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トイレあれこれ

2023年03月22日 | エッセイ・日記・意見
ペルーの首都リマへ行った時の話。

リマの「日系人の資料館」を観たくて、街を彷徨っていた。やっとたどり着いたが、便意を催した。「大」の方である。「立ち小便」の様にはいかない。

スーパーマーケットを見つけた。運が良い事に、その横にトイレがあった。

中に入ってみると・・・

トイレットペーパーが無かった。

慌てた。スーパーで買って来なくっちゃ。財布には「ペルーの通貨」がほとんど残っていなかった。

スーパーの横の銀行。両替の列に並ぶ。たくさんの人々が並んでいる。

突き上げて来る便意。どれくらい待っただろうか?やっと両替が出来、スーパーに駆け込んでトイレットペーパーを買う。

レジのおばちゃんから受け取ったお釣りをズボンのポケットに押し込み、トイレへ向かう。

座ろうとすると、さっきは気付かなかったが、便座が無かった。イタリアなどでもそうだが、便座は盗まれる事も多く、外しているトイレも多いらしい。

足が攣りそうになりながら、なんとか用を済ませた。

お尻を拭いた紙はトイレ備え付けのゴミ箱へ捨てる。南米の水洗トイレでは、水の流れる勢いが弱く、紙を流すとすぐ詰まってしまうので、ゴミ箱に捨てるのだ。

ゴミ箱には、当然、前にトイレに入った人が拭いた紙も山積みになっているのだが、空気が乾燥していて、ほとんど臭わない。

インドの都市部とは離れた村々にはトイレが無い。

朝、観光に行く為に村の横を通る道を車で走っていると、村人のお尻が道の方を向かって並ぶ。

何故、道の方に向かって用を足すのか分からないが、多分、村の方にお尻を向けたくないからかも知れない。とは言っても、村人十数人がお尻をこちらに向けて、朝イチの「用を足す」のは圧巻だが。

高校時代、修学旅行で東北を一周した。7泊8日、全ての旅程の最後は、青森から上野への寝台特急。

雪が降り積もる極寒の青森駅のホームでは、付き合っているらしいカップルが別れを惜しんでいた。

若い男性がホーム。若い女性が列車の中。彼女が東京に帰る様だ。

列車が動き出すと、男性が女性を追ってホームを走り始めた。無情にも寝台特急は速度を上げて行き、やがて青森駅は見えなくなった。

男子校の僕らはその光景を見て、本当に羨ましいと思った。

その女性の寝台が僕の寝台の下だったのである。つまり、僕が二階で彼女が一階。

深夜、列車は寝ている僕らとは関係無く、ゴトンゴトンと音を奏でながら走って行く。寝台で寝ていた僕も心地良くウトウトしていた。

僕はトイレに行きたくなった。小さな照明の灯だけが点く寝台特急の廊下を揺れに任せる様にして歩く。窓外の闇の中、時々小さな灯りが通り過ぎて行く。

僕は長旅の疲れのせいか、少し寝ぼけていた。

トイレにたどり着き、トイレの横の「あき」の表示を確認。ドアをガラッと勢いよく開けた。

若い女性の用を足す、真っ白でツルツル、スベスベなお尻がこちらを向いていた。顔は見えない。

慌ててドアを閉める僕。
男子高生の僕にとって、そのお尻の光景はあまりにも刺激的だった。

便意も忘れて、自分の寝台に戻って、カーテンを閉めた。息を潜めて。顔が熱っていた。

10分位しただろうか?僕の寝台の下に、あの青森駅の女性がトイレから帰って来た。

僕は彼女のお尻を見てしまったのである。

あれから数十年が経つが、あの時の光景は未だに忘れる事ができない。

今、彼女はどうしているのか?

「用を足す場所」、トイレ。人間に無くてはならない行動であり、場所であるからこそ、どこに行ってもその記憶は鮮明なのかも知れない。

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