白寿を目指す抗衰老ライフへの誘い

慣れ親しんだ新容器野菜養液栽培に別れを告げ、新たに取組んだ老人の終末課題の経過発信を続けさせて頂きます。

―平成の養生訓―

2017年07月18日 | 健康

今年も7月の中旬を過ぎ、今年1年の後半に入りましたが、この7月末で妻に先立たたれて早くも丸3年になり、後2カ月ほどで満80歳の「傘寿」を迎える歳になりました。

思い返せば妻を看取ってからアッと言う間に過ぎ去った3年間であり、健康で無事に今日まで生きられたのも、己に与えられた生まれ持っての天命でしょうが、先立った妻が草場の陰で無事を祈っているお陰と想い、仏壇の妻の遺影に手を合わせては感謝しながら毎日を送っています。

 扨て、先日は 「平成の養生訓」と副題の付いた作家の五木博之氏と医師である帯津良一氏との対談をまとめた2冊の本 「健康問答」と「養生問答」を区立図書館から借りて読む機会に恵まれました。

       

   ―健康問答‥        養生問答‥平凡社版―

齢80歳近くになれば、誰もが関心を寄せるのが健康維持に欠かせない日常の生活習慣での養生の心掛けであります。

加齢と共に当然落ちる体力と身体機能の低下を少しでも和らげる食習慣や運動習慣、日ごろから気を付ける健康チェックであり 「平成の養生訓」と書かれてあれば、これぞ貝原益軒の「養生訓」の現代版では?と、思わず手に取り読み始めた次第です。

ところが読んで見るとその2冊、残念ながら期待したような内容には乏しく、健康生活の心得のヒントの現代版と言うにはやや的外れであり、健康問答で語られている中身と言えば、当世の飲食慣行から始まって、現代療法、ガン療法、人気療法と、巷に溢れている世俗的な食習慣や健康常識、医療常識の総チェックであり、それらの良し悪しの問答ですが、その終章には生き方、死に方の総チェックとあって、下世話な話題を作家の五木寛之氏が思い付いたように色々と問い語る、何かやらせを思わせる対談ではないかと思われました。

其の問いに応えている方が日本のホリスティック医学の第一人者とされる医師の帯津良一氏であり、下世話な話題故か、言葉少ない返答に終始して居て時には生返事にも聞こえ、庶民一般常識に応える単なる返答であり、養生と言うには中身に乏しい話ではない無いかとがっかりさせられました。

 

―著者:五木寛之氏―Web画像より

そして健康問答の終章では、人の死を療治できない現代の医療を医療時代の終わりを意味していると受け取れる話があり、それに替っての養生法も亦 「気休め、骨休め、箸休め」でしか無いと言う五木寛之氏の言うに至っては、今日の西洋医学が窮しているガン治療等、多くの医療が治癒困難に当面し、その医療限界に色々と腐心している状現況下にあって、生み出される医療不信、片や医療行政の形骸化、益々上がる民間の医療へのフラストレーション等、それらを裏打ちする一種のヒステリーともとれる言動ではと感じました。

次の「養生問答」では、その打開策を探る形で取り上げられているのが代替医療の各々であり、特に「民間療法」を、あれこれやと尋ね問う話です。

現代医療が壁に突き当たって苦慮し、行き詰まっている難題の数々を探る形の話ですが、臨床応用への新アプローチ等、今や世界の潮流となって唱えられている統合医学、代替医学、又その陰で、期せずして脚光を浴びる形となったガン療法などの様々な民間療法、人気療法等ですが一寸低俗すぎる話が多すぎます。

其処に登場してくる話は前述したように、その多くが一般庶民常識レベルの質疑であり、その実態を問い明かし、真摯に受け止めて当世の「養生訓」に足る生活信条として実践に移せるような事とはとても思えません。

其の結論から言えば、人間機械論に基いた現代医学の未発達と示唆されながら、人の「命」の未解明に行き着くとの話で締め括られてしまい浅薄すぎるのです。

其処には、アンドリューワイル博士の話も出て来るのですが、現代医学、その医療の根本理念には触れられる事もなく、一種の医療に対する諦観とも取れる、慰めに似た精神医療論しか語れない、空虚な養生の心得しか提示でされない姿が、その陰にあると受け取りました。

 

―著者:帯津良一氏―Web画像より

尚も単直に申せば、今日の日常的な食習慣、健康常識、医療常識、ガン療法、人気療法等、その果ての人の生き方、死に方の総チェックまで、色々な角度から語られているのですが、現代医学の身体だけの医学の時代から、今や一歩進んでの21世紀の医学では、マインド、スピリットと一体化した医学医療の時代に入っていると、ホリステイック医学を唱える帯津良一氏の持論に集約されて終わっていて、其の医学的、医療技術的な方法論に就いては、今尚将来像が見えて来ていない印象でした。

しかし、翌々考えてみると、現代の医学医療の人間機械論で全て解き明かせるとして来た西洋医学の理念にこそ問題があるのであり、今や世界的に模索されている代替医学へのアプローチ、その療法への転換の中にこそ、その医療に基く新しい「養生訓」が唱えられて然るべきと思われるのですが、それの点が見えて来ないのです。

 

―貝原益軒の養生訓の写本ーWikipediaより

江戸時代の中期の正徳2年(1712年)、貝原益軒が83歳の時に著した300年前の「養生訓」、東洋医学が支えとなっている根本理念である万物は皆陰陽の二気が交わることで生ずるものであり、気が集まって形を成し、理もこれに備わるという、宇宙観を根底に持つ自然哲学で貫かれています。

その身体の内から生じる「健康」観をめぐっては、養生の第一は生活習慣であり、欲望(飲食・好色・睡眠・饒舌)を少なくして身体を損なわないようにする事であり、もう一方では、外からくる邪気(風・寒・暑・湿)である気候変化の影響を、防ぐことが如何に大切かと説かれています。

 身体の欲求を少ない方向に調整することで、内的環境を欲求に任せず、外的環境からは身体を保護しなければ病になって死に至ることを、草木の肥料多ければ枯れることに例えて、人として養生による生命保全の大切さを説いています。

儒学者であった貝原益軒の儒学思想が生活信条(養生訓)に貫かれているのは当然であり、其の自然秩序を自ら守る事が、養生たる所以と理解されるのです。

 

狩野昌運筆 貝原益軒像―Wikipediaより

話は飛びますが、1948年に発効した世界保健機関の設立時の憲章の前文には、健康の定義が記されています。

1999年の憲章の改正ではその定義を 「完全な肉体的(physical)、精神的(mental)Spiritual 及び社会的(social)福祉のDynamic な状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではないとされました。

健康は、身体的、精神的、及び社会的に完全に良好な状態であって、単に疾病がないとか、虚弱でないというだけでは無く、今日達成しえる最高水準の健康を享受することは、すべての人間が、民族、宗教、政治的信条、経済・社会的な信条に関わりなく、共通に与えられる基本的人権のひとつであり、すべての人々の健康は平和と安全を達成する基礎であり、ある国が健康の増進と保護を達成することは、すべての国に対して価値を有する」としています。

健康であるためには 「個人と国の協力」が必要であり、健康とは生きていることの目的ではなく、毎日の生活を送る個人的資源であり、社会的資源であることを強調する積極的な概念であります。

それゆえ、健康促進は、健康的なライフスタイルを形成する過程から、幸福に生きること(well-being)にも関わる事であります。

 

―世界保健機関WHOのロゴマークー

そして養生とは、その健康な生活を送るための経験的知識、方法論の蓄積の中から、独自の健康保持の体系を作り上げる事であります。

それが「養生」思想であり、人間の生きてきた知恵の中には、洋の東西で異なる集大成された養生思想があり、日本に大きな影響を与えたのは東洋、特に中国の養生思想であると言われています。

東洋の「養生」とは、「日本、中国及び朝鮮といった極東アジアの文化的環境の中で、健康を守るための生活の方法を指す概念であるとともに、進んで長生するための寿命延長の方法を指す概念であるとされています。

時代背景と環境の中で長寿をめざして、人間としてどのように生きていくのかという生活方法を理論的に体系化しています。

古代中国で発達した「養生観」とは、心身のバランスを保って健康な長寿を図る考え方であり、その理論的特長は、気を介した生命と天地の一体性という点にあると言うのです。

気とは、物理的なエネルギ―活動の総称であり、天地も生物の体もともに気から成り立つことから、その気を摂取すれば、不滅の天地と等しい肉体になれるという論理であり、中国養生観の特色は中国養生思想の気を介する人間と天地の一体化を差しているのです。『中国古代思想の総合的研究』平河出版、1988)より

貝原益軒は「養生訓」の中の「巻第六 慎病」では養生の心得を次のように述べて、何よりも普段から病気にならないように養生に努める事を説いています。

「中風は、外の風にあたりたる病には非ず、内より生ずる風に、あたれる也。肥白にして気すくなき人、年四十を過ぎて気衰ふる時、七情のなやみ、酒食のやぶれによって、此病生ず。」 肥満者、酒食の養生法を守れず過ごすと、40 才を過ぎて、手足のふるえ、しびれ、麻痺、口のゆがみと喋れない症状、いわゆる中風が発生することを警告し、当時の医学の根拠を示しています。

現代の脳血管障害であり、日頃からの体重、飲酒などの健康管理の必要性を促し、「保養の道は、みづから病を慎しむのみならず、又、医をよくえらぶべし。天下にもかへがたき父母の身、わが身を以(て)庸医の手にゆだぬるはあやうし。」と‥‥

そして、貝原益軒は「養生訓」の中で、病で医者に掛かる時の心得を述べて、医者の医療倫理についても厳しく触れています。

「医の良拙をしらずして、父母子孫(の)病する時に、庸医にゆだぬるは、不孝・不慈に比す。「おやにつかふる者も亦、医をしらずんばあるべからず」。といへる程子の言、むべなり。医をゑらぶには、わが身医療に達せずとも、医術の大意をしれらば、医の好・否(よしあし)をしるべし。たとへば書画を能せざる人も、筆法をならひ知れば、書画の巧拙をしるが如し。」

 

―山梨県立博物舘展示会ポスター医は人を救う術―

「医は仁術なり。仁愛の心を本とし、人を救ふを以て、志とすべしわが身の利養を、専に志すべか

らず。天地のうみそだて給へる人を、すくひたすけ、万民の生死をつかさどる術なれば、医を民の司命と云、きはめて大事の職分なり。他術はつたなしといへども、人の生命には害なし。医術の良拙は人の命の生死にかかれり。人を助くる術を以て、人をそこなふべからず。」

病気の注意は常日頃行ない、医者の選び方も、良医を選ぶことは大切であり、医療を知らなくても、医術の大意を知れば、医師の良し悪しはわかると述べているのです。

益軒は自ら長崎にて医学を学び、医師としての大切な一面を心得ていて医師のあるべき姿を問い、その医療倫理の重要性に言及しています。

また、その「巻第七 用薬」で、薬は良薬にもなり、毒薬にもなると、病状による適切な薬の使い方をしなければ、薬の乱用は禍が多く、かえって毒にさえなる.過不足ない中庸を保つことは飲食や睡眠に限らず、どのような時でも、誰にとっても、どのような場においても、一貫性を持っていて、また、自然に治る病気もあり、薬に頼らずに、精神的活動と運動と休養を適宜持てば、運動で気を巡らせることができて、寿命を保つことができると強調しています。

 中毒についても応急手当について古史をあげて述べているのは、益軒の知識の根拠を明らかにし、また自らの実践に基づく説明を行なう姿勢を見ることができると言います。

 香の効用は正気を助け、邪気を払う、悪臭を消し、汚れを取り払うことであり。香をたいて心を養うことであり、「大和本草」を著して居る事もあって、現代に通用するアロマテラピーを既に認識して居たのです。

 

―貝原益軒の「大和本草」 国立博物舘展示―

その「巻第八 養老」では、老人介護、その接し方に触れています。老人は子供を養うときに心を配るように、同様の配慮が必要であり、老人は老いと共に体力が衰え、同時に胃腸を弱くなる.老人の特徴をよく捉えていて、老後の過ごし方としては、老後の境遇に応じた節度を心得、中庸を基本として残る人生を楽しく過ごすことの大切さを説いています。

若いときからいかに老いるかを考え、人といかに和していくかが大切であることを強調し、現代の高齢社会を想定して述べたかのように、老いに備えて生かす事ができる内容を説いています。

其の原点は、古代中国で発達した「養生観」であり、心身のバランスを保って健康な長寿を図る考え方であり、その理論的特長は、気を介した生命と天地の一体性という自然哲学にあるのです。

此処で亦、表題の平成の養生訓の養生問答に戻りますが、今や医療は総花的となり、様々な民間療法を始め、各種の手技療法、ホメオパシー医学、気功療法、民間ガン療法、スピリチュャルヒーリングと、療法には百人百療法があると著者は言います。

天命として人に与えられた命の流れの中で、自ら健康長寿を維持して行ける生活の心得となる養生法の実践のヒント、その百人百療法の中に隠されていると著書はあとがきで述べています。

健康な生活を送るための経験的知識、その方法論、最早現代医学の人間機械論の世界には指標となすべき養生哲学は、単独的には存在しないと言う事です。

それには、己の天命を全うする健康哲学を自ら探して実践するしかなく、それが平成の養生訓です! パチ、パチ、パチ 👏

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