「高校の成績」「授業態度」「面接」など、基準がわかりにくい制度でマジメな人間を集めるよりも
「ある点数以上の人はどんな人でも来ていいですよ~」という今の制度の方がよっぽど多様性を産みやすく、「個性を尊重」している pic.twitter.com/KxEq6loItu
あんまり疲れていると、かみ砕くように、丁寧に、言い方も考えて返事がだんだんできなくなるんですよねぇ。じゃあ、好きにすれば、と言いそうになって、ぐぐぐ・・・となる。
まあ、だったら自分でなんとかしてと言っても、ことの発端は、私が軽々に引き受けたからであって、見切り発車と言われればそうかもしれないということだな。やれやれ。とはいえ、もう手は離れたので、これ以上うちが内容についてあれこれ言うのもなぁ。。と。
60戸足らずのマンションなのに、廊下で会ったとき、こちらがおはようございますと声をかけても返事もしない人がいるものだなと、旦那とひそひそ話。分譲の人と、賃貸の人と、いろいろな人がいるけれど、それでもここに住んでいると分かっているのに。いろいろと世知辛い世の中になったものだなと。
よく知りもしないで、自分で勝手に奉っておいて、何がいいんだろうかと。対する評価は、100か0かしかないのだろうかと、しばし・・。
#真田丸 は、「人は一度会ったくらいではわからないよ」と感じさせてくれる。
うざかったきりちゃんは、「よく言ってくれたきりちゃん」になり。病弱おこうさんは「かわいいおこうさん」になり。人はこんなに多面なんだ、決めつけたらもったいない、と毎週思う。
苦手な字というのはある。筆跡というか、記憶の中にある蓋をしたい思い出を呼び覚ます。…かなり大げさ。
報道に違和感。稀勢の里の綱取りが面白いのは「ずっと“残念な人”だった大関が“残念な人”を卒業して奇跡を起こすのか」と期待させるからであって、「日本人横綱」を望んでいるからじゃないんだけど。外国から来た力士は、ヒール(敵役)になるために日本語話したり髷を結っているわけじゃないでしょ
母やこの知り合いの話聞いてると「人間は信頼したら全部肯定し理解しなきゃいけない」と思い込み、少しでも否定されてしまうと「裏切られた!信じられない」となってる感じ。その間というか、「ここは肯定するけどここは同意出来ない」が出来ないみたいなんだよね。
で、知り合いにもいるんだけど「丸ごと全肯定」するから些細な違いや否定意見があっても見ぬふりして、でも少しずつ溜まってくからある日溢れて爆発して「丸ごと全否定」に転じたりする。その間に話し合うってのがなかなか出来ないみたいで当人もしんどそうなんだけどどうもならないみたい。
コミュニケーションが苦手な人には「全肯定」「全否定」の2通りでしか意思表示ができないタイプというのがいて、「条件付きで同意」「この部分は引き受けるがこの部分は断る」といった選択肢が取れないので対人調整で不利になるということがあるっぽい
Lineのホンの短い文章のやり取りでも、読み違えて、勝手に怒って、よう解らん。大丈夫なのかと思うわ。
そんなことは分かっている。だから、こちらがよく聞いてから動こうとしているのだから、早くやれとか、せっつくなよということがあった。
その段階で無理なら、仕方がないじゃないか。事前によくわかりもしない段階で、交渉はできないよと何度言ったら。。問い合わせるにも、一応順番とかがあるでしょうに。頭ごなしはどうなのと言っているのに・・ということがあって、割とむっとしている。