今朝、ニュースをつけたらアメリカの株が過去6番目の暴落だったといっていた。国債の格付けが下がったことが影響したらしい。経済のことは素人だが、あれだけドルを刷ってドルの価値が下がれば当然である。お札を刷りまくって何も問題がなければどの国もやる。
金融資本主義において破産は風邪みたいなもので、いつかはやってくる。膨らんだ利子を誰も払えないからである。
日本のように「拝金」という神が信じられている世界では、デフォルト=死である。日本が死ぬのも近いかもしれない。でも、財政破綻くらいでは、国家は死なない。大変なことではあるが、深刻になりすぎることはない。
死といえば、宗教が扱う重大な問題は「死」である。死はコントロールできない恐怖と不安を私たちに与える。だから、死後の世界がどうなっているのかを語ることでその不安を解消する。宗教についていろいろ考えてみたが、心の扱い方については仏教的な方法論が、「神」についてはスピノザのいう神が自分にとって一番しっくりくる。科学が発達して脳や体の仕組みが解明されていったとき、もう一度スピノザの思想が見直される時がくるだろう。
ただ、スピノザは本当は神のことなんて問題にしていない。人間が能動的ないきいきとした喜びの中で生きるにはどのようにすべきかを徹底的に証明するために神概念を使っているに過ぎない。スピノザの思想はニーチェの強者の思想につながる。
これに対し、仏教は人間の負の部分を沈静化する技術である。両者は必ずしも矛盾しない。
時間がなくなったのでまたあとで。