今年の冬は早く来るかも知れないよと,マンションの管理人さんに言われた。例年よりも早く金木犀の花を見付けたらしい。そう言われると,確かに小さな花がついていて,少し香りもしてきた。
この2,3年は,毎年9月も半ば過ぎまで,かなり暑い日が続いていたが,今年はいつまでも梅雨が終わらず,やっと暑い夏が来たと思ったら,8月末には,早々に涼しい風が吹いてきたりした。今日はまた,雨模様のせいか,ずいぶんと涼しい風が吹く。夏のままにタンクトップでパソコンに向かっていると,なんだか寒いような気もする。じゃあ,さっさと洋服着ろよという話になるのだが
北村薫の本は,ずっと読んでいたんだけど,「ひとがた流し」でちょっと挫折して,それっきり手にとってなかった。で,先般,直木賞を取られたということで,またその本が3部作ということで,久々に読んだ。文庫本になっていた「街の灯」と「玻璃の天」。直木賞受賞作は,図書館でもリクエスト待ちだし,まだ文庫になってないので,未読で,おもしろかったです。私は,初期のころの「円紫さんと私」のシリーズが好きだったんだけど,それを思い出させる感じ。
舞台は昭和7年で,先日週刊ブックレビューで御本人が出られておっしゃっていたし,また末尾に参考資料をつけてらっしゃるので,これは本当にあったことがベースになっているということ。
関東大震災から太平洋戦争に突入するまでの時代は,自分はもっと暗い時代というイメージがあったんだけど,最近立て続けにこの時代のことを書いた本を何冊か読んで,国家主義的というか,軍部が台頭して,思想的にも段々辛い時代にはなってきているが,しかし,ずいぶんと華やかな時代でもあったんだなということを思う。もちろん,それは,ある一定程度の力(財力も含めて)を持った者だけが享受できる世界ではあったろうし,地をはうような生活をしている人が多い時代ではあったろうけどね。
たまたま,山本夏彦氏の「浮き世のことは笑うよりほかなし」という対談本も読んでいて,その中に,ちょうどその昭和1桁の時代のことを話しているところがある。そこで,明治時代の金持ちの話をしていて,彼らはもちろん,財をなすについて,いろいろなことをしたのだろうけど,一方で,その金を散じることを知っていた。学んで散じたのだとして,そういう人たちが文化を守ってきたと話していた。いわゆる,金持ちの旦那はいかにあるべきかということかそういえば,「玻璃の天」でも,文庫の解説で岸本葉子さんが,「ノーブレス・オブリージュ」について触れている。
で,実は,「玻璃の天」では,資生堂パーラーのことがでてくる。主人公が兄と一緒にコロッケ(資生堂パーラーでは,ミートクロケットと言うらしい)を食べに行くところで,「《あれ》は銀座の名物のひとつらしい。だが,そこはコロッケ。目を開くほどの高級品ではない。《今日もコロッケ,明日もコロッケ》と歌に歌われるほどだ。」(文庫 P.153)
その歌は,私もどこかで聴いたことがあるが,戦前の歌だったとは知らなかった。で,実は,山本夏彦氏の本を読んでいたら,白崎秀雄氏という美術評論家と,三井物産の初代社長で三井コンツェルンの創設者権総支配人であった益田孝について語っている。で,その息子,益田太郎は帝劇の創立に寄与し,喜劇か喜歌劇の脚本を書いたというところで,「今日もコロッケ,明日もコロッケ」というコロッケの唄は彼の作なんですよとあるのが,ちょうど読み終わった「玻璃の天」とシンクロして,なんともおもしろかった。
この2,3年は,毎年9月も半ば過ぎまで,かなり暑い日が続いていたが,今年はいつまでも梅雨が終わらず,やっと暑い夏が来たと思ったら,8月末には,早々に涼しい風が吹いてきたりした。今日はまた,雨模様のせいか,ずいぶんと涼しい風が吹く。夏のままにタンクトップでパソコンに向かっていると,なんだか寒いような気もする。じゃあ,さっさと洋服着ろよという話になるのだが
北村薫の本は,ずっと読んでいたんだけど,「ひとがた流し」でちょっと挫折して,それっきり手にとってなかった。で,先般,直木賞を取られたということで,またその本が3部作ということで,久々に読んだ。文庫本になっていた「街の灯」と「玻璃の天」。直木賞受賞作は,図書館でもリクエスト待ちだし,まだ文庫になってないので,未読で,おもしろかったです。私は,初期のころの「円紫さんと私」のシリーズが好きだったんだけど,それを思い出させる感じ。
舞台は昭和7年で,先日週刊ブックレビューで御本人が出られておっしゃっていたし,また末尾に参考資料をつけてらっしゃるので,これは本当にあったことがベースになっているということ。
関東大震災から太平洋戦争に突入するまでの時代は,自分はもっと暗い時代というイメージがあったんだけど,最近立て続けにこの時代のことを書いた本を何冊か読んで,国家主義的というか,軍部が台頭して,思想的にも段々辛い時代にはなってきているが,しかし,ずいぶんと華やかな時代でもあったんだなということを思う。もちろん,それは,ある一定程度の力(財力も含めて)を持った者だけが享受できる世界ではあったろうし,地をはうような生活をしている人が多い時代ではあったろうけどね。
たまたま,山本夏彦氏の「浮き世のことは笑うよりほかなし」という対談本も読んでいて,その中に,ちょうどその昭和1桁の時代のことを話しているところがある。そこで,明治時代の金持ちの話をしていて,彼らはもちろん,財をなすについて,いろいろなことをしたのだろうけど,一方で,その金を散じることを知っていた。学んで散じたのだとして,そういう人たちが文化を守ってきたと話していた。いわゆる,金持ちの旦那はいかにあるべきかということかそういえば,「玻璃の天」でも,文庫の解説で岸本葉子さんが,「ノーブレス・オブリージュ」について触れている。
で,実は,「玻璃の天」では,資生堂パーラーのことがでてくる。主人公が兄と一緒にコロッケ(資生堂パーラーでは,ミートクロケットと言うらしい)を食べに行くところで,「《あれ》は銀座の名物のひとつらしい。だが,そこはコロッケ。目を開くほどの高級品ではない。《今日もコロッケ,明日もコロッケ》と歌に歌われるほどだ。」(文庫 P.153)
その歌は,私もどこかで聴いたことがあるが,戦前の歌だったとは知らなかった。で,実は,山本夏彦氏の本を読んでいたら,白崎秀雄氏という美術評論家と,三井物産の初代社長で三井コンツェルンの創設者権総支配人であった益田孝について語っている。で,その息子,益田太郎は帝劇の創立に寄与し,喜劇か喜歌劇の脚本を書いたというところで,「今日もコロッケ,明日もコロッケ」というコロッケの唄は彼の作なんですよとあるのが,ちょうど読み終わった「玻璃の天」とシンクロして,なんともおもしろかった。