▲ユージンスミス伝記「魂を撮ろう」
ユージンスミスの伝記「魂を撮ろう」(石井妙子著)を読み終えたことと、初見の時はトイレのため途中5分ほど退出してしまったのが少し心残りだったので、映画「MINAMATA」を再見してきました。
初見の時に行ったTOHOシネマズ二子玉川ではすでに終映しており、TOHOシネマズ・日比谷シャンテにて上映中なのを確認してWEBで予約しました(すでに1日に一回の上映だけになっていました)。
今回は途中退出しないよう、朝から水分摂取を最小限にした上で、上映開始時刻の30分前に最寄駅である日比谷に到着。
日比谷シャンテを目指して地下通路を進み「日比谷シャンテ」というビルに進入、映画館を探して3階まで上がってみても映画館はありません。
ショップの店員さんに聞くと、このビルは「日比谷シャンテ」という物販ビルで映画館は別棟になるとのこと。
急いで1階までおりて隣のビル前にTOHOシネマズの看板を確認して4階まで上がり、チケットを発券しようと機械を操作するも、予約がありません、というメッセージが出て発券できず、少々焦ってきました。
係の方にTOHOシネマズからの予約確認メールを見せながら尋ねると、「ここはTOHOシネマズ日比谷で、日比谷シャンテは別棟になります」とのこと。そんなことドヤ顔で言われても、と困惑しつつ、また急いで1階までおりて、今回は念入りに周辺を探し、やっと目的の日比谷シャンテにたどり着き、直前のトイレを済ませ座席に滑り込むと、映画泥棒が出てきて、本編開始まさに直前というタイミングでした。
さて、映画「MINAMATA」ですが、せっかくユージンスミスの伝記「魂を撮ろう」を読み終えたので、史実と映画による虚構の部分を私なりに解説していきます。
映画では、ユージンスミスとアイリーンによる水俣の取材は、Life誌特集企画のため数週間で、という設定でしたが、実際の取材は3年間という長期に亘っていました。
当初は3ヶ月の予定だったそうですが、その期間、ユージンスミスとアイリーンの二人だけでなく、石川武志という写真専門学校を出たばかりの若者が助手として参加しました。
なお、映画には石川武志をモデルにした人物は登場しません。
映画冒頭、アイリーンから水俣取材を持ちかけられたユージンは、沖縄戦で懲り懲りなんで、もう日本には行きたくないといって断りますが、実際は日立製作所のコマーシャル撮影のため、1961年に来日し、1年間日本で過ごしています。
初見の時、國村隼がユージンを工場内を案内するシーンが始まった時、多分大した展開はなかろうと、トイレ退出してしまったのですが、退出中の國村隼のセリフに映画制作者のメッセージが詰め込まれていました。それが分かったので、本当にこの映画を再見して良かったです。
國村隼は閾値(しきいち、どんな毒物でも、0からある値までは無害であること)を説明するために、ppmという用語で、チッソが水俣湾に排出しているのはごく微量で安全であるといい、さらには水俣の患者たちを、日本すべての人、ひいては世界中の全ての人から見れば、ppmなのだから無視していいのだと傲然と言い放ちます。
そしてユージンに、水俣で撮った全てのネガを5万ドルで買い取ると、現金の入った封筒を渡そうと押し付けてきますが、ユージンはそれを突き返します。
買収が失敗するとみるや、ユージンが暗室として使っていた小屋から現像済みのネガを盗み出し、放火します。
実際にそのようなことはなく、買収も放火も映画上の虚構でありましたが、現実にチッソは水俣病の原因が自身の工場廃液であることを従前から知悉した上で、廃液を流し続けてきた、という悪質極まる企業でした。
また、映画でユージンは、水俣でチッソ社員に襲われますが、実際にはチッソ水俣工場ではなく、五井工場(千葉県)で襲われ、失明寸前の大怪我を負います。
チッソの公式声明は、ユージンは自分で勝手に転んで怪我をした、というもので一切の責任を認めませんでした。チッソに責任はないと認めるなら、治療費は払うと後に申し出たそうですが、ユージンはきっぱり断っています。
そういう悪質極まる会社なので、買収や放火といった極端な脚色も致し方なしと考えます。
映画でユージンは、暴行後の傷だらけのていで、有名な母子入浴像を撮っていますが、実際は、負傷する以前に撮影しています。
それもただ単に、報道カメラマンの常・アベイラブルライトで撮影したわけでなく、写りを考え、助手のアイリーンがライトを天井に反射させ、柔らかい補助光を当てて撮影しています。
アイリーンの、体を持ち上げて、ほんの少し手を持ち上げて、という映画のセリフは、実際の撮影時の指示に基づいているようです。
▲田中実子さん
「魂を撮ろう」のとびら写真に、田中実子さんの写真が載っています。
ユージンが何枚撮っても、ジツコちゃんを上手く撮れないといって泣いたそうですが、そのジツコちゃんが、映画に挿入された当時のモノクロ映画に写っていて、あの子がジツコちゃんなんだとすぐに分かりました。
▲船場岩蔵さん
同様に、「魂を撮ろう」のとびら写真に、船場岩蔵さんの写真が載っています。
この写真が、映画でユージン達が病院に忍び込んで撮影した患者の写真、顔だけは撮らないで、と言われ硬く結んだ指をアップにした写真だと分かりました。
「魂を撮ろう」で一切触れられていないことから、病院に忍び込んで撮影した、というのも、多分、映画上の虚構と思われます。
再見して思い違いでないと確信したことですが、子役たちは、日本から連れていくのが予算的に難しかったのか、撮影地であるセルビアで現地調達したのだろうと思われます。
初見の時も、ユージンが早朝にスナップに出かけた時に撮影した女の子がハーフにしか見えなかったので、水俣には私の知らなかった、水俣女性と米軍兵士との悲しい、進駐軍の時代でもあるのかと思ってしまいましたが、特にその後にそんな描写もなく、制服警官に家探しされて号泣していた真田広之の子供たちの顔もまるで日本の子供に見えなかったので、しばらくどういうことだろうかと思っていました。
エンドロールで撮影スタッフの名前に、〜ビッチ、〜ビッチ、〜ビッチと繰り返し繰り返し出てくるので、この映画は日本でもハリウッドでもなく、東欧で撮影したのかと思い、注意深くエンドロールを見ていると、どうやらセルビアで撮影されたということに気づきました。
まあ、となればトヨタの旧車は持って行けたけど、子役は現地調達するしかなかったのかなあ、ということなのでしょう。
映画でのユージンはあまり人間的に魅力的な人物としては描かれていません。
それどころか、気難しいとても厄介な奴、というように描写されましたが、実際のユージンは、とても人懐っこい田舎者のアメリカの小父さんとして、アイリーンの日本の親族や、水俣の人たちとすぐに仲良くなって地域に溶け込んだのだそうです。
以上が、映画「MINAMATA」に関する、史実と映画による虚構の部分の私なりの解説です。
改めて映画「MINAMATA」に関する感想ですが、ユージンの写真集「MINAMATA」とその背景をとても丹念に研究していることがよく分かりました。
だからユージンの伝記を読んでから改めてこの映画を見直すと、どのシーンがどの史実を元に構成されているのかが実によく分かりました。
そして、基本には報道写真家・ユージンスミスに対する深い尊敬と愛情が見て取れる、とても素敵な映画でした。
これほど中身の濃い映画を見たのはずいぶん久しぶりのような気がしました。
ただ、この映画のキモが、社会正義を報道写真によって実現しようとする偉大な写真家の物語だったのに、エンドロール前に色々出てきた世界中の環境破壊の様々を悲劇的に強調していたのには無茶苦茶違和感を感じました。ヒステリックに叫ぶグレタ・トゥーンベリを連想してしまいました。
アイリーンが日本の京都で存命していて原発反対派なのだそうで、映画での「入浴する智子と母」の使用を許可する代わり、それらの一連の宣伝を入れることを交換条件としたのかもしれません。
それでも、当作品については、上映するところが非常に少なくなっておりますが、私は、劇場での鑑賞を超強力にお勧めします。
というわけでここ数週間、すっかり忘れきっていた、水俣病やチッソのことをなんとなく勉強したわけですが、その中で思い出したことがあります。
今上陛下と皇后陛下御結婚の際、公害企業・チッソの縁者が皇室に入る、というネガティブな記事を読んだことです。
内容は全く忘れていたためググってみると、皇后陛下の母方の祖父・江頭豊氏がチッソ社長を務めていた、ということを確認しました。
社長就任期間は1964年12月から1971年7月、映画の時代設定は1971年3月以降でしたから、國村隼のモデルはまさか??
実際の江頭豊氏は被害者との直接交渉を徹底的に避けていた(逃げまくっていた?)そうで、映画のチッソ社長・國村隼のモデルとなったのは、嶋田賢一氏ということが資料写真からもわかります。
江頭豊氏はチッソ社長就任から1968年までアセトアルデヒトの生産を継続していたことから(アセトアルデヒトの生産が水俣病の原因となった)、今に続く水俣病の惨禍に全く関係が無いとは言えないと私は考えます。
また、一株株主として株式総会に出席した患者たちの発言を封じるため、総会屋・警備員(暴力団との噂まである)を使って、ユージンにしたのと同様に、殴る・蹴るなど暴力的に排除した、という話が残っています。
という訳で、当初皇后陛下は、早々に妃候補から外されていたのだそうですが、今上陛下の強い思いでご成婚にこぎつけられた、ということだそうです。
あれ、なんか最近似たような聞いた話を聞きませんでした?
ということは、なんだ、姪も姪なら叔父も叔父!?ということなんですか?
皇后陛下が妃になる時、水俣病患者の「多くの人が納得し喜んでくれる状況」にあったのか、映画なり写真集で病状の悲惨さを実感すると、極めて疑問に思う今日この頃です。
今まで今上陛下に親王殿下のいないことを常々残念に思っておりましたが、今はその方が良かったような気さえしております。
それくらい、色々深く考えさせられた映画「MINAMATA」でした。