本日、京都八幡高校の卒業式がありました。
本年度は北村公平、山原翔一の2名の卒業生を送り出せました。
北村は早稲田大学、山原は中京学院大学へそれぞれ進学し競技を続けます。
これから京都八幡の看板を背負って、頑張って欲しいと願います。
今日は山原翔一をこの3年間指導して感じたことを記します。
1年のJOC、当時はまだ60㎏台でカデット69㎏級に出場し、この大会で肩を脱臼してしまいました。
実を言うと中学時代から相手のタックルを正攻法でディフェンスせず、返し技に頼るレスリングでした。
そのため中学時代から肩の脱臼癖があり、このJOCが終了後、ドクターの薦めで肩の手術を1年生の6月に実施。
その後、約8ヶ月間、リハビリと地道な体力トレーニングしかできない状況が続きました。
マットワークができるようになったのは、たしか年が明けた2月頃で、手術後、腐ることなく、毎日単純なリハビリと体力トレーニングに全力を尽くしました。
彼の素晴らしいところはこの部分にあります。人間というのは誰でも必要な時には頑張ります。
楽な場面があった場合、「ここは手を抜いても大丈夫だろう」と考えて手抜きをしてしまう選手は多くいます。
しかし、翔一はどんな練習でも手を抜かずに必死に練習していた姿を思い出します。
これは、怪我から復帰しマットワークができるようになってからも一緒で、どんな練習メニューにおいても、いつでも全力で臨んでいました。
手を抜いてもいいと分かっていても全力を尽くす。そういう行動、練習をすることが大事であり、それが自分の本当の実力になっていく。こんなことを私に教えてくれた選手でした。
あと、山原翔一といえば、絶対に忘れることのできないことがあります。
何と言っても2年前の全国選抜。準決勝・上田西戦での劣勢状況からの奇跡的な「首投げ」でしょう。あれがなければ団体初優勝は絶対になかったです。
実は選抜前の2週間前に、上田西とは練習試合をしていて、山原は大差判定で敗れており、誰もが「終わった」と感じたのがほとんどだったと思います。
「試合は最後まで分からない」と日頃、偉そうなことを言っていた私も、正直、翔一勝負になった時には「終わりか」と思ってしまいました。
ところが思っていたのは私だけで、本人は全くあきらめておらず最後まで全力を尽くしたわけです。
あの試合で改めて「試合は最後まで分からない」ということを翔一から教わりました。
また、周りの関係者の方々は「運が良かったな」とか「奇跡がおきた。よく頑張った」などと声をかけてくれました。
「勝ち負けはツキ」とか「勝負とは時の運」とか「運も実力のうち」なんていう言葉がありますが、私はこうやって、いつでも手を抜くことなく、日々の練習に妥協せず、全力で取り組み、小さなことを積み重ねている者に「運」というのは巡ってくるものだと感じました。だからあの勝利は、翔一が自ら実力で引き寄せたものだと思います。
このように、山原翔一は京都八幡高校に偉大な歴史を残した選手です。
性格も個性的で、もういなくなると思うと寂しいですが、中京学院大でさらに努力を続け、まずは西日本優勝を目指して挑戦していって欲しいです。
本年度は北村公平、山原翔一の2名の卒業生を送り出せました。
北村は早稲田大学、山原は中京学院大学へそれぞれ進学し競技を続けます。
これから京都八幡の看板を背負って、頑張って欲しいと願います。
今日は山原翔一をこの3年間指導して感じたことを記します。
1年のJOC、当時はまだ60㎏台でカデット69㎏級に出場し、この大会で肩を脱臼してしまいました。
実を言うと中学時代から相手のタックルを正攻法でディフェンスせず、返し技に頼るレスリングでした。
そのため中学時代から肩の脱臼癖があり、このJOCが終了後、ドクターの薦めで肩の手術を1年生の6月に実施。
その後、約8ヶ月間、リハビリと地道な体力トレーニングしかできない状況が続きました。
マットワークができるようになったのは、たしか年が明けた2月頃で、手術後、腐ることなく、毎日単純なリハビリと体力トレーニングに全力を尽くしました。
彼の素晴らしいところはこの部分にあります。人間というのは誰でも必要な時には頑張ります。
楽な場面があった場合、「ここは手を抜いても大丈夫だろう」と考えて手抜きをしてしまう選手は多くいます。
しかし、翔一はどんな練習でも手を抜かずに必死に練習していた姿を思い出します。
これは、怪我から復帰しマットワークができるようになってからも一緒で、どんな練習メニューにおいても、いつでも全力で臨んでいました。
手を抜いてもいいと分かっていても全力を尽くす。そういう行動、練習をすることが大事であり、それが自分の本当の実力になっていく。こんなことを私に教えてくれた選手でした。
あと、山原翔一といえば、絶対に忘れることのできないことがあります。
何と言っても2年前の全国選抜。準決勝・上田西戦での劣勢状況からの奇跡的な「首投げ」でしょう。あれがなければ団体初優勝は絶対になかったです。
実は選抜前の2週間前に、上田西とは練習試合をしていて、山原は大差判定で敗れており、誰もが「終わった」と感じたのがほとんどだったと思います。
「試合は最後まで分からない」と日頃、偉そうなことを言っていた私も、正直、翔一勝負になった時には「終わりか」と思ってしまいました。
ところが思っていたのは私だけで、本人は全くあきらめておらず最後まで全力を尽くしたわけです。
あの試合で改めて「試合は最後まで分からない」ということを翔一から教わりました。
また、周りの関係者の方々は「運が良かったな」とか「奇跡がおきた。よく頑張った」などと声をかけてくれました。
「勝ち負けはツキ」とか「勝負とは時の運」とか「運も実力のうち」なんていう言葉がありますが、私はこうやって、いつでも手を抜くことなく、日々の練習に妥協せず、全力で取り組み、小さなことを積み重ねている者に「運」というのは巡ってくるものだと感じました。だからあの勝利は、翔一が自ら実力で引き寄せたものだと思います。
このように、山原翔一は京都八幡高校に偉大な歴史を残した選手です。
性格も個性的で、もういなくなると思うと寂しいですが、中京学院大でさらに努力を続け、まずは西日本優勝を目指して挑戦していって欲しいです。