日,暮らし

明日は明日の風が吹く。

過ぎ去ったものは・・・

2006-11-29 | 日々の生活
最近,立て続けに私と同じ年ぐらいの女性が,1人は難聴のようになって耳鳴りがすると言われ,もう1人は,これは少し鬱のようになって調子が悪いと聞いた。どちらの方も,病院で更年期障害じゃないですかと言われたらしい。耳鳴りがすると言われた方は,数年前は,よくテニスをしていて,お会いしたするときも,よくテニスウェアでさっそうとしていた姿を見ているので,調子が悪くて・・・と聞くと,人ごとではないよなと思ってしまう同年代の私・・・。

取りあえずは,なんとか元気に仕事へ行ったり,スポクラへ行ったりしているので,このまま無理せずぼちぼちといこうと思う私。そのスポクラでは,老若男女,いろいろな方がいる。プールは足に負担がかからないとかで,結構年配の女性も多く見掛ける。で,エアロとかスタジオプログラムには,若い人もたくさんいる。大学生かなと思うような人とか,それよりもうちょっと年上かな?でも,独身よねって感じの人とか(^^;で,更衣室やら風呂で出会うと,本当に若い人って,ぴちぴちだなぁ・・と思う。若いというだけで,きらきらしていて,オーラが出ているような気がする。あの頃の私は,いったいどこへ行ってしまったんでしょう・・というか,それよりも,あんな時代が自分にもあったのでしょうか・・(笑)

そんな若い人の姿に刺激されたかどうか,昨日1週間ぶりに行ったスポクラで頑張ったら,今日はやっぱり筋肉痛になってしまいまった。やっぱり,あの重り,もう一つ軽いのにしておけばよかったかな

「終末のフール」伊坂幸太郎

2006-11-27 | 日々の読書
何も予定が入っていない月曜日。仕事もないし,スポクラも休館日。朝,家族を送り出してから,だらだらと過ごして,気が付いたら昼も過ぎていた。午後から仕事とか,出かける予定があると,なんとなく気ぜわしく,あれこればたばたするのだけど,何もないと思うと,本当に自分はナマケモノだということを実感するテレビも付けないで,のんびりとネットをしたり,友達にメールを書いたりしていて,気が付いたらもう昼を過ぎていた。

先日友達から借りたままで,まだ読んでいなかった伊坂幸太郎「終末のフール」を読む。最後まで一気に読んで,それでまた少し戻っておさらい。8年後,小惑星が地球にぶつかって世界が終わると分かってから5年後のお話。一時的なパニックも,嵐の前に静けさのような静寂状態に戻った仙台の町。見晴らしのいい「ヒルズタウン」のマンションに,今も尚住み続けている人たち。

オビには「最期の瞬間,あなたは何を許しますか」とある。全世界が滅亡すると分かっている時代に,自分は何を信じて生きていけばいいのだろう。これは,例えば不治の病で余命を宣告されるのと,どのぐらい違うのだろう。病での死の宣告は,自分1人だけ死んでいくのだけど,世界の滅亡というのは,一蓮托生というか,みんな死んじゃうんだよな・・・多分。

そういえば,2000年問題が世間を騒がせていたころ,いよいよ年末になるというときに,地下シェルターを作って,そこに食料を備蓄していた人を紹介している番組を見たことがある。あのころは,コンピューターの誤作動で何かが起こり,この世が壊滅的な状況になると信じていた人がいたのだ。信じていた人がいた,というか,何かが起こると思っていた人は,もちろんたくさんいたと思うけど,でも,多くの人は,地下シェルターまで作って生き延びようとはしなかっただけなのかもしれない。いや,生き延びたいとは,もちろん思ったろうけど,地下シェルターなど作れなかったというのが本当なのかな。

あのとき,シェルターを作って,年末年始はこの中で過ごすと言っていた人は,その後どうしただろうと考えることがある。やっぱり,備えあれば憂いなしということで,何もなくてよかったですねと,喜んで終わりだったのだろうか。

世の中,明日のことは何が起こるか分からない。明日のことだけじゃなくて,1時間後,10分後のことだって,分からないのだ。だったら,今できることを自分の出来る範囲でするしかないよなと思うナマケモノだった今日の私・・・。でも,今日一日のこの時間も,私にとっては必要な時間だったのだろうと,自己弁護しながら,さて,晩ご飯の用意でもしようか。

私はどこへ行くのだろう

2006-11-24 | 日々の生活
気分が落ち込んでいるとき,私がいる場所はここではないと思うことがある。ここではないどこか・・・なんか,この先どうなるか分からないで不安になっている若い子みたいだな。じゃあ,本当に要る場所とは,いったいどこなんだと問われても困るのだけど,自分はこの場所,つまり,今の生活が,本当は私はいるべきではない場所なのではないかと考えてしまうということだ。

テレビを見ていたら,北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの映画が上映されたというニュースが流れていた。新潟で連れ去られなければ,横田さんのご一家の運命も,当然今とは全く違っていたということは想像に難くない。私のように,結婚して,子どももいて,インターネットでブログなんてしていたかもしれない。お母さんだって,お孫さんを抱いて,笑っていただろうか。そんな人生ではなくても,少なくとも自分が選んだ人生を送っていたのだろうなと思う。

自分だって,少なくとも,今まで人生の岐路に立ったときには,自分で何かを選んで歩いてきたのではないのかと思うのだけど・・・その選択に自信がないのだ。なんとなく,間違ってここにいるのではないのかという気持ちになってしまう。

本当の自分,なんていうことを口に出すほどの年でもないし,今の自分は,年を経た分,それなりに成長しているとは思う。若いころの自分を思うと,若気の至りなんて言葉,よく言ったものだと赤面することだってある。若いときになんて戻りたいと思わない,あの混沌とした,迷っていた先の見えない時期なんて,二度も戻りたくないという人も多いと思うし,自分もそう思うことがある。あるのだけど,でも,やはりもう一度戻りたいと思うときもあるのだ。

高校生の息子,相変わらず勉強嫌いみたいで,家で勉強している姿を滅多に見たことがない。その息子が,曰く,「中学校1年のときに戻りたいな。そしたら,もっと真面目に勉強するのに」と言った。戻れても,きっと同じだろうと思うけどねで,それを聞いていた賢明な母は言いました。「大学生(あるいは浪人生か)になったら,きっと,高校1年のときに戻りたい,そしたら,まだ間に合うから一生懸命勉強しなって言いたくなると思うよ。だから,そんなこと言わずに,今からでも間に合うから勉強したら」と言いました。

分かってはいるんだけどね・・・。多分

「虹の女神」

2006-11-17 | 映画もまた楽し
見終わった後で,切ない,という言葉が一番あっているような気がした。

上映は本日限り。朝,夕の2回上映。一番小さいスクリーンに,観客は6人しかいなかった。男性が2人と,女性が4人。若い女の子の2人連れがいたのだけど,後の人はみんな1人で来ていた。知らずにはいるというような映画ではないと思うので,多分思うところがあって見ているのだろうと思う。

なくしてしまった後で知る真実。あおいの不器用な態度も,智也の何とも言えない,優柔不断なところも,多分若いころって,あんなところもあったのだろうと思うような,なんというか,思い出の中にいる自分の姿をどこかで重ね合わせているのだろう。過ぎてしまった過去。決して時間は戻らないのだけど,振り返ってみれば,思い出の中にも,確かにそこにはそれがあったのに,気が付かずに通り過ぎていった若い自分。そして,それがもう二度と手に入らなくなってから,その事実に気が付く。なくした物の大きさに・・。

映画館で,近々上映の映画のポスターを見る。「武士の一分」だったか,張ってあったのだけど,その主人公の横顔を見て,「ああ,眞田広之って,こういう映画も,なんだか似合うよな」と見ていた。見ていて・・・・しばらくしてから,あれは木村拓哉と気が付いた。だって・・・横顔,ホント,似てる気がするんですが・・・。

手抜きの言い訳を・・・

2006-11-10 | 日々の生活
転勤で単身赴任から戻ってきてから,旦那の帰りは早い。大抵6時すぎには家に帰ってくるようになった。で,6時を過ぎて帰ってこないときには,飲んでいるということのようだ。先日は,送別会があったのを言ってくれなくて,旦那用の御飯を作っていたのに,帰ってこなかった。で,夜中に帰ってから,「送別会があったって,言っただろう」と言うのである。言ってないよ・・全く。言われてたら,夕食は当然息子バージョンの手抜きになるんだもん(笑)私が忘れるはずがない。

で,今日は花金です(古いな(^^;)。久々にスポクラへ行った私は,なんだか今週の疲れも出て,どよんとしておりましたが,いやいや,旦那が帰ってくるから,御飯を作らねば・・・と思っておりました。おりましたが・・・だらだらしておりまして,気が付いたら6時でした。

旦那は最近,毎日鍋でもいいというので,旦那用,お手抜き鍋コースとなっています。豆腐ときのこと白菜と,で,私が好きなマロニーを入れて,ポン酢やらで食べるんですよ。ラクチン~もちろん,息子用には,肉系のおかずを作るんですけどね。

で,6時を過ぎて,6時半を過ぎても帰ってくる様子がありません。・・・これはもしかして飲み会かな?

しかし,そうならそうで,電話一本してくれたらいいのに・・・ぶつぶつ・・。

取りあえず,息子用の御飯は作らねば・・・。

鼻を骨折した息子。相変わらず新人戦のために練習はしている。気を付けてくれ~と,ただ祈る毎日。息子が鼻の骨を折ったとき,「自分も鼻を折ったことがあるんですが・・」と連絡して来られた部活の顧問。息子曰く,先生は折ってから4か月後に手術をしたから,直らなかったそうだ。そういえば,先生の鼻,少しゆがんでいたかも・・・

息子,骨を折る

2006-11-08 | 子どものこと
この週末,三連休は毎日忙しかった。息子は相変わらず,部活だの模試だのがあったのだけど,私が3日と5日に予定が入っていたので,三連休中,ずっと旦那をほったらかしにするというのもなんなので,4日には朝からずっと旦那と出かけていたら,結局三連休中のんびりとする時間がなくて,連休終わったら,どっと疲れた。しかし,月曜日も,これはお楽しみだったのだけど,手作りみそを作る会があって,そちらにも出ていたり,仕事もあったりしたので,夜になって,疲れた~と言いながら,例のごとく早く帰った旦那と晩ご飯食べながら,晩酌のお相伴をしていた。

ところが,のんびりしていたら学校から電話。息子が,部活が終わって部室へ帰る途中,何かにつまづいた拍子に友達の肩とぶつかって,どうも鼻の骨が折れたらしいという部活の顧問からの連絡。一応大丈夫というので,本人は帰りましたがと。ええ・・・,今日に限って,息子は携帯忘れていったので,どうしよう,お酒飲んじゃったし・・・と言ってたら,息子が帰ってきた。で,やっぱり腫れている。明日にでも・・とは言っていたが,そのまま結局救急外来へ行くことに。(もちろん,タクシーで行きましたが)

レントゲンを撮ったら,やっぱり折れているとのこと。しかし,骨折自体は,そんなにひどいものではなかったので,取りあえず家に帰り,また翌朝,今度は形成外科へ。

で,結局は,腫れが引いたら,鼻を元に戻すような手術をすることになった。とはいえ,30分くらいで終わり,局所麻酔での簡単なものとか。

形成外科の先生は,元気な若い方で,息子に「手術のときに使う器具,見る?」と言って見せてくれたり(なんだか,はさみみたいな,ペンチみたいなものだった),「これは,あくまでも外見上,曲がっているのを直すものなので,腫れが収まったときに,別に直さないでもいいやと思ったら,キャンセルしてもいいよ」なんて言ったりして,フレンドリーな方だった。

夕方,帰ってきた旦那に詳細を話していると・・・ふっと,旦那が,「M(娘)も,あのときに鼻の骨が折れていたのかもしれないな」と

ええ,そうなんですよねぇ・・。私も,実は昨日,レントゲンを撮ったりしていたときに,娘もあのとき折れていたのかもしれないなと思ったんです。

それは,娘がまだ幼稚園くらいのとき,旦那の実家へみんなで帰っていたときのこと。小さかった娘は,はしゃいでまして,ばたばたやっていたわけです。で,ちょうど部屋に入るところに,ほんの少しですが,段差があったんですよね。それで,走ってきた娘がそこにつまづいて,そのまま部屋の中へ飛んでしまったわけです。で,そこには座卓があって,その座卓の縁にそのまんま・・・直撃です

当然,もう大泣きでして,旦那と一緒に,娘を連れて,救急病院へ走りました。で,そこの先生は,結局,大丈夫でしょうということだったんですけど・・。

その後,娘の鼻を見ると,なんとなくぶつかったところがへこんでいるような気がしてなりません。正面からぶつかったからかな,とにかく,鼻血も出なかったとは思うのですが・・・。

息子のかかった先生は,「鼻の骨は,2週間過ぎると,だんだん固まってきて,元のようには直せなくなるので,腫れが引いたら早めにしないといけない」と言ってました。・・・娘はもう,当然手遅れなんですけど・・・。

なんとなく,娘にかわいそうなことをしたなぁ・・という気持ちが残った次第。仕方なかったことなのかもしれませんが・・・。

世間は狭いこと

2006-11-02 | 日々の生活
東京に旦那の転勤で住んでいたとき,デパートへ行っても,公園や遊園地へ子ども連れで行っても,知った人に会うことなどは,滅多になかった。だから,あんな大都会で知った人に偶然会うというのも,運命的と言えばそうかもしれないけど,要は人が多いってことですね。

そんなこんなで,またまた転勤で地方都市へ。何万人人が住んでいても,休みにちょっと出かけようかという場所が,そうそうあるわけでもなし。デパートへ買い物に・・なんて行ったら,そこここで知人に会ったりする。どっちがどうとは言えないけど,少し窮屈に感じたりすることだってある。

住んでいるのはマンションなので,地域のしがらみが・・なんてこともないけれども,何年も住んでいたら,そこそこ根が張ったと感じることもあるよなぁ・・。

旦那さんの転勤で都会から引っ越してこられた方と,偶然知り合いになった。本当に,普通考えたら接点など絶対にない関係なのだけど,それが不思議なご縁といえばそうかもしれない。数箇月,とある活動でご一緒して,そこそこ親しくなっていた。

あるとき,何かの拍子に実家の話になったら・・・まあ,その方の旧姓が私と同じでして,何のことはない,遠い親戚でした。えええ・・・

実家の,もう亡くなった祖父の従姉妹のほうの血筋の方なんですよ。そういや,昔々,まだ戦前のころ,都会へ出た方がいると,何かの話のついでに聞いた気がします。で,その祖父の従姉妹の家は,もちろん地元に残った方もいて,そことは近所ですから,お付き合いはもちろん今でもあるわけで,今の跡取りは,妹の同級生です。もちろん,いい年したおっさんになってますけど・・・。

その方は,もちろん自分の先祖のことですから,いろいろと詳しく知ってはいまして,今でも御両親が墓参りに行かれることもあるとか。なんだか,世間は広いようで狭いのだなと,本当にしみじみと実感した次第・・・

実は,その方は,とても都会的な上品な方だったので,都会の人はやっぱり違うなと・・そんなふうに思っていたがさつな私。で,正直,環境が人を作るということはあるのだなと思ったことも事実。でもって,私と,遠いとはいえ親戚になるということに対して,その方はどう思ったか・・・ちょっと聞くのが怖い気もする