朝、「精神科」に行って、薬を貰い、出社。主治医に、朝、やたらと眠い時があるんですけど・・・」と言ったら、「それはお酒の飲み過ぎ。ちゃんと睡眠を取りなさい」とお小言を。
午後は新番組の「プロデューサー・レクチャー(新番組プロデューサーが記者を集めて、番組の企画意図・面白さ・テーマ等を直接、記者に話す。記者からの質問も受ける)」。終わって、キー局に行き、情報交換。
今日一日、なんだかなぁ~なんて思いつつ、自宅の最寄の駅に着いたら、今日から夏祭り。帰宅して、夕食。妻が明日、子供達を「お祭り」に連れて行きたいと言う。彼女も夏休みで、子供達の在宅率が高くなり、疲れている。
「なんだかなぁ~」という気分は、何だろうと熟考してみると、日常の中で、「感動」「感激」がほとんど無い。つまり、「五感の刺激」が無いのである。先日、遊川さんは、この世の中にパソコンができたのが「人間をダメにした」と言っていたが、ブログを書きながら、思うのもなんだが、僕もそう思う。それプラス「携帯電話」。そんなに不必要な「情報」や急ぎでない「電話」は要らない。そんな事が「SAD(ソサエティー・アンザエティー・デスオーダー)・・・社会不安障害」を起こしている様な気がする。僕も毎日、過ごしていて、「不安」で無い時の方が少ない。
夕方になると、二日酔いでも無い限り、なんとなーく、お酒が飲みたくなる。一日過ごしていて、仕事場では「仕事の話」が大部分を占める。じゃあ、自宅ではどうかというと、疲れている。46歳という年齢のせいか。「大笑い」できない。
以前、連ドラを一緒にやった監督が新しいドラマの放送のお知らせを下さった。早速、HDDに録って、今日見た。テンポがあり、面白かった。月~金の帯の連ドラ。僕も昭和が平成に変わる頃、やっていた。しかも、今日見たドラマの設定が「現代から昭和63年にタイムスリップしてしまうという設定」なのだ。
月~金の連ドラは、撮影現場が大変・・・というより、地獄。125本、半年続く連ドラをやっていた時、しんどかったが、「五感に感じるもの」があった。大阪や京都、奈良でロケ。夏の関西は暑いなんてもんじゃない。今日の東京の、この涼しさはなんだ!びっくりする位の違い。早朝にロケに出発。ロケバスの中ではひたすら寝る。か、「移動めし」と行って、めしを食べていると、日が暮れると撮れないとか、役者のスケジュールで決まった時間までに撮り終えなければならないとか、そういう状況になると、ロケ地からロケ地への移動の15分から20分の間にバスの中でロケ弁当を食べる。夏は腐りやすいので、脂っこいおかずが多く、連ドラをやると必ず太っていた。でも、一日の撮影が終わり、スタッフルームに帰って来た時に飲むビールの美味かった事。これぞ、「感動」だぁ~。
お知らせを頂いた監督のチームのプロデューサーや美術プロデューサーはよく知っている。やはり、しんどくても「ドラマの現場」は「麻薬」の様に、その「魅惑」で僕を引き擦り込もうとする。
しかしながら、サラリーマン。クールビズで適度に「暑い」オフィス内をウロチョロしている。伝票もパソコン、多量に来るメールも一つずつ処理していく。オフィスのPHSが鳴り、自分の携帯電話も鳴る。どこか、常に落ち着かない。
入社した頃の「制作部」は「自由(?)」だった。制作部長と昼ごはんに行ったら、ビールが出てきた。番組の本番の無い日は昼間、若手で、会社を抜け出してボーリングに行ったりもした。夕方には、面子を社内で集めて、多い時は週4回、麻雀をしていた。20代だったので、そのまま徹マンをして、出社した事もあった。大学の同期が三和銀行とかで、仕事が終わってからも、留学の為に必死で勉強しているのを聞いて、銀行に入らなくて(入れなくて)良かったとも思った。
そんな雰囲気は、20年以上経って無くなった。テレビ局ものどかではいられなくなったのだ。地上波デジタル放送、1セグ放送、VOD(ビデオ・オン・デマンド)・・・そして、インターネットとの競合。
「遊び」が無い社会。それゆえ、軋轢がいろんなところで生じ、今まで考えられなかった事件や事故が起こっている。人間は会って喋るべきだし、「喜怒哀楽」を素直に出し続けた方がいい。それと、「絆」。「絆」を作って、何かをやり遂げた時の感動は大きい。
明日から、気持ちを切り替えて、「川の流れのように」しなやかに生きていきたい・・・なんちゃって。
午後は新番組の「プロデューサー・レクチャー(新番組プロデューサーが記者を集めて、番組の企画意図・面白さ・テーマ等を直接、記者に話す。記者からの質問も受ける)」。終わって、キー局に行き、情報交換。
今日一日、なんだかなぁ~なんて思いつつ、自宅の最寄の駅に着いたら、今日から夏祭り。帰宅して、夕食。妻が明日、子供達を「お祭り」に連れて行きたいと言う。彼女も夏休みで、子供達の在宅率が高くなり、疲れている。
「なんだかなぁ~」という気分は、何だろうと熟考してみると、日常の中で、「感動」「感激」がほとんど無い。つまり、「五感の刺激」が無いのである。先日、遊川さんは、この世の中にパソコンができたのが「人間をダメにした」と言っていたが、ブログを書きながら、思うのもなんだが、僕もそう思う。それプラス「携帯電話」。そんなに不必要な「情報」や急ぎでない「電話」は要らない。そんな事が「SAD(ソサエティー・アンザエティー・デスオーダー)・・・社会不安障害」を起こしている様な気がする。僕も毎日、過ごしていて、「不安」で無い時の方が少ない。
夕方になると、二日酔いでも無い限り、なんとなーく、お酒が飲みたくなる。一日過ごしていて、仕事場では「仕事の話」が大部分を占める。じゃあ、自宅ではどうかというと、疲れている。46歳という年齢のせいか。「大笑い」できない。
以前、連ドラを一緒にやった監督が新しいドラマの放送のお知らせを下さった。早速、HDDに録って、今日見た。テンポがあり、面白かった。月~金の帯の連ドラ。僕も昭和が平成に変わる頃、やっていた。しかも、今日見たドラマの設定が「現代から昭和63年にタイムスリップしてしまうという設定」なのだ。
月~金の連ドラは、撮影現場が大変・・・というより、地獄。125本、半年続く連ドラをやっていた時、しんどかったが、「五感に感じるもの」があった。大阪や京都、奈良でロケ。夏の関西は暑いなんてもんじゃない。今日の東京の、この涼しさはなんだ!びっくりする位の違い。早朝にロケに出発。ロケバスの中ではひたすら寝る。か、「移動めし」と行って、めしを食べていると、日が暮れると撮れないとか、役者のスケジュールで決まった時間までに撮り終えなければならないとか、そういう状況になると、ロケ地からロケ地への移動の15分から20分の間にバスの中でロケ弁当を食べる。夏は腐りやすいので、脂っこいおかずが多く、連ドラをやると必ず太っていた。でも、一日の撮影が終わり、スタッフルームに帰って来た時に飲むビールの美味かった事。これぞ、「感動」だぁ~。
お知らせを頂いた監督のチームのプロデューサーや美術プロデューサーはよく知っている。やはり、しんどくても「ドラマの現場」は「麻薬」の様に、その「魅惑」で僕を引き擦り込もうとする。
しかしながら、サラリーマン。クールビズで適度に「暑い」オフィス内をウロチョロしている。伝票もパソコン、多量に来るメールも一つずつ処理していく。オフィスのPHSが鳴り、自分の携帯電話も鳴る。どこか、常に落ち着かない。
入社した頃の「制作部」は「自由(?)」だった。制作部長と昼ごはんに行ったら、ビールが出てきた。番組の本番の無い日は昼間、若手で、会社を抜け出してボーリングに行ったりもした。夕方には、面子を社内で集めて、多い時は週4回、麻雀をしていた。20代だったので、そのまま徹マンをして、出社した事もあった。大学の同期が三和銀行とかで、仕事が終わってからも、留学の為に必死で勉強しているのを聞いて、銀行に入らなくて(入れなくて)良かったとも思った。
そんな雰囲気は、20年以上経って無くなった。テレビ局ものどかではいられなくなったのだ。地上波デジタル放送、1セグ放送、VOD(ビデオ・オン・デマンド)・・・そして、インターネットとの競合。
「遊び」が無い社会。それゆえ、軋轢がいろんなところで生じ、今まで考えられなかった事件や事故が起こっている。人間は会って喋るべきだし、「喜怒哀楽」を素直に出し続けた方がいい。それと、「絆」。「絆」を作って、何かをやり遂げた時の感動は大きい。
明日から、気持ちを切り替えて、「川の流れのように」しなやかに生きていきたい・・・なんちゃって。
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