りゅうちぇるさんが亡くなった。27歳。若い人の突然の訃報には毎回ドキッとする。
新聞やニュースを見ていると、悩んでいるりゅうちぇるさんに「泣いていいんだよ」と言った人がいて、その言葉を彼はすごく何かを感じていたという。
毎年7月、人事異動の後、僕は精神的に不安定になる。「組織」や「人間関係」が変わり、強いストレスを受けるからだ。
今回も「ひどい口内炎」が出来たり、「不眠状態」が続いたりした。
昨晩、妻と「なんか、昔の日本は良かったよね」という話になり、僕は衝動的に木下惠介監督の映画「二十四の瞳」(1954年・黒澤明の「七人の侍」も同じ年に公開)を観たくなった。
この映画の音楽は全て昔からある「日本の唱歌」である。
「浜辺の歌」「仰げば尊し」「七つの子」「蛍の光」「故郷」などなど。僕たちの世代がギリギリ「小学校の音楽の授業」で歌った歌。
12人の子どもの24の純粋な瞳。小豆島の「雲」や「海」、かつては日本のどこにでも見られた「日本の風景」。
木下惠介監督のナチュラルな「シナリオ」と「演出」。しかし、それはナチュラルであればある程、凄みを帯びて来る。
映画の中で、高峰秀子演じる大石先生は家庭の事情で苦境に立たされた教え子に言う。
「泣いてもいいんだよ」
大石先生はその教え子の側に立って、一緒に泣く。
日本は戦争へと突入。教え子たちは次々と戦場へと旅立つ。映画の中で唯一、ここで「軍歌」が流れる。「日本の唱歌」の代わりに。
戦後、大石先生は「かつての教え子」の子供たちを教える為、岬の分教場に帰って来る。
そんな折、「かつての教え子」が先生を囲む「同窓会」を開いてくれた。
教え子の中には「戦死」した男の子もいる。女性の数が圧倒的に多い「同窓会」。
子供の頃、大石先生と12人の教え子が浜辺で撮った写真。
なんとか命だけは戦争に奪われず、戦地から帰って来た田村高廣演じる教え子。彼は目が見えなくなっていた。
女性たちの間を回る写真。
「ワシにも見せてくれ。この写真だけはこんなワシでも見えるんじゃ」
目の見えない教え子が写真を指差しながら、どこに誰が写っているか、丁寧に説明を始める。
子供時代、歌の巧かった教え子が座敷から縁側に出て、泣いているのを隠すかの様に、「浜辺の歌」を歌い出す。
大石先生と教え子達は声を殺して泣き続ける。
僕は「二十四の瞳」を何回も観ているが、このシーンでは涙が止まらない。
映画は「かつての教え子達」がお金を出し合って、先生の為に買った新しい自転車で、岬の分教場に通う大石先生の姿で終わる。
寝不足で全編観るつもりでは無かった僕。1.5倍速では無く、普通の再生スピードで観てしまった。
黒澤明の映画は「頑張れ!と観客に訴えかける映画」。
木下惠介の映画は「頑張らなくっていいんだよ、と観客に伝える映画」。
不眠症気味だった僕はこの映画を観て、昨夜は気持ちがスッキリし、よく眠れた。
補足しておこう。
木下惠介が「壷井栄の原作」に無いシーンを1つだけ映画には加えている。
小学校6年生になった教え子たちと金比羅宮に修学旅行で行く大石先生。
そこの食堂で丁稚奉公に出された教え子(女の子)と偶然の再会をする。
しかし、小豆島へ帰る時間が迫っている。
食堂を後にする先生を必死で追いかける教え子。しかし、彼女は修学旅行に来れて喜びいっぱいの、かつての友だちに囲まれ、通り過ぎる大石先生を垣間見てしまうのである。
先生と教え子たちが乗ったフェリーが高松港を出航。
桟橋でそれを見ながら追いかける食堂で働く教え子。
ここで、木下惠介は彼女の背中越しにフェリーが遠ざかって行く画しか見せない。彼女の顔は一切映さないのである。
彼女は顔をぐしゃぐしゃにしてポロポロ涙を流して泣いている、そう想像させてくれるのが
木下惠介の演出。
「泣いてもいいんだよ」
そう言ってもらいたい人が増えている「今の世の中」。
「自己肯定感」が低くてもいい、泣いたらいい。
木下惠介の映画はそんな事を観る人に伝えようとしている気がする。
今、もっともっと、木下惠介監督は評価されてもいいとおもう。
是非、映画「二十四の瞳」、観て下さい。
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