脇差 眠龍子壽實
脇差 眠龍子壽實文化四年
刃文で富士山を焼くを得意とした刀工。刃文を絵画のように焼くのは外道だとでも言いたい方もいるだろうが、製作という点では難しい。筆で描くわけではない。刀は焼刃土の置き方で刃文が決定するわけだが、必ずしも富士山のように土を塗るわけではない。焼刃は頗る冴えており、焼ムラがなく、刃境が鮮明、しかも刃中にも足が入り雲が掛かったように匂が立ち込めている。富岳の頂き辺りには雪が残っているかのように匂が配されている。丁子乱で表現した木立の様子も優れている。総てが優れている。これで斬れ味が良いのだから文句あるまい。刃文の形だけではない。そもそもこの一尺二寸前後の、南北朝時代には腰刀として重宝されていた武器とは、抜刀し易いことから室内での防備にはもちろん、戦場でも混戦の中での抜き打ちなどに用いられた、究極の武器である。絵画調の刃文だからと言って低く評価するのは愚かだ。
脇差 眠龍子壽實文化四年
刃文で富士山を焼くを得意とした刀工。刃文を絵画のように焼くのは外道だとでも言いたい方もいるだろうが、製作という点では難しい。筆で描くわけではない。刀は焼刃土の置き方で刃文が決定するわけだが、必ずしも富士山のように土を塗るわけではない。焼刃は頗る冴えており、焼ムラがなく、刃境が鮮明、しかも刃中にも足が入り雲が掛かったように匂が立ち込めている。富岳の頂き辺りには雪が残っているかのように匂が配されている。丁子乱で表現した木立の様子も優れている。総てが優れている。これで斬れ味が良いのだから文句あるまい。刃文の形だけではない。そもそもこの一尺二寸前後の、南北朝時代には腰刀として重宝されていた武器とは、抜刀し易いことから室内での防備にはもちろん、戦場でも混戦の中での抜き打ちなどに用いられた、究極の武器である。絵画調の刃文だからと言って低く評価するのは愚かだ。
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