野田さんが代表選が終わった後、「ノーサイドにしましょう」と言っていた。ノーサイドってなかなか男らしい態度だと思う。試合が終われば敵味方なしということである。
ただ、考えてみれば当たり前のことで、政治の目的は日本を良くするということであって、ある政治家が権力を手にすることが目的ではない。だから、たとえ自分が総理になれないとしても、日本が良くなればそれでいいはずである。政策の違いはあっても、本来、政治家同士は敵味方同士ではない。
もし自分の主張する政策が唯一正しいもので、ほかは全部ダメだとすれば、人を蹴落としてでも自分の政策を実行すべきである。しかし、「日本を良くする」ための政策は一つではない。いろんな方法がある。
もし、ある政治家が自分の主張することが全て正しくて他人の言っていることが間違いだと思っていたらどうなるのだろうか。
その政治家は自分の政策と違う政策を実行したら、その政策の失敗を願うようになるだろう。なぜなら、それによって自分の主張の正しさを証明できるからだ。
だが、ここに矛盾が生じていることにお気づきだろうか。政治家は日本を良くするために存在している。しかし、自分と違う政策の失敗を願っている。政策の失敗は日本がダメになることである。つまり、本来、日本を良くするために存在している政治家が、日本がダメになることを願っているということになるのである。
もし、二大政党の本質が、自分たちの政策が唯一正しいもので相手の政策を阻止するものだとすれば、野党は常に与党の失敗を願う政党だ、ということになる。そして、与党が失敗し一時的に日本がダメになることで、自分たちが浮かび上がってくるシステムということになる。
日本の政治が停滞した理由は、自分の考えが唯一正しいものだと錯覚し、対立する相手の政策はどうせ失敗するだろうと願い、そして、その失敗によって利益を得るという考え方がはびこってしまったからではないかと思っている。
そもそも、他者が何かを失うことで自分の利益を得るという考え方は人々を幸せにはしないし、結果的に自分の利益は増えない。資本主義と共産主義の対比から考えたら分かると思う。金持ちの利益を奪っても自分の利益は増えない。
自分の利益を増大させようと思ったら、他人の利益が最大になるように配慮することが必要なのだ。自分さえよければという社会に明日はない。
自分の考え方が唯一正しいと思うと、人の考えを受け入れられなくなる。そして、人の失敗を願うようになる。だから、ある目的を達成するための手段はたくさんあるのだという相対的な考え方が必要である。
まず、自分の正しいと思う意見を主張する。その主張が通らなかったとしても、自分の主張が間違っていることにはならないが、他人の意見の方が正しいという可能性が高いことは率直に認めなければならない。だから、決まった他人の意見を尊重するという姿勢が求められる。それが「ノーサイド」ということではないか。
一旦決まったことは一致団結して実行していくという政治が日本を良くする政治だと思う。それは別に連立しなくてもできるだろう。マスコミは対立したほうが面白いから対立をあおるような報道をする。確かに、議論は命がけで戦わせなくてはならないだろう。しかし決まったことは、皆で協力していかなくてはならない。
こんなことは小学生のときに習ったことなのだけどね。