黒田清 記者魂は死なず河出書房新社このアイテムの詳細を見る |
久しぶりに「面白い分厚い本」を「熱」を持って読んでいる。大阪読売新聞社会部「黒田軍団」と呼ばれた、その社会部長・黒田清氏の評伝である。黒田氏が「社会部」にいた時代、僕はまだ学生だった。でも、「戦争」「窓」という連載、記者が開催した「戦争展」・・・「読売新聞」の紙面は確かに面白かった。その裏話はもっと面白い。
あのベストセラーで、テレビドラマ化もされた「クライマーズ・ハイ」も「新聞社内の抗争」を描いているが、この本はそれだけでなく、「新聞とはどんな目線で、どんな切り口で、どんなアプローチで作るべきであるか」を具体的に教えてくれ、それには凄い説得力がある。
さらに、黒田氏はアイデアマンでもあった。その「アイデア、つまり新企画」を上司に通すやり方はパワーもあり、計算もあった。
「窓」という連載では、「読者一人一人を記者にさせるというアイデア」を考え、その記事により、読売新聞と読者の距離が次第に近くなっていった。
僕が入社した1983年頃、テレビ局にも、そんな「野武士」の様な「制作マン」が残っていた。
僕達、新人ADも、夜中に生放送が終わって、20歳以上年上の先輩達と論争もしたし、大喧嘩もした。それもすべて、番組をどう面白くするかという点に関して。
そんな若手が今いるのだろうか?僕の同期で「番組を作っている奴」が何人かいる。彼らは、「自分の番組の為」なら、「勉強もする」し、どんな困難もすり抜けてでも面白い番組を放送までもっていく。その為に、「人脈」を作り、「俳優やタレント、声優、いろんな事務所」との繋がりを大切にしている。
だから、「彼らには強い個性」がある。その「個性」を凌駕する若手が早く出てきて欲しい。確かに、僕らの世代が体験してきた「番組制作」と「今の番組制作」では「仕事量」も違うだろうし、こんなにいろんな情報発信メディアがある中で、「テレビ媒体」を使って、「こんな企画あったんや!!!」と唸らせる番組を企画し、制作、放送までもっていくのはより難しくなっている現状はあると思う。
でも、黒田清さんも、「精神を病んで数ヶ月、会社を休んだ時期」がある。「情報」に埋もれていないで、「五感に感じる番組」を作って欲しい。それに必要なのは、「自分の目線、自分の切り口」である。
「会社自体」「日本自体」が閉塞し、保守的になっている様に思う。もしかしたら、今がチャンスかもしれない。
何か、とても元気を貰える本だ。最近、通勤電車で本を読む事にさえ、疲れていた僕が、行きも帰りも電車が混んでいても、ひたすら読み続けている。
「新聞の記事」も「テレビ番組」も自分の考えた「新しい切り口のもの」が出来上がった時、それは「至福の時」だ。46歳にして「人生、迷っている僕」だが、勇気を貰った。そして、自分にも「至福の時」があった事を思い出した。
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