日,暮らし

明日は明日の風が吹く。

本を読むこと

2008-08-29 | 日々の読書
読書は,なまけもののすることだと言ったのは誰だったか・・・以前,昔の哲学者か思想家が言っていたと,どこかで読んだ記憶がある。

うろうろと人のブログを読んでいたら,とあるサイトに,人に本を読めと言っている人は,自分で思考してない人で,人に構って欲しい,人を構いたがる人だと書いてあって,そういう考え方もあるのかと知る,人に本を読めとついつい言いたがる私。自分で考えないで,人の考えを借りてくるということが言いたいのかと思うのだけど,違っているかな。

だれかのブログを読むということでも,読書でもそうだと思うし,ある意味新聞なんかの人生相談もそうだけど,そういうものを読むということは,世の中にはいろいろな考え方があるということを知るということではないのか。つまり,それ以上でも以下でもないということ。共感できる考え方もあるだろうし,全く受け付けない考え方だなと思うこともあると思う。ただ,受け付けない考え方をする場合でも,そういう考え方をするのかと,自分が知るというのは,無駄なことではないと思うし,共感できなくても,世の中にはそんなふうに思う人もいるのかと思えば,それはそれでいいのではないかなと思う。世の中のことに関して,それほど腹が立つこともなくなるかも・・・その人の考え方を変えようとか,余計なことを思わない限りは。

自分で考えることは,それはもちろん大事なことであり,それはいろいろな実体験を通じた上で深くなるのだと思うが,しかし,それが狭い管見にしか過ぎないことだってあると思う。自分の小さな経験が,すべてのことに当てはまることはないし・・・。

娘は小学校のときに不登校を経験して,それからまた学校へ行くようになり,今は大学生だ。なかなか就職が決まらない。とある人と就職についての話をしていたとき,その人は娘が不登校だった過去を知っているので,その経験を生かした就職を考えないのか,と言った。しかし,娘は全く違う分野での就職を目指している。それは現実にはなかなか厳しいので,いまだに就職が決まってない状況ではあるんだけど,しかし,その話を聞いたとき,他人はついそう思ってしまうけれども,それは案外危険なことかもしれないと思った。自分の経験は,たった一つの個人的な経験に過ぎないし,だから役に立つこともあるけれども,そうじゃないことだってある。もちろん,それは人によって違うのだから,すべての場合に当てはまる法則ではないし,というよりは,多分結局のところは,娘がそう希望しないに過ぎないだけのことだけど。

読了:東野圭吾「放課後」
   乱歩賞を受賞したデビュー作ということ。
   これは主人公も自業自得だと,どこか心の隅で思う私がいる。

   島崎今日子「この国で女であるということ」
   母の言葉は重い。10年の歳月,変わった人もいる。
   自分の10年前は,あまり思い出したくない。

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