます。ですからわたしたち仏教徒は、憎しみが罪のある行為やネガティブな行為を生み出すにもかかわらず、あまり罪の側面を強調していません。根本の原因は無知なのです。ラリー、あなたやわたしは究極のレヴェルにおいては一つなのだということに気が付かないことなのです。神やあなたやわたしもまた究極のレヴェルにおいては、不可知の愛に包まれて同一であるのです。それが分からないことがこの問題の核心です。そして、わたしたちは自分たちの考えを無理やり現実にあてはめようとするべきではありません---例えば、現実というものは自分たちの理論に適合しなければならないと言い張ることなど ---。そうすればリラックスでき、現実の流れにそって歩むことができ、憎しみを回避するでしょう。

■【参考】この最後の、自分の考えへの固執に対する戒めは、仏教の無常観からくるのだと思います。現実というものは、常に変化するものだから、それに執着しては駄目なのだというアドバイスですね。この教えと同様なものを最近のサーマン教授のインタビューの中に見つけましたので、その部分をここに紹介してみましょう。なかなかうまい比喩をしています。この場合は、自己というものの無常性を認識するということでしょうか。

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http://www.healthylivingnyc.com/article/150

HLNYC: How does rigidity of identity affect our lives?

自己のアイデンティティーは変化しないものだという考え方はどのようにわたしたちの生活に影響を与えているのでしょうか?

RT:We all have this notion of fixed subjectivity, from the Buddhist scientific, not religious, point of view. The Buddha’s discovery was that there is no such thing; there is no unchanging essential identity mask or subjectivity inside of a person. People are completely relational to everything, therefore everything is always changing. So they are always changing. And the attempt to unify the understanding of the changing world with the awareness or the knowledge of self that does not change creates tremendous stress. It is like the person who stands in the breaking wave instead of a person who is surfing the edge of the breaking wave and going with the flow of it. So the basic essence of Buddhism is to learn to be in the flow rather than to resist and try to rigidly be something.

仏教の科学的なーー宗教的ではありませんーー視点からみれば、わたしたちはみんな、この固定した主観性という観念を持っています。ブッダはそのような固定した実体というものは存在しないのだ、ということを発見しました。人間の内部の、変化しない、本質的なアイデンティティーという仮面や、主観性は存在しないのです。人間というものは、完全に、すべての事物と関係があり、ゆえに、すべては常に変化しているのです。そしてこの世界は変化しているのだということを知っていながら、この自己というものは変化しないのだという観念や知識を自分の中に持ち込もうとする試みは大きなストレスを生み出します。それはあたかも、サーフィンをしている人が砕ける波の上端に乗りながら、波の流れと一緒にサーフィンする代わりに、砕ける波の中に立っているようなものです。ですから、仏教の基本の教えは、抵抗しながらかたくなに何かになろうとするよりも、むしろ、流れの中に入ることを学ぶということです。
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KING: What, Deepak, is your religion?

キング:ディーパック、あなたの宗教はどのようなものですか?

CHOPRA: I come from the Vedantic school, which isn't really a religion. It's a spiritual experience. And religion often becomes dogma and belief. And I believe that the true religious experience transcends all of that -- that, you know, spirituality is a domain of awareness where we experience our universality, and that love is not just a mere emotion, as Marianne was saying. It's the ultimate truth.

チョプラ:ヴェーダーンタ哲学です。宗教というより霊的な経験だと表現したほうがふさわしいのです。宗教は教義や信仰になる場合が多いのですが、私は真の宗教的体験というのはそれらを超越すると考えています。精神性というものはわたしたちが普遍性を体験する意識の領域であり、愛は、マリアンが今言ったように、単なる感情ではなく、究極の真理だと思います。

KING: Do you therefore disagree with Franklin Graham?

キング:グラハムさんの言うことには反対ですか?

CHOPRA: I do. I think there's no such thing as sin. I think there is ignorance. I think there's lack of awareness. And when you are more aware, then you don't do the things that are called sin, that everyone is really doing the best they can from the level of awareness.

チョプラ:はい。罪は存在しません。無知は存在すると思います。それは気付きの欠如なのだと思います。気付きが深くならばなるほどれば 、罪と呼ばれる行動は犯さないのです。気付きから最善のものを行うことが出来るのです。

KING: I'll pick up with Franklin and the rest. We'll ask why good people do bad things. This is LARRY KING LIVE. Our entire program tonight deals with spirituality. We'll be including your calls as well. We have got five terrific guests. Don't go away.

キング:コマーシャルの後でフランクリンやその他のゲストの方々に何故善人が悪いことをするのかお聞きしていきます。今夜は魂の問題を論じていきます。後で視聴者の電話の質問も受付ます。今夜は素晴らしいゲストに登場していただいています。チャンネルを切り替えないようにお願いします。