1983年3月31日、入社する前日に行ったのが、京都・東山にある坂本龍馬のお墓。京都霊山護國神社。
司馬遼太郎の「竜馬が行く」を読んで、坂本龍馬の生き方に強く感銘を受け、翌日から始まる「社会人生活」への覚悟を決める為、お墓を訪ねたのだ。
坂本龍馬の墓は中岡慎太郎の墓と並んで建っており、お供物などたくさんの人々が訪れた形跡が残されていた。
僕が行った時もお墓にお参りする人たちで大賑わい。
自分の家のお墓参りをすると、気持ちが清々しくなる。先祖に現状を報告出来た事、そして家族の健康と幸せを見守って下さいと頼めた事が心がスッキリ晴れ晴れする理由だと思う。
手塚治虫のお墓。
僕のディレクターデビュー作の「11PM」にゲスト出演して頂いた手塚治虫先生。
1989年没。享年60歳。
生きていたら、今頃どんな「火の鳥」を描いていたのか?あまりにも早すぎる死である。
お墓は巣鴨の總禅寺にある。墓石の横の碑には「手塚漫画のキャラクターたち」が描かれている。
ここにお参りした時は、「11PM」でお会いした時の手塚先生の温かく優しい声が聞こえて来る様で、思わず涙しそうになった。
小津安二郎、木下惠介、田中絹代のお墓。
北鎌倉の円覚寺にある。
映画監督・小津安二郎は誕生日と同じ日が命日。ちょうど還暦で亡くなっている。なんか、小津作品と同じ様にきちんとした人生の閉じ方。
小津安二郎の墓標には「無」という一文字が。いかにも小津らしい。
小津安二郎の墓の向かいにあるのが、映画監督・木下惠介の墓。
このお墓に数々の名作を撮られた木下惠介監督が眠られているかと思うと、生前お会いした事は無いが、木下映画の様々なシーンが僕の脳裏を過ぎり、合わせた両手に汗をかいていた。来て良かったと思う。
女優・田中絹代の墓。亡くなった当初は山口県の下関中央霊園に納骨されたが、後に分骨され、鎌倉の円覚寺にお墓がある。
そして、京都・二尊院には戦前の剣戟スター・阪東妻三郎の墓かある。
僕が初めて訪れた時は境内の大きな木の下に小さな墓標があるだけだった。
「阪東妻三郎の墓」という薄汚れたかまぼこ板の様な、手書きのちっぽけな案内板があり、すごく意外に思ったものだ。
阪妻の長男・田村高廣もこのお墓に入っているが、次男の田村正和は聞いた話によると、「このみすぼらしいお墓に入るのは嫌だ」と言って、横浜市の八景苑にお墓を建てて、そこに入っている。
大映のスターで惜しまれながら37歳でこの世を去った市川雷蔵。
彼の墓は東京の池上本門寺にあったが、現在は山梨県見延山久遠寺に移設されたと言われているが、真偽の程はよく分かっていない。
憧れの人の映画を観たり、本や漫画を読んだりして、その人のお墓に行って、一対一で話したくなる事は僕含めてファンの皆さんには多いと思う。
そんな時、ファンは生きていた時の憧れの人に寄り添っている。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます