新沼健 日々独言

映画・ドラマの感想、美味しかった料理、街歩き、世相に関する私の考えなどを書いています

西郷さんの痕跡 奄美大島 1

2022年04月21日 10時09分24秒 | 旅行
▲西郷さん上陸の地


喜界島から奄美大島に移動しました。
10分あるかなしのフライトでした。

奄美大島に到着した前後からポツポツ雨が降り始めました。

空港からレンタカーを借り、市街地の予約しているホテルまで40分ほどの移動でした。

翌朝は本降りの雨に加え、かなり激しい風が吹いていて天気予報を確認しても、大荒れの天気が確定的なので予定していた観光をすべて取りやめ、ホテル内での読書三昧ということになりました。

さらに翌日は雨風が収まっていたので、東京へ帰る前に西郷さんが立ち寄った場所を訪ねることにしました。

西郷さん上陸の地





▲西郷さんが見たであろう景色


西郷さんが入水自殺未遂後に流されたのが奄美大島でした。
当地では菊池源吾と名乗り3年にわたって幕府の目を逃れるため潜伏していたということで、大河ドラマ「西郷どん」を視聴されていた方はよくご存知かと思います。
その西郷さん上陸したところがこちらです。
立っていた松の木に、乗ってきた船をもやったということで「西郷松」と言われていたそうですが、枯死してしまったため切り倒されたそうです。

その跡地に記念碑が立ち、お土産物屋さんが営業しています。そこの黒糖ピーナッツはなかなか美味しく、お土産には最適でしょう。

▲西郷松で作ったテーブル


▲西郷松で作った西郷さんと愛加那の木像


▲在りし日の西郷松





続く

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喜界島の観光名所 喜界島 3

2022年04月15日 10時33分38秒 | レビュー 映画・ドラマ
▲道端の花


一昨年亡くなった母のルーツが喜界島にあることが、死亡手続をする際に判明しました。

そこで鹿児島まで来た機会に、喜界島に渡ることにしました。

ホテルに戻り、レンタカーに乗車し、島内を巡ってみることにしました。

手久津久の巨大ガジュマル





樹齢100年を超えると推測されています。
下から見上げると、空を覆い隠すように伸びる枝や16mに及ぶ幹回りは圧巻です。
不思議な力に満ちあふれている、島一番のパワースポットです。
普通はここまで伸びると枝の自重で折れてしまうのですが、周りの木が枝を支えていること、大きな岩から生えているため、気根が幹回りに集中しているという、奇跡的なバランスの中に立っています。(喜界島ナビより引用)

コンクリート製掩体壕





知覧特攻平和会館の資料にもありましたし、それより以前に読んだ「永遠の0」で、零戦21型を主人公・宮部に譲り、零戦52型で特攻に出撃した井崎がエンジンの不調で喜界島に不時着したという記述が妙に記憶に残っていました。

実際に、喜界島は不時着陸場として使われていたそうで、このコンクリート製掩体壕で、不時着した戦闘機の整備がされていたそうです。

僧俊寛の墓

▲僧俊寛の墓


▲僧俊寛の像


平安時代に京都鹿ケ谷で平氏(平清盛)討伐を企てた鹿ケ谷の陰謀に失敗し、喜界島に流刑になった源氏の流れの高僧、俊寛の墓です。

喜界島で流人生活を過ごした俊寛は1180年(治承4年)37歳の生涯を喜界島のこの地で終えました。

この地を「ボーズンメ(坊主前)」と呼び、花や線香が絶えることなく供えられています。

 墓石の下からは人骨も発見されました。人骨を調査した結果、島外の相当身分の高い人物であったこと、刀傷があったことから、俊寛本人の人骨ではないかと言われています。(喜界島ナビより引用)

僧俊寛の墓という伝承は他にもあるそうです。
鹿児島県の硫黄島、長崎県の伊王島などがそうです。

ウフヤグチ鍾乳洞









かつては鍾乳石や石筍(せきじゅん)が発達してましたが、大平洋戦争時に守備隊の防空陣地となり、鍾乳石は打ち壊され、石筍は一部取り払われています。

入り口付近では鎌倉時代のものとされる「長石の辻遺跡」が発見されました。(喜界島ナビより引用)

魔女の木






サトウキビ畑を連絡する道路脇にぽつんと立っています。
サンゴの岩の上で成長している不思議な木です。


シュガーロード




サトウキビ畑を2キロ以上に渡って一直線に伸びる道路です。
サトウキビの収穫がほとんど終わっていたのが少し残念で、青々とした畑を区切る直線を見てみたかったです。

サトウキビ畑





▲ハートの中にウクライナ国旗?


現在朝ドラで放映中の「ちむどんどん」で沖縄ヤンバルでのサトウキビの手斧での収穫風景が出ましたが、現在ではかなり大型の機械で刈り取っていました。


百之台国立公園












喜界島の中央部に広がる標高203mの隆起サンゴ礁の高台です。

展望台に上がってまず目にするのは地球の丸さを実感させてくれる水平線です。

眼下に広がる整地されたサトウキビ畑、エメラルドに輝くサンゴ礁の海は絶景です。

約12万年前には、この地は海の中にありました。
奄美十景の一つです。

隆起珊瑚礁で形成された段丘斜面と植生が評価され、平成29年3月7日(火)に国立公園に指定されました。(喜界島ナビより引用)

こちらはなかなかの絶景ポイントでした。
喜界島に行く機会があればぜひお訪ねください。

七島鼻(喜界島最高所)



▲通信所跡


パラグライダーの離陸場として利用されており、喜界島で一番空に近い場所です(最高地点211.962m)。

戦時中は敵機来襲をいち早く捉えて戦闘部隊へ報告する電波探知機隊が駐屯しており、現在も通信所跡が残っています。

ここからの見晴らしは絶景で、東に太平洋、西に東シナ海が望めます。(喜界島ナビより引用)

最高所ということですが、見晴らし自体は百之台国立公園のほうが良かったです。


続く

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喜界島の観光名所 喜界島 2

2022年04月12日 09時44分27秒 | 旅行
▲喜界島の観光名所マップ


一昨年亡くなった母のルーツが喜界島にあることが、死亡手続をする際に判明しました。

そこで鹿児島まで来た機会に、喜界島に渡ることにしました。

ホテルに戻り、レンタカーに乗車し、島内を巡ってみることにしました。

喜界島、海はとてもキレイですが、サトウキビの栽培が主な産業のようで、観光資源と呼べるものがほとんどありません。

町では、観光課が頑張って観光名所にしているところが数カ所あり、できる限り行ってみようとグーグルマップに道路の誘導をお願いすることに。

ちなみに、車載のナビには喜界島の観光名所はほぼ載っておらず、全く役に立ちませんでした。

喜界島で、レンタカードライブを予定されている方、スマホでのグーグルマップナビは必須かと思われます。

▲雁股の泉

保元の乱に敗れた源為朝が琉球に渡ろうとした際に時化に遭い、喜界島の沖合いを漂っているときに、島に住人がいるかどうかを確かめるために放った雁股の矢にちなむ泉です。矢の刺さった場所からこの泉が湧いたとされています。(喜界島ナビより引用)



▲ムチャ加那公園


その昔、奄美の加計呂麻島(かけろまじま)の生馬(いけんま)という村に、ウラトミ(マシュカナともいう)という、それはそれは世にもまれな美人がいました。

当時は薩摩が琉球王国を征服した頃で、島津の統治下にあった奄美諸島にも竿入り奉行が来て検地がおこなわれました。 奄美では、奉行のことを竿入殿(そちどん)といい、その権力は大変なものでした。

竿入りが加計呂麻でも始まると、美しいウラトミはすぐに奉行の目にとまりました。

奉行はさっそくウラトミの家を訪れ両親にウラトミを自分のアンゴ(現地妻)として差し出すよう要請したのです。
しかし、これをウラトミは拒みました。両親も何とか説得しようとするのですが娘の態度は変わりません。 それからも奉行はあの手この手で迫ってくるので、ウラトミは山の中の奥深くへ逃げかくれてしまいました。
おこった奉行は一家にはもちろん、村中に重い税をかけるなど陰湿な仕打ちをおこなったのです。

村にまで迷惑が掛かってはいけないと思い悩んだ両親は、ウラトミを小舟に乗せ、身の回り品や食料、飲み水、三味線 を載せ「生きながらえてくれ」と祈りながら、海に押し流しました。

その頃、奄美大島の隣島、喜界島でも竿入れのまっ最中でした。

ある日、喜界島の小野津村の役所で、役人がその日の竿入りの計算をしていると、沖の方から なにやら三味線と美しい歌声が聞こえてきます。役人たちが声のするほうを眺めていると小さな舟が岸の方に近づいてきます。
しばらくすると小野津のトバヤの海岸には、そのしらべに聞きほれた沢山の人たちが集まってきました。

浜辺に流れ着いた舟から降りてきたのは、いままで見た事もないような美しい女性でした。

加計呂麻からウラトミを乗せ流された小舟は幾日かの漂流後、喜界島の小野津村へ流れ着いたのです。

その後、彼女は村人みんなの前に案内され、奉行や役人などを含めて輪になり彼女を歓迎する大酒宴となりました。
彼女は酒宴の間、一時も弾く手を休めず、歌い続けました。奉行や役人たちは、酔いが回るにつれ、入れかわり立ちかわり 「一献を」と杯をさしだすのですが、頭を軽く下げてほほ笑むだけでやめようとはしません。
ところが、彼女の前に来た島役人、国吉が杯を差し出すと、今まで弾き歌い続けていたのをピタリとやめ、うやうやしく 杯を受けとり、一息に飲み干しました。

やがて二人は夫婦となり、神宮の海岸に群生するアダンの山を切り開いて山羊小屋のようなそまつな家で暮らし始めました。
二人の生活はとても貧しいものでしたがムチャカナという娘もでき平和な日々が過ぎていきました。

年月は経ち、二人の娘であるムチャカナが年頃になると、母にも劣らぬ美人に成長しました。
ムチャカナの美貌は他の村でも評判となり、彼女を嫁にしようと多くの男達が集まりました。

これを見た村の女達は面白くありません。嫉妬に燃え、ついにはムチャカナを殺す計画を企て始めたのです。

ある日、村の女達は、ムチャカナをアオサ(海苔)摘みに誘いました。女達の計画を知るよしもないムチャカナは、女達の誘うままに 出かけていきました。早春の頃になると、荒波の所ほど、みずみずしいアオサが生い茂るのを知っている村の女たちは荒波のそばで アオサ摘みに夢中になっているムチャカナの背後に忍び寄り後ろから海に突き落としたのです。

夕暮れになっても帰ってこないムチャカナを心配して両親は家々を訪ねまわるのですが、だれも知らないと言います。
母、ウラトミは狂ったように海辺を探し回りますが娘は見つかりません。
次の日も、またその次の日もムチャカナは帰ってきません。村のみんなはヘトヘトに疲れあきらめかけていましたが、父と母だけは なおも重い足を引きずり杖にすがって山に登っていきました。山の上から浜辺を見下ろすと遠くの方で一群のカラスが 舞っています。「もしや」と思い山を駆け下り海へ走るとそこには変わり果てた娘、ムチャカナの姿があったのです。

父と母は狂ったように亡くなった娘をむしろに包んで泊まりの小山に埋め、杖にしていたガジュマルを卒塔婆(そとば:死者の供養の ために立てる木の板)代わりにさして冥福を祈ったという事です。(この時のガジュマルは大樹となり「トバヤ(十柱)ガジュマル」と呼ばれるようになりました。)

その後も母ウラトミの悲しみは消える事無く、ついには崖から身を投げ娘の後を追ったのだそうです。(喜界島ナビより引用)

▲ハワイビーチ


とてもきれいな海の様子から、地元の方が「ハワイビーチ」と名付けたのだそうです。
水はきれいですが、たどり着くまで結構大変でした。





▲サンゴの石垣


サンゴの石垣を巡らせた民家。
石の形は全く違いますが、八丈島の玉石垣を思い出しました。

▲八丈島の玉石垣




続く

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サトウキビとエメラルドグリーンの海 喜界島 1

2022年04月08日 10時47分42秒 | 街歩き
▲サトウキビとエメラルドグリーンの海 喜界島


一昨年亡くなった母のルーツが喜界島にあることが、死亡手続をする際に判明しました。

そこで鹿児島まで来た機会に、喜界島に渡ることにしました。

空港前でレンタカーを借りて、アーリーチェックインをお願いしてあった今日の宿「ビジネスホテル喜界」に移動します。

借りた車がトヨタのアクアでしたが、初めてのハイブリッド車の運転ということで、なかなかエンジン(?)がかからずもたついてしまいました。

スタートボタンを押しても運転可能状態にならず、5分ほど、ああでもないこうでもない、といじっていましたが解決せず、レンタカー事務所の方に始動方法を訪ねたところ、ブレーキを踏みながらスタートボタンを押さなければならないことが判明し、無事エンジン(?)というかモーター始動に成功。

▲ビジネスホテル喜界


空港前からおよそ1〜2分で「ビジネスホテル喜界」に到着。
荷物をおろし一息つきました。

天候はなかなか回復せぬままそろそろお昼という頃合いになったので、ホテルから近く、評判の良い「あすなろ」というステーキ屋さんに行き、「レモンステーキ」をいただきました。

▲あすなろ レモンステーキ


ステーキを名乗るには少し、薄すぎるような肉厚でしたが、まずまずのお味でした。
私が食事を終えて出る頃には満席でしたので、喜界島では優良なレストランなのでしょう。

レストランを出るとすっかり晴れており、そのまま、空港臨海公園の空港周遊道路を散歩することにしました。

この公園にはスギラビーチという海水浴場とキャンプ場が隣接しているとのことでした。

島の周囲にはリーフがあるのか、スギラビーチは大変穏やかな砂浜で、海がとても綺麗でした。




▲フェンスの内側が喜界空港です


▲空港周遊道路






▲スギラビーチ





続く

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30年数年ぶりの鹿児島旅行 9 喜界島へ

2022年04月07日 09時43分37秒 | 街歩き
▲喜界島に到着


3月22日から3月27日まで、実に30数年ぶりの鹿児島旅行に行ってきました。

一昨年亡くなった母のルーツが喜界島にあることが、死亡手続をする際に判明しました。

そこで鹿児島まで来た機会に、喜界島に渡ることにしました。

鹿児島空港から空路でおよそ1時間、喜界島に到着しました。

▲鹿児島市内


▲鹿児島からはプロペラ機


▲かなり小さい空港施設


到着時は天気が回復しておらず、アーリーチェックインをお願いしていた投宿先に向かいました。


続く

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