日,暮らし

明日は明日の風が吹く。

「その街の今は」柴崎友香

2007-03-30 | 日々の読書
数年前に,「きょうのできごと a day on the planet」という映画を見た。田中麗奈が主演,その恋人中沢が妻夫木聡。京都の大学院へ進学する正道の引越祝いに集まった仲間たちの,ごく平凡な日常風景を描いた映画。「淡々と・・」って,こういうことかという感じか。テレビでは,ビルの間に挟まった人を助けるニュース,海岸ではクジラが動けなくなり,真紀(田中麗奈)の友達けいと,の片恋は実らず・・。最後は,クジラが動けなくなっていた海岸にドライブに行くんだったっけ・・・。若い時間って,こんなだったよなって感じがしながら,映画館で1人で見ていた。

その原作本の作者柴崎友香の本を図書館で見つけた。「その街の今は」(新潮社)変わっていく大阪の街。その街でカフェのアルバイトをしている28歳の歌子。半年前まで勤めていた会社が倒産して,その後,ランチでよく行っていたカフェでアルバイト中。

10年来の親友の智佐と百田さんと行く合コン,別れたというか,捨てられた恋人の出現,友達以上恋人未満のような良太郎とのあれこれ・・・。

歌子は,自分は大阪で生まれ育ったけど,両親は違う。自分が幼いころの思い出には,大阪の街の風景があるのだけど,親にはそれはないんだという不思議な感覚。歌子は,大阪の古い写真を集めているのだけど,そんなことから,良太郎とも,なんとなく不思議に話があって,そうと意識しないうちに,お互いが引かれ合っているというか・・・。

なんとなく心引かれる本というのは,恐らく書かれてある言語が自分の内の言葉と合致する部分があるんだろう。

「突然,わたしはその光景が実際にあったものなのだと強く感じた。その映像の中に映っていることがあって,そのあと何十年かの時間が流れて,わたしが今いるここになっているのだ,と思った。」(P.107)

以前,地元新聞に古い写真が掲載されていた。明治になった直後。もうないと思われていた古い写真が,イギリスのケンブリッジ大学に残されていたということだった。そこに写る風景は,今に面影を残す部分もあるが,大部分は今とはすっかり変わってしまった風景。でも,確かに,そのとき,そこにはそれがあったのだという確たる証拠のようなもの。そして,それから百年以上の時間がたって,今自分がここにいるということ。

その古い写真を見たとき,歌子が感じたことと同じ事を私が感じた気がする。そして,その感覚を,ちゃんと言葉にして教えてくれた物語。

訃報

2007-03-21 | 日々の生活
仕事場にお客さんが来ることがあって,用が終わっても,しばらく話していく方もいる。先日来られたAさんは,御年は70を超えていて,一時体調を崩しておられたりもしたのだけど,今はすっかりお元気になっている模様。心配の種だった独身40代の息子さんもご結婚されて,今は一安心というところのようだ。

その方と,同じ事務所の,60になろうかという方が,最近は新聞を読んでも,一番初めに訃報欄を見てしまうと話していた。亡くなった人の年を見てしまうそうな。私も見ないことはないけど,でも,どうも見方が違うみたい。私は,「へぇ~,最近は皆さん長生きで,90を超えている方も多いなぁ。喪主が,元○○って,もう退職されたってことだよね。老老介護だったのかも・・」なんて見ているけど,Aさんたちは,やっぱり70代なんかの方に目がいくようで,自分はあとどのくらいだろうと思うらしい。

今朝,新聞を読んでいると,社会面の訃報欄に,フリーカメラマンの鴨志田穣氏の訃報を見つける。腎臓がんで享年42歳。まだ若い。漫画家西原理恵子の元旦那。喪主は西原さんだった。

毎日新聞の連載漫画,「毎日かあさん」で,離婚した元旦那と復縁して,一緒に生活しているとあったので,なんとかやってるのかなと思っていたけど・・・アル中からは生還したけど,ガンには勝てなかったということか。鴨志田さんのエッセイがウェブに連載されていて,ガンで入院したときのことが綴られていたのだけど,それも途中だったけど,続きは読めないということだ。

西原さんが,鴨志田さんがお酒をやめて療養しているときに(だったと思ったけど),「次に飲むのは,娘の結婚式で・・・」と言ったとあったけど,それも叶わなかったのだな。でも,漫画で見る限りは,最後のほうは家族で一緒に住んでいたようだから,鴨志田さんにとっては幸せだったのだろうと思いたい。

うれしい知らせ

2007-03-20 | 日々の生活
3月も下旬になった。何か,大きな忘れ物をしたような気持ちになる3月。相変わらず慌ただしい日々。高校入試の合格発表があったらしく,テレビのニュースでは,掲示板の前でうれしそうにしている親子連れが写る。去年の今頃は,うちもあんなふうにして喜んでいたなと思い起こす。知り合いの息子さんが,息子と同じ高校を今年受けたので,結果はどうだっただろうと思っているが,こちらからは聞くに聞けず,偶然会った知り合いと,どうだったんだろうね・・と話しているとメールが来た。

「合格しました♪」

良かった良かった。うれしい知らせを聞くと,なんとなくこちらも幸せな気持ちになる。とはいえ,もちろん,ダメだった子もいるのだが,でも,今の自分の選択は,例えそれが自分の意には添わなかったことであったにしても,良き物であったとして進んでいって欲しいなと思う。・・・なかなか,そう思うまでには時間がかかるだろうけど・・・でも,絶望しないで欲しいなと思う。プラスのエネルギーで歩いていって欲しいものだと・・・。

「アルバムの家」女性建築技術者の会 著 など・・・

2007-03-19 | 日々の読書
すべては過去になる・・・。そのときにした選択は,すべてよきもので,そうせざるを得なかったと思うしかないのだろう・・・と思う今日この頃。例えば,あのとき,結婚しないという選択をすればよかったのではないのか,ということを考えても仕方がないということか・・・。そんなことを考える,結婚生活22年を過ぎた私。

昔から,部屋の模様替えをするのが結構好きで,自分の机を得てからは,可能な場所へ,あれこれ移動して,家族からあきれられていたような気がする。自分の机と言っても,それは父親のお下がりで,それでも,ここだけは自分の世界というものがあるということは,今のように自分の個室があるわけでもない私にとっては,とってもうれしいことだった。家で取っていた雑誌に,あれは何と言ったらいいのか,家のカタログではないけど,家の紹介のようなグラビアページがあって,我が家のような田舎の農家ではない,ハイカラな家の様子が写真に写っていた。家の改造紹介みたいなのもあったかもしれない。それを見るのが結構好きで,あれこれと想像して楽しんでいた。

「アルバムの家」(三省堂)は,現在建築関係の仕事をしている女性ばかり33人の,自分が子どものころに住んでいた家の間取りを,その家との思い出と共に描いた本。家の間取りばかりだけど,昭和20年代から50年代の家の間取りなので,公団住宅もあるけど,昔の農家の作りやら,店舗兼住宅,社宅,ツバメの部屋があった家など・・。間取りと共に,そこにはいろいろな人生が詰まっていたのだということがありありと分かる。家族が多くて,自分の個室などなかったこと,昔のトイレの話,狭くても,最低限の物しかなくて,今思えば,シンプルな暮らしをしていたことがよく分かる。そして,そこには家族の団らんと幼いころの思い出があったということが。

間取りの本としては,もう一冊,「間取りの手帖」佐藤和歌子著(リトル・モワ)というのがあるのだけど,これは,ただただ,変な家の間取りが書いてあって,「住んでいる人の顔が見たい」とか,「両隣はいい迷惑」とか,「双子に住んでてほしい」とか,とにかく,見ていてくすっと笑えて,そして,こんな家に住んでいる人が本当にいるのか,と思うような本。実際,いるそうですけど,住んでいる人は,どうもそんなに変なとは思ってないようなのもあって,へぇ~と思いながら見る本。とはいえ,こんな本を作った人も,結構変わっているかも・・と思ってしまう私。

我が家は,マンションだから,我が家の上も下も,間取りは同じ。でも,きっと中へ入ったら,三者三様というか,これが同じ部屋なのか・・と思うんだろうな。うち,ごちゃごちゃだし・・

待つこと

2007-03-15 | 日々の生活
3月も中旬だ。早いものです。最近,朝,旦那を車で職場まで送っていくと,何度かきれいな晴れ着姿のお嬢さんを見掛ける。袴をはいていたり,お母さんとおぼしき人と,晴れ着を着て歩いているのを見ると,ああ,大学か,専門学校か,卒業式かなと思う。今日は,小学校も卒業式だったようで,いよいよ今年度もおしまいか~という気持ちになってくる。年度末なので,仕事のほうは,ちょっとばたばたと忙しいけど,なんとなく春がそこまで来ているようで,気持ちが少しうきうきする。

桜の開花予想は,気象庁が計算ミスをしていたそうで,大幅に遅れるところがあるそうな。まあ,・・・そうだよなぁ・・・あれはいくら暖冬でも早すぎだろう・・という予報のところもあったし。

しかし,計算したから,余りにも早い開花予想でも,「間違いありません」って,言っちゃうのかなぁ・・。まあ,あのころは暖冬で暖かい日が続いたころだったと思うけど,しかし,あんまり早すぎないのか,大丈夫かと思う人はいなかったのかな。計算ミスじゃないかなとか思う人って。

昔は,開花宣言も,桜のつぼみの様子などを見ながら,各地気象台が出していたそうだけど,今は気象庁が一括して出すということで,それも結局は物を見てないのだなぁ・・と,そんなことを思う私。まあ,早めにぼんぼりをつりましたとか,花見弁当の売り出しを早めましたくらいなら,さほど影響はないのかな。どうなんだろう。

旦那の運転免許更新のために,免許センターまで送っていき,そのまま待っていて,また職場に送っていった。待っていた時間は,1時間45分くらい。その間,読みたい本が読めたので,私としては,待っている時間も,さほど苦にはならなかった。そもそも,送っていこうかと言ったのは私だし,とはいえ,旦那は,当然それを言うのを期待していたとは思うんだけど,まあ,このくらいは恩を売っておこうと・・

待っている間,自分の幼いころのことをふっと思い出した。

昔,私が小学校の入学式を翌日に控えた日だったと思う。母が,入学式のために,美容院へ行って,パーマをかけるということになった。父が車で送っていき,私も一緒に付いていった。車で15分くらいの,ちょっとした町にあった美容院。何度か入った記憶はあるけど,昔昔の美容院。それでも,もう40年近くも前だから,そのころは最新の美容院だったのだろう。

あのころのパーマって,ものすごく時間がかかったと思う。おまけに,多分入学式だから,ということで,パーマを掛ける人が多かったのではないのか。まだ,自分の家に,個人の電話などないような時代の田舎に住んでいたので,終わったから迎えに来て,なんて電話をするようなことはなかったと思う。途中,父は一度家に帰ったかもしれないけど,それでも,長い間待っていたという記憶がある。

長い長い間,ずっと待っていた。今思うと,あの短気な父がよく待っていたなと感心する。何をして待っていたんだろう。暗くなって,やっと出てきた母は,パーマのにおいがして,きれいだなと思った記憶はあるのだけど・・・。

「誤読日記」(斎藤美奈子)/「新耳袋」を読む日々

2007-03-02 | 日々の読書
斎藤さんが「たのしい誤読生活のおくり方」として,10の誤読の方法を指南し,「誤読術さえ身につければ,どんな本も無駄にはなりません」として,175冊の新刊書を読んで書かれた週刊誌のコラムをまとめたもの・・・らしい。私は,本体の肝心な本を読まないで,こういう読書の周辺の本を読むのも好きならしい。で,これは連載コラムだったので,全部一気に読まなくても,細切れで読んでも大丈夫。だから,ここ数日,リビングに置いてあって,気が付いたら細切れで読んでは笑っている。私は,日記を読むのも好きだけど(もちろん,だれでもいいというのではないが),これも細切れの時間で読めるからかもしれない・・なんてことを思う。一気本は,今はちょっと手を出しにくくて,それは気分的なものかもしれないけど,自分の中で,今は読んじゃいけないっていう声がしている気がする。

1年前も同じ事を書いていたけど,今日は結婚記念日。娘が21になったので,結婚生活も22年が過ぎたのか。思えば遠くへ来たもんだ。去年の今頃は,息子の高校入試がすぐそこで,親子共々緊張していたし,旦那は月末の引っ越しが決まっていたので,あっちもこっちもで,私としては,体が二つ欲しい~という毎日だったな。今年は,今日は息子の高校の卒業式。毎度の事ながら,月日のたつのは早い物だ。そして,子どもが大きくなるのも,早い物だとつくづく思う。

今朝,付けっぱなしだったテレビで,最近は子どもの成長を形で残すことがはやっているというレポートをやっていた。生まれてきた赤ちゃんの写真を元に,子どもの人形を作るとか,粘土細工のように型どりをして,手や足の成長を石膏のようなもので形にして残すとか。

赤ちゃんを人形にしてかわいい姿を残すって聞いて,なんて恐い・・と思った私は,「新耳袋」の読み過ぎかこの人たちは,この人形を後生大事に取っておくのかとか,夫婦別れとなったとき,これらのものをどうするんだろうとか,余計なことを思ってしまう私。テレビに映る夫婦を見て,「これからも仲良くしなさいよ」ってつい思ってしまった。

で,恐がりのくせをして,つい読んでしまう怪奇本。怪奇本と言ったら,著者に怒られるかな。「新耳袋」木原浩勝・中山市朗著。

昔,1巻目,2巻目を本屋で文庫で買い,読んで恐くなって古本屋に売って,もう絶対に読まないぞと思っていたのに,先日図書館で恩田陸編の耳袋を借りてしまい,それから恐い恐いといいながら,本体の「新耳袋」を数冊借りてしまった。恩田陸編のは,恩田さんが「新耳袋」全10巻を読んで,自分が気に入った話を99話選んだ本。だから,本体の「新耳袋」は,お話としては,99話×10巻。

息子と2人で,恐いね,恐いよな,と言いつつ読む。私は,そういう見る力はなくて,気配も感じないし,実際に見たこともないから,本当に出てきたらとっても恐いと思う。でも,どの巻だったか忘れたけど,おばあちゃんと仲良しだった孫が,おばあちゃんが生きていたときに,死んだら出てくるからと言われてて,で,おばあちゃんが亡くなって,初七日だったか,寝ていたら,おばあちゃんが布団をはがして,「驚いたか」って出てきてくれたんだけど,そのときびっくりしたことがとても悔やまれるってあって,ああ,いい話だなと思ってしまった私。思わず,私もそのときには,だれかのところへ出てびっくりさせてやろうと思ってしまった