思考の踏み込み

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蟲師 続章3

2014-04-12 03:15:58 | 日記
ー およそ遠しとされしもの

下等で奇怪 見慣れた動植物とは まるで違うとおぼしきモノ達

それら異形の一群を ヒトは古くから
畏れを含み いつしか総じて「蟲」と呼んだ ー


「蟲師」第一巻冒頭の一説である。


同じく第一話、"緑の座" にて五百蔵( いおろい) しんらが、蟲師ギンコに尋ねる。

ー 「蟲?」

「ああ。昆虫や爬虫類とは一線を引く "蟲" だ。」
「大雑把に言うとこうだ。
この手のこっちの四本が動物で親指が植物を示すとするぜ?
するとヒトはここ ー 心臓からいちばん遠い中指の先端にいるってことになるだろ」



「手の内側にいく程下等な生物になっていく。
辿っていくと手首あたりで血管がひとつになってるだろ」

「…うん」

「ここらにいるのが菌類や微生物だ。
この辺りまで遡ると植物と動物との区別をつけるのは難しくなってくる。」



「ー けど まだまだその先にいるモノ達がある。腕を遡り肩も通り過ぎる。
そしておそらく… ここらへん(心臓) にいるモノ達をー」

「"蟲" あるいは "みどりもの" と呼ぶ」





…いのちの大本にあるものは何だろうか?
本ブログでも「南方熊楠」や「それ以前」で思考してきた。

これらは全て根っこのところではひとつのモノだと個人的には思う。



そのひとつのモノの "チカラ"もしくは "エネルギー" を人格化したものがいわゆる "神" といわれる存在ではないか?

"蟲" とはきわめてその根元に近いところの存在であり、それは漆原友紀の創作に近いものだが、そうした存在は我が国では昔から身近に認められてきたものでもある。

「蟲師」が描こうとする世界もまたそういう範囲の出来事であり、その根元とは何だろうかと考えさせてくれる作品という意味で限りなく魅力を感じるのである。