考えてみれば,森絵都さんの「いつかパラソルの下で」に出てくる父大海って,思い込みが激しく,ある種純粋で,まっすぐで,直情型というか,客観的に見ると,かなり笑える人物かも・・と,読んだ後,何日もしてから,つらつらと考えている。そりゃ,家族にとっては,偉く迷惑な人物だったろうと思うけど,自分の「暗い血」なんて思いながら五十何年を生きてきたのかと思うと,それだけ見ればかなり変な気がする。
でも,生きていたら,そんなことあるんだろうなぁ・・とも思う。自分では大まじめで,大変なんだろうけど,側で見ていると,ちょっと違うんじゃないのって。佐渡へ渡ってから,従姉妹やら姉やらが語る大海の姿は,なんだかちょっと哀れにも思えてしまうのは,読みが足りないのだろうか。
先日,友人と話をしていた。彼女は元高校理科教師で,現在は専業主婦,たまにボランティアなんだけど,新聞で教師がどのように教育委員会から処分されたかという記事を読んでいたら,ビール工場へ見学に行って試飲ビールを飲んだ教師が処分されていたらしい。状況からすると,多分子供を引率しての見学なんだろうなと思う。別に大酒飲んだわけじゃないだろうに,コップ1杯くらい(かどうかは,分からないんだけど)飲んだのなんて,飲酒運転するというわけでもないだろうに,いいじゃないのって,素人的には思ってしまうのだけど,これはやっぱり現在では許されないことなんだろう。
最近は,教師にしても,世間の風当たりは非常に強い物があるから,大変だろうな・・と思う。自分の子供が教師なんてなったら,心配でいられないだろう。
昔,息子がまだ小学校1年生だったとき,そこは街中で,生徒数が激減している学校だったので,1クラス22人くらいの生徒数だった。教師になって,そろそろ5,6年にはなろうかという若い女性の先生。まあ,いろいろありましたね。今となっては,息子は全然覚えてないと言うのだけど,帰ってきたら,制服のポケットには,ハンカチに包んだ給食の残りご飯があって,それも落としたら怒られたので,仕方がないからハンカチに包んで持って帰ったとか。ほかにも,忘れ物が続いた子がいて,その子に向かって,猿以下だと言ったとか,算数の授業で,みんながあんまり理解できなかったとき,「前にいた学校の子のほうが利口だ」とかなんとか言って,なんでか知らないが子供の話によると,5時間目は先生が教壇で突っ伏して,授業をしなかったとか・・・本当にいろいろとあった。転校したばかりだった我が家は,この学校っていったい・・・と,はっきり言って不信感ばっかりだったなぁ・・・。姉ちゃんは不登校になっちゃったし・・・。
今となっては,一部笑えるところもあるんだけど,そのころは本当に深刻な話・・・と思ったものだ。
ちなみに,息子が一番楽しかったのは,その後,2年生になって転校した小学校の先生。確か,講師だったような気がしたが,若い男の先生で,いっぱい遊んでくれて,息子は1年生のときの抑圧された学校生活から,もう羽目を外しっぱなしで,遊びほうけていた1年間だったなぁあ・・。
母としては,あのときもうちょっと勉強する癖をつけておけば,今はもうちょっと苦労しないですんだかも・・と,ふっと思ったりもするんですけどね。(笑)
でも,生きていたら,そんなことあるんだろうなぁ・・とも思う。自分では大まじめで,大変なんだろうけど,側で見ていると,ちょっと違うんじゃないのって。佐渡へ渡ってから,従姉妹やら姉やらが語る大海の姿は,なんだかちょっと哀れにも思えてしまうのは,読みが足りないのだろうか。
先日,友人と話をしていた。彼女は元高校理科教師で,現在は専業主婦,たまにボランティアなんだけど,新聞で教師がどのように教育委員会から処分されたかという記事を読んでいたら,ビール工場へ見学に行って試飲ビールを飲んだ教師が処分されていたらしい。状況からすると,多分子供を引率しての見学なんだろうなと思う。別に大酒飲んだわけじゃないだろうに,コップ1杯くらい(かどうかは,分からないんだけど)飲んだのなんて,飲酒運転するというわけでもないだろうに,いいじゃないのって,素人的には思ってしまうのだけど,これはやっぱり現在では許されないことなんだろう。
最近は,教師にしても,世間の風当たりは非常に強い物があるから,大変だろうな・・と思う。自分の子供が教師なんてなったら,心配でいられないだろう。
昔,息子がまだ小学校1年生だったとき,そこは街中で,生徒数が激減している学校だったので,1クラス22人くらいの生徒数だった。教師になって,そろそろ5,6年にはなろうかという若い女性の先生。まあ,いろいろありましたね。今となっては,息子は全然覚えてないと言うのだけど,帰ってきたら,制服のポケットには,ハンカチに包んだ給食の残りご飯があって,それも落としたら怒られたので,仕方がないからハンカチに包んで持って帰ったとか。ほかにも,忘れ物が続いた子がいて,その子に向かって,猿以下だと言ったとか,算数の授業で,みんながあんまり理解できなかったとき,「前にいた学校の子のほうが利口だ」とかなんとか言って,なんでか知らないが子供の話によると,5時間目は先生が教壇で突っ伏して,授業をしなかったとか・・・本当にいろいろとあった。転校したばかりだった我が家は,この学校っていったい・・・と,はっきり言って不信感ばっかりだったなぁ・・・。姉ちゃんは不登校になっちゃったし・・・。
今となっては,一部笑えるところもあるんだけど,そのころは本当に深刻な話・・・と思ったものだ。
ちなみに,息子が一番楽しかったのは,その後,2年生になって転校した小学校の先生。確か,講師だったような気がしたが,若い男の先生で,いっぱい遊んでくれて,息子は1年生のときの抑圧された学校生活から,もう羽目を外しっぱなしで,遊びほうけていた1年間だったなぁあ・・。
母としては,あのときもうちょっと勉強する癖をつけておけば,今はもうちょっと苦労しないですんだかも・・と,ふっと思ったりもするんですけどね。(笑)