藤田 まこと(ふじた まこと、1933年4月13日 - 2010年2月17日)は、日本の俳優、歌手、コメディアン。東京府東京市豊島区(現:東京都豊島区)生まれ、京都府京都市育ち。京都市立堀川高等学校卒業。
オフィス斉藤所属。過去には渡辺プロダクション、個人事務所の新演技座に所属した。本名は原田 眞(はらだ まこと)。血液型はB型。身長174cm。 自宅は大阪府箕面市。 16日の夜、自宅にて吐血し大阪府吹田市内の病院に緊急入院。 翌17日午前7時25分に死去。
経歴
無声映画時代のスター俳優だった藤間林太郎を父に持つ。藤間は現在の大阪府東大阪市にあった帝国キネマの撮影所を拠点に活動していたが、同撮影所が火災で閉鎖されたことから東京府東京市池袋(現・東京都豊島区池袋)に移り、藤田はそこで生を受けた。兄は太平洋戦争に出征、海軍で戦没している。
東京で幼少期を過ごした後京都へ移り、京都市立堀川高校卒業後、ディック・ミネを師匠格とし歌手として芸能界へ入る。その後、中田ダイマルのかばん持ちをしながら声帯模写、歌謡物真似、漫談や司会の仕事を行っていた。1957年、大阪テレビ放送(現・ABC)で放送された、中田ダイマル・ラケット、森光子主演のテレビドラマ『ダイラケのびっくり捕物帖』にレギュラー出演したことをきっかけに、コメディアンとして活動を始める。
1961年には、ABC制作の全国ネットのコメディ『スチャラカ社員』にレギュラー出演し、長谷百合演じる事務員を「長谷くーん」と呼びながら追いかけるギャグで人気を得た。
1962年、ABC制作のコメディ『てなもんや三度笠』に、主人公・あんかけの時次郎役で出演。白木みのるや財津一郎との掛け合いや、「俺がこんなに強いのも、当たり前田のクラッカー!」などのギャグで全国区の人気を得て、上方のお笑いを全国に波及させるきっかけを作った藤山寛美・大村崑と共に、関西喜劇の王様と呼ばれた。
『てなもんやシリーズ』の終了後は、キャバレーでの公演やコメディ番組へのゲスト出演が中心となり、しばらく不遇の時代が続いたが、1973年、『必殺仕置人』(ABC)の中村主水役に抜擢され、それまでのコミカルなイメージと、それを180度反転させるシリアスな演技の混合で好評を博した。これ以降の必殺シリーズにも中村主水役で出演し続け、「家や職場ではただの風采の上がらない"昼行灯"とけなされる中年男だが、裏の顔は悪を闇に葬る剣の達人」という、世のサラリーマンの理想像とも言えるキャラクターを演じ抜いた。藤田も「中村主水がなければ今の自分はなかった」と語っており、このシリーズは自他共に認める藤田の代表作となった。
また『てなもんやシリーズ』終了後に苦労した経験から、必殺シリーズでの成功以後もイメージが固定しないよう、『夫婦旅日記 さらば浪人』など様々な役に挑戦を続けた。1979年に始まった土曜ワイド劇場『京都殺人案内』(ABC)シリーズは、同劇場中で主人公の演者が交代することなく続く最長のシリーズとなった。
1988年、テレビ朝日『はぐれ刑事純情派』に安浦刑事役で主演。温和で人情に厚いベテラン刑事という、今まで演じたことのなかった役柄が人気を呼び、ドラマもシリーズ化、あんかけの時次郎・中村主水に次ぐ当たり役となった。これ以降も『剣客商売』(フジテレビ)などに出演して人気を博し、晩年は演技派俳優としての評価も高かった。一方で、『愛のエプロン』など、バラエティ番組にも積極的に出演した。
2006年11月4月にはフジテレビの『仕掛人・藤枝梅安』で音羽の半右衛門を演じ、翌2007年7月7日にはテレビ朝日系列の『必殺仕事人2007』で再び中村主水を演じた。2008年4月に食道癌が判明し、6月の明治座『剣客商売』の舞台公演を降板し入院加療を行ったが、10月下旬より復帰、ABC・テレビ朝日系時代劇『必殺仕事人2009』に中村主水役でレギュラー出演した。2009年10月期の『JIN-仁-』(TBS系)にも新門辰五郎役で出演予定であったが、慢性閉塞性肺疾患により降板となった。
2010年2月16日、箕面市の自宅で夕食後の午後9時頃に突然、吐血し、吹田市の大阪大学医学部付属病院に搬送。翌17日午前7時25分、大動脈瘤破裂のため死去。享年78(満76歳没)。1月には体調の回復もあってナレーションの仕事で復帰しており、3月の完全復帰を予定して、再始動した矢先の急死だったという。
藤田まことの死去に、テレビ創世記の時代に共に活躍した戦友でもあった大村崑が「まこっちゃんとの思い出はつきない。彼は大阪人の宝です」と追悼の辞を発表するなど、多くの芸能・演劇関係者が追悼コメントを発して藤田まことを偲んだ、
落語家・はぐれ亭馬之助としても知られる。弟子にタレント・マジシャンのタクマらがいる。
1985年1月より同年7月まで放映された『必殺仕事人V』の主題歌「さよならさざんか」を実娘の藤田絵美子(当時の芸名。本名は原田絵美子。現芸名はEMIKO)が歌っている。
2002年には、紫綬褒章を受章した。
エピソード
コメディアンから国民的俳優になって、東京での仕事が増えてからも、藤田本人は東京生まれであったが、「東京は忙しすぎる。じっくりできる大阪が性にあっている」と亡くなるまで大阪を離れることはなかった。
『ダイラケのびっくり捕物帖』で俳優活動を始めた頃の藤田は、「立ち回りどころか刀の差し方も知らない有様で、袴の片方に両足を入れていた」という(当時のフロアディレクター談)。また、当時は芝居の実力も伴っておらず、演じている与力の自宅の縁側で、少しせりふをしゃべるだけという出番に終始したという。但し、親譲りの二枚目でテレビ映りが良く、鬘を付けた姿も様になっていた事が、その後の成功につながった。
『てなもんや三度笠』への出演に当たっては、スタッフ側から「他のレギュラー番組を全て降板すること」を条件にされたという。これは同番組の演出を担当した澤田隆治曰く「『てなもんや』で主役を張っている人物が他の番組で端役を務めていたら(この頃の藤田はテレビレギュラーでもまだ端役が多かった)、タレントの格としておかしなことになるし、視聴者も違和感を抱く」との理由から出された条件であったが、まだ全国区の人気を得ていなかった藤田にとって大きな賭けでもあった。
この結果、藤田は当時週8本あったレギュラー番組を全て降板して、『てなもんや』一本に賭けることとなった。しかし、さすがに全ての番組を円満に降板するというわけにはいかず、テレビ局によっては怒りを買い、かなり後になるまで藤田を一切起用しなかったところもあったという。
『必殺仕置人』の出演依頼は、他の俳優にも声がかけられていたが、全て断られたため、5人目の候補者であった藤田が選ばれた、というエピソードがまことしやかにささやかれた。だが、これは藤田自身が脚色したジョークで、実際には当初から藤田まことに決定していたとプロデューサーの山内久司が語っている。当時はスタッフサイドに反発があったが、深作欣二のみが藤田まことのキャスティングを絶賛したという。
1980年代、妻が事業に失敗したことで、40億円とも言われる借金を背負い込んでいたが、『主水御殿』と呼ばれた豊中市の自宅を売却したり、無休で精力的に俳優業を行うといった地道な活動が功を奏し、現在は借金を完済している。
しかし、この借金について、藤田の妻に対して融資していた大阪市内の金融業者(経営破綻済)の破産管財人が、藤田夫妻に対して、貸付金3億円の支払いを求め訴訟を起こした。藤田は「妻が勝手に印章を捺した」、「この業者は違法な高金利で貸し付けていた」などと主張したが受け入れられず、大阪地裁は2009年9月7日に、藤田夫妻全面敗訴の判決を言い渡した。
莫大な借金を抱えていた時期、娘の縁談がまとまり、結婚式が開かれることになった。その席に、招待していないはずの債権者が祝儀を手に駆けつけ、藤田はその様子を見て涙が止まらなかったという。また、債権者は、自ら色々なテレビ局などに藤田のことを売り込んでいたとされている。
チームが『近鉄パールス』と呼ばれていた頃から大阪近鉄バファローズの大ファンだった。2001年に近鉄がパ・リーグ優勝を果たし、関西地区において藤田主演の『はぐれ刑事純情派』が近鉄の優勝決定試合に差し替えられ(その週の土曜日に振り替え放送された)が、藤田はむしろそれを歓迎していたほどだった。しかし、2004年に起こった球団再編問題において、オリックス・ブルーウェーブとの合併反対を訴えるも実らず近鉄バファローズは消滅、その後日本プロ野球ファンを辞め、野球を観るにしてもメジャーリーグを観ると公言した。
『てなもんや三度笠』時代のスポンサーであった前田製菓とは、スポンサー契約が亡くなるまで続いた。これは、会社側が「うちの会社にはこれしかありません」と、毎年大量のクラッカーを契約金代わりに送ってくれるため、断れなかったためであるという。なお、贈られたクラッカーは毎年福祉施設に寄付されている。
泉北1号線に設置されている、大阪府が啓発している「道路を美しく・ゴミいや!マッタマッタ!みんなの道路ですぞ!」の看板に描かれている人物のモデルが、藤田扮する中村主水になっていたが、現在は道路工事等でほとんど撤去されており、わずかに残っているだけである。
沖縄戦で戦死した兄への想いが深く、兄からの戦時郵便(ハガキ)を終生保管し、常に携帯していたという。藤田はその兄が戦死した久米島には足を運ぶ勇気をなかなか持てなかったが、戦後60年を過ぎてからようやく訪れ、白米のおにぎりを兄が眠る海に投げ入れて冥福を祈った。
主な出演作品
テレビ
びっくり捕物帳 (1957年、ABC)
スチャラカ社員 (1961年、ABC)
若い季節(1961年、NHK)
てなもんや三度笠(1962年、ABC) - あんかけの時次郎 役
おれの番だ!(TBS)
女と味噌汁 その9(1968年、TBS)
天と地と(1969年、NHK大河ドラマ)
夜の大作戦(1970年 毎日放送)※関東では東京12チャンネル(現・テレビ東京)で放送
新・平家物語(1972年、大河ドラマ)
けったいな人びと(1973年・1975年、NHK)
必殺シリーズ(ABC) - 中村主水 役
必殺仕置人(1973年4月 - 10月)
助け人走る(1974年1月5日)第12話出演
暗闇仕留人(1974年6月 - 12月)
必殺仕置屋稼業(1975年7月 - 1976年1月)
必殺仕業人(1976年1月 - 7月)
新・必殺仕置人(1977年1月 - 11月)
江戸プロフェッショナル・必殺商売人(1978年2月 - 8月)
必殺仕事人(1979年5月 - 1981年1月)
新・必殺仕事人(1981年5月 - 1982年6月)
必殺仕事人III(1982年10月 - 1983年7月)
必殺仕事人IV(1983年10月 - 1984年8月)
必殺仕事人V(1985年1月 - 7月)
必殺仕事人V・激闘編(1985年11月 - 1986年7月)
必殺仕事人V・旋風編(1986年11月 - 1987年3月)
必殺仕事人V・風雲竜虎編(1987年3月 - 7月)
必殺剣劇人(1987年9月25日)第8話出演
必殺仕事人・激突!(1991年10月 - 1992年3月)
必殺仕事人2007(2007年7月、テレビ朝日共同制作)
必殺仕事人2009(2009年1月 - 6月、テレビ朝日共同制作、必殺仕事人シリーズ30周年記念作品・テレビ朝日開局50周年記念作品)
右門捕物帖(1974年4月-1975年3月、NETテレビ) - 政五郎 役
斬り抜ける 第16話「城代暗殺」(1975年、ABC) - 辰野平吾 役
座頭市物語 第19話「故郷に虹を見た」(1975年、フジテレビ) - 壮吉 役
あなただけ今晩は(1975年、フジテレビ)
夫婦旅日記 さらば浪人(1976年、フジテレビ)
京都殺人案内シリーズ(1979年-、ABC)
和宮様御留(1981年、フジテレビ) - 橋本実麗 役
はぐれ刑事純情派シリーズ(1988年-2009年、テレビ朝日) - 安浦吉之助 役
大忠臣蔵(1989年、テレビ東京) - 大野九郎兵衛 役
幻の殺意(1990年、フジテレビ)
藤田まことの丹下左膳シリーズ(1990年 - 1994年、テレビ朝日) - 丹下左膳 役
はぐれ医者・お命預かります!(1993年(SP版)・1995年(連続ドラマ版)、テレビ朝日) - 相良淳道 役
火曜サスペンス劇場(日本テレビ系)
『掏摸(スリ)』(1993年1月、東映)
『共犯関係』(1995年、東映)
『窓辺の女』(2001年1月30日、東映) - 野崎修平 役
『親父』(2002年、東映)
『「弁護士・高林鮎子」志摩の旅・みえ6号毒殺連鎖〜保険金狙いで魂を売った魔性の女!完全無欠の時刻表トリックを暴く』
『容疑者』(2005年2月、東映)
剣客商売(1998年-、フジテレビ) - 秋山小兵衛 役
燃えろ!!ロボコン(1999年12月19日、テレビ朝日)46話 - サンタクロース 役
武蔵 MUSASHI(2003年、大河ドラマ) - 柳生石舟斎 役
大奥 第一章(2004年、フジテレビ) - 徳川家康 役
世直し順庵!人情剣(2005年、テレビ朝日) - 河合順庵 役
天下騒乱〜徳川三代の陰謀(2006年1月2日、テレビ東京) - 旗本大久保彦左衛門 役
役者魂!(2006年10月 - 12月、フジテレビ)
仕掛人・藤枝梅安(2006年11月4日、フジテレビ)
太閤記〜天下を獲った男・秀吉(2006年10月 - 12月、テレビ朝日) - 茶人千宗易 役
警視庁捜査ファイル さくら署の女たち(連続ドラマ版、2007年7月11日、テレビ朝日)第1話 - 居酒屋の亭主 役(特別出演)
火曜ドラマゴールド「監察医・室生亜季子37・最後の解剖」(2007年3月27日、日本テレビ / 東映) - 難波一 役
法廷荒らし 弁護士・猪狩文助(2007年11月18日、BSジャパン / 11月21日、テレビ東京) - 猪狩文助 役
徳川風雲録 八代将軍吉宗(2008年1月2日、テレビ東京) - 副将軍水戸光圀 役
佐々木夫妻の仁義なき戦い(2008年1月 - 3月、TBS)
だましゑ歌麿(2009年9月12日、テレビ朝日) - 一心和尚 役
その他の番組 [編集]
SMAP×SMAP(関西テレビ・フジテレビ)「BISTRO SMAP」ゲスト
徹子の部屋(テレビ朝日)
年忘れにっぽんの歌(テレビ東京)2007年にゲスト出演。
いのちの響(TBS)
映画
出世武士道(1961年、東映)
てなもんや三度笠(1963年、東映) - あんかけの時次郎 役
続・てなもんや三度笠(1963年、東映) - 同
西の王将・東の大将(1964年、東宝)
ホラ吹き太閤記(1964年、東宝)
日本一のゴマすり男(1965年、東宝)
一発かましたれ(1965年、東映)
日本一のゴリガン男(1966年、東宝)
クレージーだよ奇想天外(1966年、東宝)
てなもんや東海道(1966年、東宝/宝塚映画/渡辺プロダクション)
クレージー黄金作戦(1967年、東宝)
クレージーの怪盗ジバコ(1967年、東宝)
クレージーメキシコ大作戦(1968年、東宝)
空想天国(1968年、東宝)
日本一の裏切り男(1968年、東宝)
日本の青春(1968年、東宝)
クレージーの大爆発(1969年、東宝)
ザ・タイガース ハーイ!ロンドン(1969年、渡辺プロダクション/東京映画)
日本一のヤクザ男(1970年、東宝)
沖縄10年戦争(1978年、東映)
闇の狩人(1979年、松竹)
衝動殺人・息子よ(1979年、松竹/TBS)
影の軍団 服部半蔵(1980年、東映)
わるいやつら(1980年、松竹)
炎のごとく(1981年、東宝)
真夜中の招待状(1981年、松竹)
野獣刑事(1982年、東映)
積木くずし(1983年、東宝〉 - 穂波高介 役
劇場版必殺シリーズ(松竹)
必殺! THE HISSATSU(1984年)
必殺! ブラウン館の怪物たち(1985年)
必殺! III 裏か表か(1986年)
必殺4 恨みはらします(1987年)
必殺!5 黄金の血(1991年)
必殺! 主水死す(1996年) - ここまで中村主水 役
必殺! 三味線屋・勇次(1999年) - 伝兵衛 役
はぐれ刑事・純情派(1989年、東映/テレビ朝日)
劇場版鬼平犯科帳(1995年、松竹/フジテレビ)- 白子の菊右衛門 役
突入せよ! あさま山荘事件(2002年、東映) - 後藤田正晴 役
大奥(2006年、東映/フジテレビ) - 奈良屋善右衛門 役
椿三十郎(2007年、東宝/テレビ朝日) - 睦田 役
明日への遺言(2008年、アスミック・エース) - 岡田資 役
ラストゲーム 最後の早慶戦(2008年、ラストゲーム 最後の早慶戦製作委員会) - 田中穂積 役
藤田さんと昔、大阪で共演していた森光子さんがお元気なのには驚き。女性の方が強いのかなぁ。
オフィス斉藤所属。過去には渡辺プロダクション、個人事務所の新演技座に所属した。本名は原田 眞(はらだ まこと)。血液型はB型。身長174cm。 自宅は大阪府箕面市。 16日の夜、自宅にて吐血し大阪府吹田市内の病院に緊急入院。 翌17日午前7時25分に死去。
経歴
無声映画時代のスター俳優だった藤間林太郎を父に持つ。藤間は現在の大阪府東大阪市にあった帝国キネマの撮影所を拠点に活動していたが、同撮影所が火災で閉鎖されたことから東京府東京市池袋(現・東京都豊島区池袋)に移り、藤田はそこで生を受けた。兄は太平洋戦争に出征、海軍で戦没している。
東京で幼少期を過ごした後京都へ移り、京都市立堀川高校卒業後、ディック・ミネを師匠格とし歌手として芸能界へ入る。その後、中田ダイマルのかばん持ちをしながら声帯模写、歌謡物真似、漫談や司会の仕事を行っていた。1957年、大阪テレビ放送(現・ABC)で放送された、中田ダイマル・ラケット、森光子主演のテレビドラマ『ダイラケのびっくり捕物帖』にレギュラー出演したことをきっかけに、コメディアンとして活動を始める。
1961年には、ABC制作の全国ネットのコメディ『スチャラカ社員』にレギュラー出演し、長谷百合演じる事務員を「長谷くーん」と呼びながら追いかけるギャグで人気を得た。
1962年、ABC制作のコメディ『てなもんや三度笠』に、主人公・あんかけの時次郎役で出演。白木みのるや財津一郎との掛け合いや、「俺がこんなに強いのも、当たり前田のクラッカー!」などのギャグで全国区の人気を得て、上方のお笑いを全国に波及させるきっかけを作った藤山寛美・大村崑と共に、関西喜劇の王様と呼ばれた。
『てなもんやシリーズ』の終了後は、キャバレーでの公演やコメディ番組へのゲスト出演が中心となり、しばらく不遇の時代が続いたが、1973年、『必殺仕置人』(ABC)の中村主水役に抜擢され、それまでのコミカルなイメージと、それを180度反転させるシリアスな演技の混合で好評を博した。これ以降の必殺シリーズにも中村主水役で出演し続け、「家や職場ではただの風采の上がらない"昼行灯"とけなされる中年男だが、裏の顔は悪を闇に葬る剣の達人」という、世のサラリーマンの理想像とも言えるキャラクターを演じ抜いた。藤田も「中村主水がなければ今の自分はなかった」と語っており、このシリーズは自他共に認める藤田の代表作となった。
また『てなもんやシリーズ』終了後に苦労した経験から、必殺シリーズでの成功以後もイメージが固定しないよう、『夫婦旅日記 さらば浪人』など様々な役に挑戦を続けた。1979年に始まった土曜ワイド劇場『京都殺人案内』(ABC)シリーズは、同劇場中で主人公の演者が交代することなく続く最長のシリーズとなった。
1988年、テレビ朝日『はぐれ刑事純情派』に安浦刑事役で主演。温和で人情に厚いベテラン刑事という、今まで演じたことのなかった役柄が人気を呼び、ドラマもシリーズ化、あんかけの時次郎・中村主水に次ぐ当たり役となった。これ以降も『剣客商売』(フジテレビ)などに出演して人気を博し、晩年は演技派俳優としての評価も高かった。一方で、『愛のエプロン』など、バラエティ番組にも積極的に出演した。
2006年11月4月にはフジテレビの『仕掛人・藤枝梅安』で音羽の半右衛門を演じ、翌2007年7月7日にはテレビ朝日系列の『必殺仕事人2007』で再び中村主水を演じた。2008年4月に食道癌が判明し、6月の明治座『剣客商売』の舞台公演を降板し入院加療を行ったが、10月下旬より復帰、ABC・テレビ朝日系時代劇『必殺仕事人2009』に中村主水役でレギュラー出演した。2009年10月期の『JIN-仁-』(TBS系)にも新門辰五郎役で出演予定であったが、慢性閉塞性肺疾患により降板となった。
2010年2月16日、箕面市の自宅で夕食後の午後9時頃に突然、吐血し、吹田市の大阪大学医学部付属病院に搬送。翌17日午前7時25分、大動脈瘤破裂のため死去。享年78(満76歳没)。1月には体調の回復もあってナレーションの仕事で復帰しており、3月の完全復帰を予定して、再始動した矢先の急死だったという。
藤田まことの死去に、テレビ創世記の時代に共に活躍した戦友でもあった大村崑が「まこっちゃんとの思い出はつきない。彼は大阪人の宝です」と追悼の辞を発表するなど、多くの芸能・演劇関係者が追悼コメントを発して藤田まことを偲んだ、
落語家・はぐれ亭馬之助としても知られる。弟子にタレント・マジシャンのタクマらがいる。
1985年1月より同年7月まで放映された『必殺仕事人V』の主題歌「さよならさざんか」を実娘の藤田絵美子(当時の芸名。本名は原田絵美子。現芸名はEMIKO)が歌っている。
2002年には、紫綬褒章を受章した。
エピソード
コメディアンから国民的俳優になって、東京での仕事が増えてからも、藤田本人は東京生まれであったが、「東京は忙しすぎる。じっくりできる大阪が性にあっている」と亡くなるまで大阪を離れることはなかった。
『ダイラケのびっくり捕物帖』で俳優活動を始めた頃の藤田は、「立ち回りどころか刀の差し方も知らない有様で、袴の片方に両足を入れていた」という(当時のフロアディレクター談)。また、当時は芝居の実力も伴っておらず、演じている与力の自宅の縁側で、少しせりふをしゃべるだけという出番に終始したという。但し、親譲りの二枚目でテレビ映りが良く、鬘を付けた姿も様になっていた事が、その後の成功につながった。
『てなもんや三度笠』への出演に当たっては、スタッフ側から「他のレギュラー番組を全て降板すること」を条件にされたという。これは同番組の演出を担当した澤田隆治曰く「『てなもんや』で主役を張っている人物が他の番組で端役を務めていたら(この頃の藤田はテレビレギュラーでもまだ端役が多かった)、タレントの格としておかしなことになるし、視聴者も違和感を抱く」との理由から出された条件であったが、まだ全国区の人気を得ていなかった藤田にとって大きな賭けでもあった。
この結果、藤田は当時週8本あったレギュラー番組を全て降板して、『てなもんや』一本に賭けることとなった。しかし、さすがに全ての番組を円満に降板するというわけにはいかず、テレビ局によっては怒りを買い、かなり後になるまで藤田を一切起用しなかったところもあったという。
『必殺仕置人』の出演依頼は、他の俳優にも声がかけられていたが、全て断られたため、5人目の候補者であった藤田が選ばれた、というエピソードがまことしやかにささやかれた。だが、これは藤田自身が脚色したジョークで、実際には当初から藤田まことに決定していたとプロデューサーの山内久司が語っている。当時はスタッフサイドに反発があったが、深作欣二のみが藤田まことのキャスティングを絶賛したという。
1980年代、妻が事業に失敗したことで、40億円とも言われる借金を背負い込んでいたが、『主水御殿』と呼ばれた豊中市の自宅を売却したり、無休で精力的に俳優業を行うといった地道な活動が功を奏し、現在は借金を完済している。
しかし、この借金について、藤田の妻に対して融資していた大阪市内の金融業者(経営破綻済)の破産管財人が、藤田夫妻に対して、貸付金3億円の支払いを求め訴訟を起こした。藤田は「妻が勝手に印章を捺した」、「この業者は違法な高金利で貸し付けていた」などと主張したが受け入れられず、大阪地裁は2009年9月7日に、藤田夫妻全面敗訴の判決を言い渡した。
莫大な借金を抱えていた時期、娘の縁談がまとまり、結婚式が開かれることになった。その席に、招待していないはずの債権者が祝儀を手に駆けつけ、藤田はその様子を見て涙が止まらなかったという。また、債権者は、自ら色々なテレビ局などに藤田のことを売り込んでいたとされている。
チームが『近鉄パールス』と呼ばれていた頃から大阪近鉄バファローズの大ファンだった。2001年に近鉄がパ・リーグ優勝を果たし、関西地区において藤田主演の『はぐれ刑事純情派』が近鉄の優勝決定試合に差し替えられ(その週の土曜日に振り替え放送された)が、藤田はむしろそれを歓迎していたほどだった。しかし、2004年に起こった球団再編問題において、オリックス・ブルーウェーブとの合併反対を訴えるも実らず近鉄バファローズは消滅、その後日本プロ野球ファンを辞め、野球を観るにしてもメジャーリーグを観ると公言した。
『てなもんや三度笠』時代のスポンサーであった前田製菓とは、スポンサー契約が亡くなるまで続いた。これは、会社側が「うちの会社にはこれしかありません」と、毎年大量のクラッカーを契約金代わりに送ってくれるため、断れなかったためであるという。なお、贈られたクラッカーは毎年福祉施設に寄付されている。
泉北1号線に設置されている、大阪府が啓発している「道路を美しく・ゴミいや!マッタマッタ!みんなの道路ですぞ!」の看板に描かれている人物のモデルが、藤田扮する中村主水になっていたが、現在は道路工事等でほとんど撤去されており、わずかに残っているだけである。
沖縄戦で戦死した兄への想いが深く、兄からの戦時郵便(ハガキ)を終生保管し、常に携帯していたという。藤田はその兄が戦死した久米島には足を運ぶ勇気をなかなか持てなかったが、戦後60年を過ぎてからようやく訪れ、白米のおにぎりを兄が眠る海に投げ入れて冥福を祈った。
主な出演作品
テレビ
びっくり捕物帳 (1957年、ABC)
スチャラカ社員 (1961年、ABC)
若い季節(1961年、NHK)
てなもんや三度笠(1962年、ABC) - あんかけの時次郎 役
おれの番だ!(TBS)
女と味噌汁 その9(1968年、TBS)
天と地と(1969年、NHK大河ドラマ)
夜の大作戦(1970年 毎日放送)※関東では東京12チャンネル(現・テレビ東京)で放送
新・平家物語(1972年、大河ドラマ)
けったいな人びと(1973年・1975年、NHK)
必殺シリーズ(ABC) - 中村主水 役
必殺仕置人(1973年4月 - 10月)
助け人走る(1974年1月5日)第12話出演
暗闇仕留人(1974年6月 - 12月)
必殺仕置屋稼業(1975年7月 - 1976年1月)
必殺仕業人(1976年1月 - 7月)
新・必殺仕置人(1977年1月 - 11月)
江戸プロフェッショナル・必殺商売人(1978年2月 - 8月)
必殺仕事人(1979年5月 - 1981年1月)
新・必殺仕事人(1981年5月 - 1982年6月)
必殺仕事人III(1982年10月 - 1983年7月)
必殺仕事人IV(1983年10月 - 1984年8月)
必殺仕事人V(1985年1月 - 7月)
必殺仕事人V・激闘編(1985年11月 - 1986年7月)
必殺仕事人V・旋風編(1986年11月 - 1987年3月)
必殺仕事人V・風雲竜虎編(1987年3月 - 7月)
必殺剣劇人(1987年9月25日)第8話出演
必殺仕事人・激突!(1991年10月 - 1992年3月)
必殺仕事人2007(2007年7月、テレビ朝日共同制作)
必殺仕事人2009(2009年1月 - 6月、テレビ朝日共同制作、必殺仕事人シリーズ30周年記念作品・テレビ朝日開局50周年記念作品)
右門捕物帖(1974年4月-1975年3月、NETテレビ) - 政五郎 役
斬り抜ける 第16話「城代暗殺」(1975年、ABC) - 辰野平吾 役
座頭市物語 第19話「故郷に虹を見た」(1975年、フジテレビ) - 壮吉 役
あなただけ今晩は(1975年、フジテレビ)
夫婦旅日記 さらば浪人(1976年、フジテレビ)
京都殺人案内シリーズ(1979年-、ABC)
和宮様御留(1981年、フジテレビ) - 橋本実麗 役
はぐれ刑事純情派シリーズ(1988年-2009年、テレビ朝日) - 安浦吉之助 役
大忠臣蔵(1989年、テレビ東京) - 大野九郎兵衛 役
幻の殺意(1990年、フジテレビ)
藤田まことの丹下左膳シリーズ(1990年 - 1994年、テレビ朝日) - 丹下左膳 役
はぐれ医者・お命預かります!(1993年(SP版)・1995年(連続ドラマ版)、テレビ朝日) - 相良淳道 役
火曜サスペンス劇場(日本テレビ系)
『掏摸(スリ)』(1993年1月、東映)
『共犯関係』(1995年、東映)
『窓辺の女』(2001年1月30日、東映) - 野崎修平 役
『親父』(2002年、東映)
『「弁護士・高林鮎子」志摩の旅・みえ6号毒殺連鎖〜保険金狙いで魂を売った魔性の女!完全無欠の時刻表トリックを暴く』
『容疑者』(2005年2月、東映)
剣客商売(1998年-、フジテレビ) - 秋山小兵衛 役
燃えろ!!ロボコン(1999年12月19日、テレビ朝日)46話 - サンタクロース 役
武蔵 MUSASHI(2003年、大河ドラマ) - 柳生石舟斎 役
大奥 第一章(2004年、フジテレビ) - 徳川家康 役
世直し順庵!人情剣(2005年、テレビ朝日) - 河合順庵 役
天下騒乱〜徳川三代の陰謀(2006年1月2日、テレビ東京) - 旗本大久保彦左衛門 役
役者魂!(2006年10月 - 12月、フジテレビ)
仕掛人・藤枝梅安(2006年11月4日、フジテレビ)
太閤記〜天下を獲った男・秀吉(2006年10月 - 12月、テレビ朝日) - 茶人千宗易 役
警視庁捜査ファイル さくら署の女たち(連続ドラマ版、2007年7月11日、テレビ朝日)第1話 - 居酒屋の亭主 役(特別出演)
火曜ドラマゴールド「監察医・室生亜季子37・最後の解剖」(2007年3月27日、日本テレビ / 東映) - 難波一 役
法廷荒らし 弁護士・猪狩文助(2007年11月18日、BSジャパン / 11月21日、テレビ東京) - 猪狩文助 役
徳川風雲録 八代将軍吉宗(2008年1月2日、テレビ東京) - 副将軍水戸光圀 役
佐々木夫妻の仁義なき戦い(2008年1月 - 3月、TBS)
だましゑ歌麿(2009年9月12日、テレビ朝日) - 一心和尚 役
その他の番組 [編集]
SMAP×SMAP(関西テレビ・フジテレビ)「BISTRO SMAP」ゲスト
徹子の部屋(テレビ朝日)
年忘れにっぽんの歌(テレビ東京)2007年にゲスト出演。
いのちの響(TBS)
映画
出世武士道(1961年、東映)
てなもんや三度笠(1963年、東映) - あんかけの時次郎 役
続・てなもんや三度笠(1963年、東映) - 同
西の王将・東の大将(1964年、東宝)
ホラ吹き太閤記(1964年、東宝)
日本一のゴマすり男(1965年、東宝)
一発かましたれ(1965年、東映)
日本一のゴリガン男(1966年、東宝)
クレージーだよ奇想天外(1966年、東宝)
てなもんや東海道(1966年、東宝/宝塚映画/渡辺プロダクション)
クレージー黄金作戦(1967年、東宝)
クレージーの怪盗ジバコ(1967年、東宝)
クレージーメキシコ大作戦(1968年、東宝)
空想天国(1968年、東宝)
日本一の裏切り男(1968年、東宝)
日本の青春(1968年、東宝)
クレージーの大爆発(1969年、東宝)
ザ・タイガース ハーイ!ロンドン(1969年、渡辺プロダクション/東京映画)
日本一のヤクザ男(1970年、東宝)
沖縄10年戦争(1978年、東映)
闇の狩人(1979年、松竹)
衝動殺人・息子よ(1979年、松竹/TBS)
影の軍団 服部半蔵(1980年、東映)
わるいやつら(1980年、松竹)
炎のごとく(1981年、東宝)
真夜中の招待状(1981年、松竹)
野獣刑事(1982年、東映)
積木くずし(1983年、東宝〉 - 穂波高介 役
劇場版必殺シリーズ(松竹)
必殺! THE HISSATSU(1984年)
必殺! ブラウン館の怪物たち(1985年)
必殺! III 裏か表か(1986年)
必殺4 恨みはらします(1987年)
必殺!5 黄金の血(1991年)
必殺! 主水死す(1996年) - ここまで中村主水 役
必殺! 三味線屋・勇次(1999年) - 伝兵衛 役
はぐれ刑事・純情派(1989年、東映/テレビ朝日)
劇場版鬼平犯科帳(1995年、松竹/フジテレビ)- 白子の菊右衛門 役
突入せよ! あさま山荘事件(2002年、東映) - 後藤田正晴 役
大奥(2006年、東映/フジテレビ) - 奈良屋善右衛門 役
椿三十郎(2007年、東宝/テレビ朝日) - 睦田 役
明日への遺言(2008年、アスミック・エース) - 岡田資 役
ラストゲーム 最後の早慶戦(2008年、ラストゲーム 最後の早慶戦製作委員会) - 田中穂積 役
藤田さんと昔、大阪で共演していた森光子さんがお元気なのには驚き。女性の方が強いのかなぁ。
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