思考の踏み込み

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戦国夜話22

2014-04-01 07:56:30 | 歴史
実質豊臣政権とは秀吉の死でレームダック化しており、秀頼の代はとても統一状態とは言えないから、秀吉の栄華は僅か八年ほどということになる。

まさに "夢のまた夢" というわけだが、これを秀吉の限界といったのは少し語弊があるかもしれない。

秀吉の限界というよりも一人の男が出来る仕事の範囲の限界というべきだろう。それほどに人の一生は短く、やれることなど少ない。

もしかしたら秀吉ほどの男のことだからそんなことは全て解っていたかもしれない。
だから最期にやけくそで大花火を打ち上げるように大陸に侵攻したのかもしれない。

例えば西郷隆盛が「知己を百年後に求めて仕事をする」といっていたりするような精神性の高さは秀吉にはないし、秀吉があまり好きでない者は、彼のこの辺りの俗っぽさやアクの強すぎる生き様がその理由なのだと思う。

だが西郷の仁者としての生き方ではとても秀吉の様な立身出世はできない。
西郷は最後まで主筋島津久光への道義的苦悩にさいなまされ、行動を制限した。

だがこれらはどちらがどうというようなものではない。
男がその生涯かけてやれることなどたかがしれたものであり、女性が命を繋げる神の仕事を担っていることと比べるとまったく儚いことである。

そんな秀吉という、働きに働いた男の下に当時の英雄豪傑どもが集められている景色 ー 集められたモノたちは内心穏やかでなかったであろう。

だがどうもこの男には敵わない、という半ば苦笑してしまう様な不思議な力が秀吉にはあった。
とはいえ秀吉が死ねばまだ世の趨勢は解らぬぞとは誰もが考えていただろう。

形の上では統一を達成しながらも、内実は戦国の火種は依然としてくすぶっている。

そんなツワモノどもが夢の残り火を ー
危ういながらも際どいところで、太閤秀吉という史上めずらかな大気者が見事に御している。

ー 日本史におけるこの長く雄渾な叙事詩の結びにはそんな一幕こそがふさわしいのではないだろうか。