思考の踏み込み

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完璧6

2014-04-28 01:59:19 | 
定期的にバッハが聞きたくなる事がある ー 。

しかしその場合の六割くらいまでがカザルスを聞きたいと思うことと、私の場合同じであることが多い。



大バッハの宗教的世界観とその昇華へと向かう感覚は、けしてキリスト教徒だけで独占されるようなものではなく、人類が時代を超えて共有できる価値を持つ。

パブロ カザルスによる無伴奏チェロ組曲はその表現の極みであろう。

それまで練習曲程度にしか考えられていなかったこのバッハの名曲を掘り起こし、光を当てたカザルスだが、曲と出会ってから人前で演奏するまでに12年かかったと自身述べている。

このことからもわかる様に、この天才は強烈な完璧主義者で納得の行くまで物事を追求する芸術家であったことがわかる。

そのためにチェロ奏法を改革し、相当に修練を積んだであろうことは彼のチェロを持つ "型" をみれば一目瞭然である。

腰が決まり、余分な力が抜けていてあたかも武術の達人の様な気配さえ漂っている。

(剣、禅、書、多岐にわたって達した人 ー 山岡鉄舟。まだ若い頃の写真とはいえ、何気なく座っている様でいて隙のない構えがみてとれる。)


いろんなチェリストの音を聞いてみても、カザルスだけ違う楽器なのではないかと思う程に音が異なるのも、その要因は彼の高度な身体技法に帰結すると思われる。

したがってカザルスには "天才" という陳腐な評価よりも "達人" とか "至人" とかいった賛辞を送りたい。

それは素材そのままで、その才を食い散らかして終わるだけの天才とは違い、永い自己修練と飽く事のない探究心、"完璧" を追求しけして妥協しない厳しさ ー がある。

持って生まれた才能には誰も抗えるものではないが、人間に与えられた可能性は等しく無限なものであるはずである。

鍛錬や修練によってそれを引き出し、一定の境地に達した者を達人と呼ぶ。

それは人間がいかに生きるかというヒントさえ与えてくれるものだが、かつて日本にはあらゆる職種に有名無名問わず、この達人、もしくは名人がたくさんいたものだ。



その達人たちに共通する内容を分析し、踏み込んでいく事はまたの機会にしようと思うが、カザルスはその達人たちの中でも突出した存在といえよう。