【安藤 俊介】「あおり運転」「危険運転」に遭遇しても、絶対やってはいけないこと 「ロードレイジ」から身を守るために
2018年8月8日 12時0分
現代ビジネス
「あおり運転」に殺人罪が適用された
車間距離を全くとらず、前の車両にピッタリと付きまとうベンツ。横を走る車に執拗に幅寄せを続け、衝突寸前の大型トラック。猛スピードでいきなり割り込んできたと思ったら、急停車するプリウス…。
YouTubeで「危険運転」「あおり運転」と検索すると、このようなドライブレコーダーの映像をアップロードした動画が大量にヒットする。目を疑うような乱暴な運転の数々。中には100万再生を超える動画も珍しくない。
こうした危険運転で、ついに国内で初めて殺人罪で起訴されるドライバーが出た。大阪府堺市で7月2日、バイクに乗っていた大学生の高田拓海さん(22歳)に追突し、彼を死なせた、中村精寛被告(40歳)だ。
事件の検証には、中村被告の車両や周囲の車両のドライブレコーダーが使われた。とりわけ不可解に思えるのが、自身の車にもドライブレコーダーが搭載されていたにもかかわらず、中村被告は高田さんをあおり続けた上、最後は時速100km近いスピードで故意に追突したこと、またそれだけでなく、衝突の瞬間「はい、終わり」と不穏な言葉を口走っていた、という事実である。
中村被告は事件時、酒に酔っていたという。詳しい動機はまだ明らかになっていないものの、おそらく高田さんの運転になんらかの恨みを抱いて報復行為に出たのだろう。
ここで問題なのは、酔っていたとはいえ、「なぜ被告は自分の運転が記録されているのに、相手を死に至らしめるような危険運転を行なったのか?」ということだ。
自分の行く手に邪魔な車が現れると威嚇したり、暴言を吐いたりする。追い越されるとムキになって追いかけ、相手の後ろにピタリとつく。ひどいときには、ウインドウを開けて怒鳴るーー。運転中のこのような加害行為や報復行為は、「ロードレイジ(road rage、直訳すると“路上の怒り”)」と呼ばれている。
頭に血がのぼり、まともな判断ができなくなる。「やられたんだから、やり返せ」と思ってしまう。気がつくと、取り返しのつかない事態になっている…こうしたコントロール困難な「怒り」こそが、相次ぐ危険運転やあおり運転の直接的な原因なのである。
写真はイメージです(Photo by iStock)
駅で歩いていて多少人とぶつかったり、行く手を阻まれても(よほどの悪意があるとわからない限りは)、いきなり相手に突っかかっていく人はほとんどいない。なぜ人は、車に乗ると攻撃的になるのか?
それは、車が究極の「匿名の移動空間」であるからだ。
かつては、その気になればナンバーから車の持ち主を特定することもできたが、現在では法規制があるため不可能だ。多少トラブルになっても、走り去って逃げることは難しくない。
ネット上でも、顔が見えないのをいいことに言いたい放題書き込む者は少なくないが、それと同様に、運転中のドライバーは「顔や名前を特定される心配のない安全圏にいる」と錯覚し、ロードレイジを起こしてしまうのである。
ロードレイジと性格は関係がある?
警察庁は今年6月、初めて「あおり運転」の一斉取り締まりを行った。すると、開始からわずか一週間で、1088件も摘発された。
悪質な事件が続発していることを受けて、警察もついに本格的に取り締まりを始めたわけだが、この摘発数を見ると、近年いきなり「あおり運転」が急増したのではなく「これまでは『あおり運転』は犯罪であると認識されていなかっただけ」であることがわかる。
「ロードレイジ」の概念が一般的に知られるようになったのは、1970年代のアメリカと言われている。きっかけとなったのが、巨匠スティーブン・スピルバーグ監督のデビュー作『激突!』(1971年)だ。
主人公はごく普通のセールスマン。小ぶりのセダンで交通量の少ないハイウェイをひとり走っていると、異様にゆっくり走る巨大なトレーラーに出くわす。彼は不審がりつつもトレーラーを追い越すのだが、抜き去った瞬間、なぜかトレーラーは猛スピードで抜き返してくる。そこから、執拗に追ってくる正体不明のトレーラーと主人公の命がけのカーチェイスが始まる…そんな筋書きの映画である。
本作の大ヒットをきっかけに、アメリカでは危険運転を指す言葉として、ロードレイジが人口に膾炙した。以来、車社会のアメリカでは、ロードレイジの加害者に対して裁判所がアンガーマネジメント講座の受講を命令することが珍しくなくなったほか、ロードレイジに関する学術的知見も数多く蓄積されてきた。
その結果判明したのは、「ロードレイジを起こすドライバーには若い男性がやや多い」「走行距離や道路の混み具合も影響しているとみられる」といった一般的傾向がある一方、「ドライバーの性格といった個別要因からは、ロードレイジを起こしやすいかどうかは説明できない」という事実だ。
Photo by iStock
2016年、40年もの長期連載を終えた人気マンガ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(秋本治著)に、本田という白バイ警官が登場する。彼は普段は温厚なのだが、バイクに乗ると性格も顔も言動も一変し、凶暴な一面を見せるというキャラクターだ。
現実世界にも本田のように、ハンドルを握った瞬間に横柄になったり、言葉づかいが荒くなったりするドライバーはいるように感じられる(もっとも、本田は実は元暴走族総長という設定)。その一方で、「自分はそこまで性格が変わるわけじゃないから、大丈夫」と思っている人が大半だろう。
しかし実際には、ロードレイジは性格や人格に起因するものではない。ハンドルを握る人ならば、誰もがいつ陥ってもおかしくない。自分では気づいていなくとも、そもそも車に乗るだけで、人は歩行者として道を歩くときよりもはるかに攻撃的になっているのである。
追い越し、割り込み、クラクション、幅寄せ、ウインカーを出さない、ハザードを出さない…こうした運転を他の車にされると、たとえ客観的には些細なことであっても、ドライバーには「自分への攻撃」や「悪意のある運転」であるように感じられてしまう。
激昂して他の車を追いかけ回すドライバーを「がらが悪い」と揶揄する人もいるが、ちょっとしたきっかけでロードレイジに火がつき、それが連鎖して大きな事故につながるケースは、誰にとっても決して他人事ではないのだ。
ロードレイジに性格は関係ないが、車の大きさや値段、ランクは関係があると言われている。直感的にもわかる通り、高級車であったり、大型車を運転している時のほうがロードレイジに陥りやすい。車の価値や運転のうまい下手を、ドライバーは自分の価値だと錯覚してしまいがちだ。
たとえば通り魔事件の犯人が、ターゲットを「誰でもよかった」と供述することがしばしばあるが、実際には彼らも「本当に誰でもいい」とは考えていない。屈強な男よりも、力の弱い女性や子どもを選んで狙うケースのほうがはるかに多いのがその証拠である。
つまり人は、無意識に周りの人間を値踏みしている。そうした傾向は、運転中にはより顕著になる。相手が軽自動車やバイクであれば何をしても構わない、と考えるドライバーが出てくるのも、残念ながら無理からぬことかもしれない。
「出てこい」と言われたら…
「あおり運転」「危険運転」でトラブルになる事例では、相手がウインドウやドアを開けて怒鳴りつけてきたり、車を停め、降車して「出てこい」などと要求してくることが珍しくない。昨年6月に東名高速で起きた、危険運転を原因とする夫婦の痛ましい死亡事故では、加害者と被害者が車を降りて口論したことも事故の決定的要因となった。
もしロードレイジに巻き込まれてしまった場合、絶対にやってはいけないのは、「車から降りること」だ。特に相手が激怒・激昂している局面ともなれば、当事者同士で話し合っても、まず穏便に済む事はありえない。
たとえ相手がウインドウや車体を触ったり叩いたりし、出てこいと叫んでいても、決して応じてはならない。冷静になって、車に乗ったまま携帯電話で110番通報をすることだ。挑発に乗らず、警察が駆けつけるのを待ち、必要ならばドライブレコーダーの記録を提出するなどして、判断を仰ごう。
これからの時期、帰省や旅行で長時間、長距離を運転するドライバーも多いことだろう。運転中の苛立ちを抑えて、無用なトラブルを招かないために、もっとも重要なのは「急がない」ことだ。
必ず時間に余裕を持って旅程を立てる。それでもやむをえず渋滞に巻き込まれることはある。家族や友人と一緒に出かけるのであれば、前もって「渋滞に巻き込まれたときにやること」を決めておくといい。お気に入りの音楽をかけるのでも、簡単なゲームをするのでも、過度に運転に支障が出ないものなら何でもいい。
そもそも、なんのために帰省や旅行をするのか考えてみると、それは煎じ詰めれば「家族や友人とコミュニケーションが取りたいから」ではないだろうか。そうではなく、目的地に到着することを「ゴール」だと考えてしまうから、不測の事態が起きたり、予定が狂ったりした途端にイライラしてしまう。
大切な人と一緒に過ごすことそのものを旅の目的だと考えれば、わずかかもしれないが、渋滞の不愉快さも和らぐはずである。そのわずかな心構えの違いが、あなたと同乗者の命を守る。
写真はイメージです(Photo by iStock)
前述したように、ロードレイジという概念が昔から定着しているアメリカに比べて、日本では「危険運転・あおり運転は犯罪である」という認識自体が、まだ広く浸透しているとは言いがたい。筆者が代表理事を務める日本アンガーマネジメント協会でも、今年から高速道路のサービスエリアや教習所でブックレットやステッカーを配布するなどの、ロードレイジ撲滅運動に取り組み始めたばかりだ。
お盆休みの間、ロードレイジを原因とする痛ましい事故のニュースを、耳にしなくて済むように願っている。
2018年8月8日 12時0分
現代ビジネス
「あおり運転」に殺人罪が適用された
車間距離を全くとらず、前の車両にピッタリと付きまとうベンツ。横を走る車に執拗に幅寄せを続け、衝突寸前の大型トラック。猛スピードでいきなり割り込んできたと思ったら、急停車するプリウス…。
YouTubeで「危険運転」「あおり運転」と検索すると、このようなドライブレコーダーの映像をアップロードした動画が大量にヒットする。目を疑うような乱暴な運転の数々。中には100万再生を超える動画も珍しくない。
こうした危険運転で、ついに国内で初めて殺人罪で起訴されるドライバーが出た。大阪府堺市で7月2日、バイクに乗っていた大学生の高田拓海さん(22歳)に追突し、彼を死なせた、中村精寛被告(40歳)だ。
事件の検証には、中村被告の車両や周囲の車両のドライブレコーダーが使われた。とりわけ不可解に思えるのが、自身の車にもドライブレコーダーが搭載されていたにもかかわらず、中村被告は高田さんをあおり続けた上、最後は時速100km近いスピードで故意に追突したこと、またそれだけでなく、衝突の瞬間「はい、終わり」と不穏な言葉を口走っていた、という事実である。
中村被告は事件時、酒に酔っていたという。詳しい動機はまだ明らかになっていないものの、おそらく高田さんの運転になんらかの恨みを抱いて報復行為に出たのだろう。
ここで問題なのは、酔っていたとはいえ、「なぜ被告は自分の運転が記録されているのに、相手を死に至らしめるような危険運転を行なったのか?」ということだ。
自分の行く手に邪魔な車が現れると威嚇したり、暴言を吐いたりする。追い越されるとムキになって追いかけ、相手の後ろにピタリとつく。ひどいときには、ウインドウを開けて怒鳴るーー。運転中のこのような加害行為や報復行為は、「ロードレイジ(road rage、直訳すると“路上の怒り”)」と呼ばれている。
頭に血がのぼり、まともな判断ができなくなる。「やられたんだから、やり返せ」と思ってしまう。気がつくと、取り返しのつかない事態になっている…こうしたコントロール困難な「怒り」こそが、相次ぐ危険運転やあおり運転の直接的な原因なのである。
写真はイメージです(Photo by iStock)
駅で歩いていて多少人とぶつかったり、行く手を阻まれても(よほどの悪意があるとわからない限りは)、いきなり相手に突っかかっていく人はほとんどいない。なぜ人は、車に乗ると攻撃的になるのか?
それは、車が究極の「匿名の移動空間」であるからだ。
かつては、その気になればナンバーから車の持ち主を特定することもできたが、現在では法規制があるため不可能だ。多少トラブルになっても、走り去って逃げることは難しくない。
ネット上でも、顔が見えないのをいいことに言いたい放題書き込む者は少なくないが、それと同様に、運転中のドライバーは「顔や名前を特定される心配のない安全圏にいる」と錯覚し、ロードレイジを起こしてしまうのである。
ロードレイジと性格は関係がある?
警察庁は今年6月、初めて「あおり運転」の一斉取り締まりを行った。すると、開始からわずか一週間で、1088件も摘発された。
悪質な事件が続発していることを受けて、警察もついに本格的に取り締まりを始めたわけだが、この摘発数を見ると、近年いきなり「あおり運転」が急増したのではなく「これまでは『あおり運転』は犯罪であると認識されていなかっただけ」であることがわかる。
「ロードレイジ」の概念が一般的に知られるようになったのは、1970年代のアメリカと言われている。きっかけとなったのが、巨匠スティーブン・スピルバーグ監督のデビュー作『激突!』(1971年)だ。
主人公はごく普通のセールスマン。小ぶりのセダンで交通量の少ないハイウェイをひとり走っていると、異様にゆっくり走る巨大なトレーラーに出くわす。彼は不審がりつつもトレーラーを追い越すのだが、抜き去った瞬間、なぜかトレーラーは猛スピードで抜き返してくる。そこから、執拗に追ってくる正体不明のトレーラーと主人公の命がけのカーチェイスが始まる…そんな筋書きの映画である。
本作の大ヒットをきっかけに、アメリカでは危険運転を指す言葉として、ロードレイジが人口に膾炙した。以来、車社会のアメリカでは、ロードレイジの加害者に対して裁判所がアンガーマネジメント講座の受講を命令することが珍しくなくなったほか、ロードレイジに関する学術的知見も数多く蓄積されてきた。
その結果判明したのは、「ロードレイジを起こすドライバーには若い男性がやや多い」「走行距離や道路の混み具合も影響しているとみられる」といった一般的傾向がある一方、「ドライバーの性格といった個別要因からは、ロードレイジを起こしやすいかどうかは説明できない」という事実だ。
Photo by iStock
2016年、40年もの長期連載を終えた人気マンガ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(秋本治著)に、本田という白バイ警官が登場する。彼は普段は温厚なのだが、バイクに乗ると性格も顔も言動も一変し、凶暴な一面を見せるというキャラクターだ。
現実世界にも本田のように、ハンドルを握った瞬間に横柄になったり、言葉づかいが荒くなったりするドライバーはいるように感じられる(もっとも、本田は実は元暴走族総長という設定)。その一方で、「自分はそこまで性格が変わるわけじゃないから、大丈夫」と思っている人が大半だろう。
しかし実際には、ロードレイジは性格や人格に起因するものではない。ハンドルを握る人ならば、誰もがいつ陥ってもおかしくない。自分では気づいていなくとも、そもそも車に乗るだけで、人は歩行者として道を歩くときよりもはるかに攻撃的になっているのである。
追い越し、割り込み、クラクション、幅寄せ、ウインカーを出さない、ハザードを出さない…こうした運転を他の車にされると、たとえ客観的には些細なことであっても、ドライバーには「自分への攻撃」や「悪意のある運転」であるように感じられてしまう。
激昂して他の車を追いかけ回すドライバーを「がらが悪い」と揶揄する人もいるが、ちょっとしたきっかけでロードレイジに火がつき、それが連鎖して大きな事故につながるケースは、誰にとっても決して他人事ではないのだ。
ロードレイジに性格は関係ないが、車の大きさや値段、ランクは関係があると言われている。直感的にもわかる通り、高級車であったり、大型車を運転している時のほうがロードレイジに陥りやすい。車の価値や運転のうまい下手を、ドライバーは自分の価値だと錯覚してしまいがちだ。
たとえば通り魔事件の犯人が、ターゲットを「誰でもよかった」と供述することがしばしばあるが、実際には彼らも「本当に誰でもいい」とは考えていない。屈強な男よりも、力の弱い女性や子どもを選んで狙うケースのほうがはるかに多いのがその証拠である。
つまり人は、無意識に周りの人間を値踏みしている。そうした傾向は、運転中にはより顕著になる。相手が軽自動車やバイクであれば何をしても構わない、と考えるドライバーが出てくるのも、残念ながら無理からぬことかもしれない。
「出てこい」と言われたら…
「あおり運転」「危険運転」でトラブルになる事例では、相手がウインドウやドアを開けて怒鳴りつけてきたり、車を停め、降車して「出てこい」などと要求してくることが珍しくない。昨年6月に東名高速で起きた、危険運転を原因とする夫婦の痛ましい死亡事故では、加害者と被害者が車を降りて口論したことも事故の決定的要因となった。
もしロードレイジに巻き込まれてしまった場合、絶対にやってはいけないのは、「車から降りること」だ。特に相手が激怒・激昂している局面ともなれば、当事者同士で話し合っても、まず穏便に済む事はありえない。
たとえ相手がウインドウや車体を触ったり叩いたりし、出てこいと叫んでいても、決して応じてはならない。冷静になって、車に乗ったまま携帯電話で110番通報をすることだ。挑発に乗らず、警察が駆けつけるのを待ち、必要ならばドライブレコーダーの記録を提出するなどして、判断を仰ごう。
これからの時期、帰省や旅行で長時間、長距離を運転するドライバーも多いことだろう。運転中の苛立ちを抑えて、無用なトラブルを招かないために、もっとも重要なのは「急がない」ことだ。
必ず時間に余裕を持って旅程を立てる。それでもやむをえず渋滞に巻き込まれることはある。家族や友人と一緒に出かけるのであれば、前もって「渋滞に巻き込まれたときにやること」を決めておくといい。お気に入りの音楽をかけるのでも、簡単なゲームをするのでも、過度に運転に支障が出ないものなら何でもいい。
そもそも、なんのために帰省や旅行をするのか考えてみると、それは煎じ詰めれば「家族や友人とコミュニケーションが取りたいから」ではないだろうか。そうではなく、目的地に到着することを「ゴール」だと考えてしまうから、不測の事態が起きたり、予定が狂ったりした途端にイライラしてしまう。
大切な人と一緒に過ごすことそのものを旅の目的だと考えれば、わずかかもしれないが、渋滞の不愉快さも和らぐはずである。そのわずかな心構えの違いが、あなたと同乗者の命を守る。
写真はイメージです(Photo by iStock)
前述したように、ロードレイジという概念が昔から定着しているアメリカに比べて、日本では「危険運転・あおり運転は犯罪である」という認識自体が、まだ広く浸透しているとは言いがたい。筆者が代表理事を務める日本アンガーマネジメント協会でも、今年から高速道路のサービスエリアや教習所でブックレットやステッカーを配布するなどの、ロードレイジ撲滅運動に取り組み始めたばかりだ。
お盆休みの間、ロードレイジを原因とする痛ましい事故のニュースを、耳にしなくて済むように願っている。