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矢沢永吉 トラベリンバス 日本武道館 2002 12 16 ONE MAN

2018-10-21 16:29:17 | 矢沢永吉
矢沢永吉 トラベリンバス 日本武道館 2002 12 16 ONE MAN
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花街の母【金田たつえ】

2018-10-21 16:20:38 | 演歌
花街の母【金田たつえ】
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「消費税10%」で中小企業の大廃業が加速する

2018-10-19 11:30:06 | ニュースまとめ・総合
「消費税10%」で中小企業の大廃業が加速する



2018年10月19日 8時30分

日刊SPA!

― 連載「ニュースディープスロート」<文/江崎道朗> ―

◆消費増税による景気腰折れを防ぐことができるか

「大廃業」時代の到来という言葉を聞いたことがあるだろうか。

 日本は、中小企業の国だ。’14年の時点で国内の企業数は382万社を数えるが、大企業は1万1000社にすぎない。実に380万に及ぶ中小企業がこれまで地方経済を支えてきたのだが、その3分の1にあたる127万社が’25年までに廃業する恐れがあるのだ。

 この「大廃業」は既に始まっていて、今年4月に公表された’18年版『中小企業白書』によれば、’09年から’14年までの5年間に39万社もの中小企業が廃業している(8月1日付日経新聞)。特に建設、製造業、卸売業、小売業、飲食サービス業での廃業が目立つ。企業数が増えているのは、医療・福祉分野ぐらいだ。

 廃業の原因は、「事業に将来性がない」という判断とともに、経営者が高齢化しつつあるなかで「黒字経営だが、適切な後継者が見つからないので廃業せざるを得ない」ケースが多い。

 そして、きたる127万社の「大廃業」によって、約650万人の雇用と約22兆円のGDPが失われるといわれている。そこで政府も事業承継に関わる税負担の軽減などの対策を取っているものの、地方経済を本気で守るつもりはあるのだろうか。というのも、来年10月に予定されている消費増税が、中小企業の「大廃業」を加速させることになるからだ。

◆増税で景気悪化、地方経済も縮小へ

 9月20日、日本自動車工業会の豊田章夫会長(トヨタ自動車社長)は「消費税を3%から5%に引き上げた際は国内需要が101万台ほど減り、二度とそれ以前のレベルに戻っていない」と指摘したうえで、来年の消費増税によって30万台の需要減、経済効果マイナス2兆円、9万人の雇用減に繫がる可能性があると訴えた。

 増税は個人の買い控えを助長する。そして増税による個人消費の縮小と売り上げ減少のなかで、中小企業の大半がさらなる経費節減、つまり自動車の新規購入中止を余儀なくされるのだ。

 買い物をするたびに“罰金”を課す消費税という制度は、個人消費を縮小させてきた。

 しかも、この「消費増税→個人消費の縮小→売り上げ減少→雇用や設備投資の縮小と、中小企業の廃業増加→地方経済の衰退」という悪循環は、自民党の支持基盤を破壊しつつある。自民党のある政治家はこう嘆いた。

「地元で会合をするたびに痛感するが、これまで選挙を支えてくれた地元後援会の幹部、その多くが飲食、建設、運輸など中小企業の経営者で、廃業のため次々に後援会をやめている。来年秋、増税に踏み切ったら一気に底が抜けるかもしれない」

 ちなみに丸の内のある企業から聞いたのだが、廃業予定の中小企業のなかには優秀な技術を持つ製造業もあり、M&A(合併・買収)の対象になっていて、メイド・イン・ジャパンのブランドが欲しい外資、特に中国人からの問い合わせが増えているという。

 来年の統一地方選と参議院選挙を控え、中小企業の大廃業への対策と消費増税が大きな争点になるはずだ。
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仕事は「昔より今のほうが大変」?現代社会に働く人の苦悩「携帯で四六時中、会社と連絡とれるのおかしい」

2018-10-15 16:38:48 | ニュースまとめ・総合
仕事は「昔より今のほうが大変」?現代社会に働く人の苦悩「携帯で四六時中、会社と連絡とれるのおかしい」



2018年10月15日 7時0分

キャリコネニュース

労働者を取り巻く環境は少しずつ変化をしている。たとえば、昔は電卓片手に帳簿の処理を強いられていたのが、今ではパソコン一つでさっさと処理できてしまう。その分空いた時間で、別の仕事に取り組むこともできるので、間違いなく仕事の能率は上がった。

でもその分、時間内にやれる・やるべき仕事量は増えていると思われるので、幸福な変化かどうかはわからない。むしろ、この変化によって仕事は大変になっていると感じる人もいそうだ。先日、2ちゃんねるに『昔の人って絶対仕事楽だったよな』というスレッドを立てた人も、同じような感覚を持っているのだろう。「『昔は大変だったんだぞ』みたいに言うオッサンいるけど、どう考えても今のほうが大変やろ」と書いている。(文:松本ミゾレ)
「効率的になった分、余った時間を潰すための仕事が増えた」

たしかに、昔より煩雑化した仕事は多い。コンビニバイトなんか、タスクはどんどん増えて対応できない人員もいるほどだ。それにサービス残業や過労死などのネガティブなニュースが話題になることも、昔より増えているように思える。実際、スレ主も

「効率的になった結果あまった時間潰すための無駄な仕事が増えた」
「ワイのとこなんかノー残業デーにみんな残業してるわ」

と書いている。

携帯電話によって「四六時中(会社と)連絡がとれるのはおかしい」とも言及している。職種によっては家で休んでいるのに火急の用事で呼び出しを受けることもある。だから彼が「おかしい」と唱えるのも無理はない。

ただ、なんでもかんでも今のほうが大変だと考えるのは、個人的にはどうかなぁという思いがある。だって携帯なんかなくても固定電話はあったし、FAXもあったし、火急の用に備えなければならない職種の人は、家で待機が原則だった。

それに、急な要求に応えなくてはならない仕事は今も昔も数多い。警察、消防、それから僧侶なんかも、急遽出かけるということがしょっちゅうだから、携帯があろうとなかろうと関係ない。
「見積もり手書きとか絶対やりたくない」「教師は今でもブラックだけど昔はもっと酷そう」

僕が「昔は昔で大変だったような気がするなぁ」と思っているのと同じく、このスレッドには似たような考えの意見もいくつか書き込まれている。その中から少しだけ、引用して紹介したい。

「ツールとかシステム整備されてないのはツラいやろ。回路図とか資料手書きやったりするし」
「見積もり手書きとかしてたんだろ。絶対やりたくねえ」
「設計士なんて3日徹夜で図面引かされたとか当たり前だったらしいな。まぁ今でも手書きがCADに変わっただけで徹夜でやらされてるが」
「教師は今でもクソブラックやけど昔はもっとひどそう。クラスの人数多いしパソコンなくて全部手書きやし」

などなど、色んな声がある。どれも納得できる内容だ。

対して反対意見には「昔は出張と言えば現地で一泊だったのに、今は新幹線日帰りで資料作成」といったようなものもあったが、その新幹線が開通したのも昔の人たちが必死で山をくり貫いたおかげ。

交通インフラやダムの建造なんてのは、今は数がだいぶ揃ってきたので頻度も低いが、昔はそこらじゅうでやっていたし、犠牲者も出ていた。それを思うとやっぱり、昔のほうが楽とは、言えないような気がしてしまう。バブル期には「24時間戦えますか」というキャッチフレーズの栄養ドリンクが流行ってたし。徹夜の作業は、内容こそ今と違えど昔から存在していたわけだ。そして、今の超ブラック企業も裸足で逃げ出すような体育会系の職場も、もちろんあった。

まあ、団塊の世代なんかは現代の若者に比べると、就職という一点において、苦労は格段に少なくて済んでいたようだけど。労働はいつの時代も苦痛なもの。仕事は昔も今もきつくて辛い。過去を思って羨むというのは、気持ちを萎えさせるだけだ。
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【尾嶋 誠史】10分で1億円損失…カジノにおぼれた大富豪たちの悲惨 カジノにハマらない人はいない

2018-10-15 16:37:44 | ニュースまとめ・総合
【尾嶋 誠史】10分で1億円損失…カジノにおぼれた大富豪たちの悲惨 カジノにハマらない人はいない



2018年10月14日 10時0分

現代ビジネス

100億を超える負けは日常茶飯事

2011年9月、大手製紙メーカーとして知られる大王製紙の当時の会長、井川意高(もとたか)氏が、自身のグループ企業の子会社から総額約105億円もの多額の資金を不正借り入れしていたことで、日本中のメディアを騒がせました。

彼がそんな多額のお金を必要とした原因は、106億8000万円にものぼったというカジノの負け金を払うためだったことも、大きく話題になりました。この失敗を決定づけた現場は、シンガポールにあるホテル・マリーナベイ・サンズのVIP向けカジノでしたが、以前は日本からアクセスがよいマカオにあるカジノによく足を運んでいたそうです。

しかし、カジノのVIPルームの世界では、100億円を超える負けを作ることなど、日常茶飯事。実際、僕自身も多くの資産を失う人たちを、数多く見てきたのです。

世界No.1の売り上げを誇るマカオのカジノで、6年間エージェントとして働いている尾嶋誠史さんは、その経験を『カジノエージェントが見た天国と地獄』という一冊にまとめた。そこで尾嶋さんは「カジノは観光都市として、富裕層を呼び込むには最適で、日本にカジノを作ることは賛成。しかし一般市民に防御策を取ることが絶対条件」と語る(前回の記事「4兆円カジノ都市・マカオに集う中国『超富裕層』が日本に来る日」に詳しい)。

その理由は、カジノはエンターテインメントとして完成されているが、決して儲けられるものではなく、破綻してきた人も多く見てきたからだという。一体どれほどの例を見聞きしてきたのだろうか――。

勤務するマカオのカジノでの尾嶋さん
カジノにハマらない人はいない

「カジノにハマらない人はいますか?」

そう質問されることがありますが、僕個人の経験からいうと、これまでにそういう人は1人もいませんでした。少なくとも僕自身がアテンドすれば、もれなく全員をカジノにハマらせる自信があります。

カジノには人間の欲望が、すべて詰まっています。

まず、瞬時にして大金を稼ぐことができるという点。

たとえば、1万円を持っている人であれば、たった1日でそのお金を100万円にすることができるのです。バカラの場合、たった2分の1の確率の運だけで、持ち金を100倍近くに変えることができる。これを目の当たりにして、ハマらない人はなかなかいません。

ただ、そうして楽して一瞬の間に稼いだ大金を手にすると、当然人生がおかしくなる人が出てきてしまうもの。それが、大金に慣れている富豪と言ってもそうなのです。

VIPルームのお客様になるには、まず最低でも140万円のデポジットが必要。さらに、ハイリミットでの1ゲームの最低の賭け金は14万円からです。正直、信じられない金額が日々やりとりされているのですが、そこに集う人々のお金の使い方は半端ではありません。

ジャンケットのエージェントとして、僕はこの6年ほどの間、年間300人近いお客様をアテンドしてきました。どのお客様も予算は最低1億円。多ければ年間100億円単位のお金を使って帰るような方々も決して少なくありませんでした。
10分間で1億円を失った大富豪

僕がアテンドしたお客様のなかでも、最短時間でカジノで大金を失った大富豪といえば、おもちゃメーカーを経営していた李さんでしょう。

李さんの年齢はおよそ40代半ば。細身でいつも柔和な笑みを絶やさない、見た目はいたって普通の男性でした。しかし、彼はとにかくカジノが好きで、マカオにやってくると酒よりもゴルフよりも、まずカジノという人でした。そんなわけで、李さんをアテンドするときは、どこにも寄らずにまずホテルへとチェックイン。そして、ホテルに荷物を預けてから、すぐにカジノに繰り出すというのがおきまりのパターンでした。

ある日のこと。

いつものようにホテルのロビーで待つ李さんを残して、僕が彼の代わりにチェックインの手続きをしにいきました。チェックインが終わって、10分後に戻ってみると、どうやら李さんの様子がおかしい。

どこかふてくされたような顔をして、ぶつぶつ文句を言っています。すると、李さんの奥さんが笑いながら「この人、今日もう負けちゃったのよ」と彼の肩を叩くのです。

どうやら詳しく話を聞いてみると、僕がチェックインをしに行っている時間すらも惜しかったのか、待ちきれず、李さんは1人で先にホテルのロビー近くにあったVIP用のカジノルームに行き、そこで大金を賭けたもののいきなり大負けしてしまったとか。

しかも、その金額は1億円……。

僕がチェックインしているたったの10分の間に、なんという早業。

数々のお客様をアテンドしてきましたが、これまでにそんな短時間でそんな大金をギャンブルに突っ込んで負けてしまった人を見たことがなかったので、しばし唖然としてしまいました。

結局、李さんはマカオに3日間滞在していましたが、その間に彼がカジノで負けたお金はなんと30億円ほど。彼と出会ってから数年経ちますが、これ以上の負けっぷりの良いお客様は、まだ見たことがないかもしれません。
6億を稼いだ中国人女性の勝因は

カジノは9割の人が負けて帰る場所。僕自身、長年そう思っていました。僕がアテンドしたなかで、一番大勝ちしたのは、5年前に出会った中国人の女性・張さんでした。

元金100万香港ドル(約1500万円)からギャンブルをはじめ、張さんは、最初の勝負から一向に負けなし。元金を減らすどころか、みるみるお金が増えていきます。

なお、カジノでは、だいたい多くの人は、元金が2倍、3倍になったあたりで気持ちが大きくなるのか、少しずつ賭ける金額が大きくなっていきます。すると、負けたときの損害も大きくなっていくので、せっかく勝ったお金を失ってしまうという負のスパイラルに陥ることも多いのです。

でも、張さんのすごいところは、いつまでたっても変わらず冷静な点。トータルの勝ち金額が元金からおよそ10倍になっても、まったく動じることがなく、同じテーブルについたお友達と世間話をしながら、同じペースでゲームを続けていきました。

朝から休みなしでずっと彼女は勝負を続け、開始から6時間。気が付いたときにはなんと勝ち金が4000万香港ドル、つまり日本円で総額6億円近くに……。1時間でおよそ1億円稼いだ計算でした。

「そろそろいいかもしれないわね。今日は楽しかったわ。アテンドしてくれて、どうもありがとう」

と彼女はにっこりと笑い、お友達と一緒に部屋に引き上げていきました。そして、彼女が「カジノに遊びに行きたい」といったのはその日限り。全部で4日間の滞在ではあったものの、初日以外はカジノに行かず、後はマカオをお友達と観光して、その後、中国に帰って行かれました。

これまでに何百人というお客様をカジノにアテンドしてきましたが、1日で6億円も稼いでいく人というのもなかなか巡り合うことはありません。もしもいたとしても、多くの人はその日の大勝ちが忘れられず、ツキを信じて、翌日、また翌々日もカジノに行って、結局は勝ち負けトントンか、もしくは負けを増やして帰っていくというパターンが大半でした。

張さんのその去り際の美しさには、唖然としたほどです。
「もうやめておきましょう」の助言を無視

僕たちの仕事は、あくまでお客様にカジノを楽しんでもらい、気持ちよくお金を使っていただき、そして、また来ていただくことです。お客様がカジノで破産してしまえば、当然次からは来ていただけなくなってしまいます。

そうならないために、お客様には「ほどほどに遊んで、楽しんでいただく」ことを常に目指しているので、お客様が大負けしそうになったときには横から「もう危ないです」「今日はそろそろやめておきましょう」などとそっと口を出して、クールダウンしてもらうことも多いのです。

半分くらいの人はその言葉を聞いて、「うん、そうだな」と冷静になってくれるのですが、残り半分くらいの方は、「絶対に負けを取り戻すんだ」と言い張って、こちらの言うことを聞いてくれません。

僕の知人のエージェントがアテンドしていた中国人のお金持ち・王さんも、その1人でした。

王さんは中国の建築業に携わる50代後半の会社社長で、いつもニコニコと穏やかな笑みを絶やさない優しい人でした。ギャンブルが大好きで、マカオに来るたびに大金を使っては、「また負けてしまった」と笑いながら帰っていくおおらかな人だったそうです。ただ、これまでは順調だった事業が、いつしかあまりうまくいかなくなったと愚痴をこぼすようになり、王さんの態度は少しずつ変わっていきました。

最後に王さんがマカオを訪れたとき、彼の様子は少し尋常ではありませんでした。

目に落ち着きがなく、ホテルにチェックインするなり、すぐにカジノに行きたがるのです。

「今回は自分の人生がかかっているから」そう口にしながら、VIPルームのなかでも、一番高レートのバカラのテーブルへと向かっていったそうです。

しかし、カジノというのは不思議な場所で、その人自身が「勝ちたい」と焦れば焦るほど、負けやすいもの。王さんが一生懸命になればなるほど、どんどん負けが続いていきます。

気が付いてみれば、すでに王さんが48時間近くバカラテーブルから離れていない状態が続いており、王さんが普段設定している上限金額をとっくに数億円はオーバーしていました。

「さすがにこれはまずいのでは」

そう思った担当エージェントは、「今日はツキが悪いです。一度出直しましょう」と王さんに声をかけました。

ところが、普段ならばおとなしくその言葉を聞き入れてくれる王さんですが、今度ばかりは何度言っても聞き入れてくれません。

「まだ自分はやれる」
「もう少し頑張ればツキが戻ってくる。だから、金を貸せ」

2日間近くぶっ続けでバカラをやっている状態で、当然、体力的にはもちろん気力的にも目に見えて憔悴していたため、どう考えても勝てるわけがありません。

まさに、ギャンブラーハイに陥っている状態で、これ以上ギャンブルを続けていけば、仮に王さんに追加資金を渡したとしても、負けることは必至。ここでお金を渡してしまえば、王さんはさらなる負債を作って、確実に破産するだろう。そう考えた担当エージェントが資金を出し渋っていると、王さんは

「わかった、もうお前には頼まない。俺を1人にしてくれ」

 といって、険しい顔をして、どこかへ立ち去ってしまいました。
「また首吊りが出たらしいよ」

結局、その後、王さんとは連絡がつかないまま。王さんのマカオの滞在日数はあと2日あったものの、彼がVIPルームに再び現れることはありませんでした。滞在していたホテルもその日のうちに荷物を受け取って、チェックアウトしていたようでした。

それから1週間ほどたったころでしょうか。

王さんの担当エージェントが知り合いと雑談しているときに、「そういえば、また首吊りが出たらしい」という噂を耳にしました。

治安のよいマカオでは、事件はほとんどありません。

でも、その半面、残念ながら自殺のニュースは多いです。カジノで負けて、ホテルの部屋で自殺した経営者がいた。カジノで負けて、マカオの海に身を投げた人がいた、など。ここ数年は減少しつつあるものの、以前は、自殺者のニュースを耳にすることは、ごく日常的でした。

そのため、最初に彼自身もその噂を聞いた際は、「また悲しい事件があったんだな」と思うのみで、深く気に留めていなかったそうですが、後日、その自殺者がなんと王さんだったことが判明したのです。

なんでも王さんは、担当のエージェントがアテンドするVIPルームを出た後、そのままほかのジャンケットのエージェントからお金を借り、別のカジノに行ったようでした。カジノでは仮に手持ち資金がなくなったとしても、担保になりそうな資産が確認できれば、いくらでもお金を貸してもらえます。

実際、ジャンケット側は、顧客管理を徹底しているので、そのお客様がどんな車に乗っていて、どんな家に住んでいて、どんな職業の人なのかは、すべて把握しています。そこで、手持ち資金が全部なくなった王さんは、自分が乗っていたフェラーリの権利書とキーを担保にお金を借りたのでした。そして、それでも足りずに、今度は自宅から株券など、あらゆる資産の権利書を担保に、ありったけのお金を借りたものの、やはり負けてしまったようでした。

たった数日間の滞在で、あらゆる資産をはぎ取られてしまった王さん。そのショックは壮絶なものだったでしょう。そして、自分が持ちえるすべての資産をつぎ込んだ末に大負けが決定したその日の朝、そのカジノがあるホテルの一室で、王さんは首を吊っていたそうです。

王さんを担当していたエージェントが後日その話を聞いたときには、「もっとあのときに強く止めておけば」と思い、涙が止まらなかったそうです。僕もその話を聞いて以来、マカオで王さんが亡くなったホテルの前を通るたびに、彼の冥福を祈らざるを得ません。

前回の記事でもお伝えしたように、カジノはお金に余裕のある人の娯楽として、経済効果の高いエンターテインメントになりえます。しかし、余裕がない状態で自分の生活をかけるようになってしまうと、そこには破綻が待っています。

カジノの経済効果は高い、そして、エンターテインメント性も十分にあります。しかし、カジノから一般市民を守る必要があること、このことは、繰り返しお伝えしたいと思います。
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【衝撃事件の核心】捜査情報漏洩、きっかけは残念会

2018-10-15 16:36:37 | ニュースまとめ・総合
【衝撃事件の核心】捜査情報漏洩、きっかけは残念会



2018年10月15日 9時31分

産経新聞


 風俗店に関する捜査情報を漏洩(ろうえい)する見返りに飲食接待を受けたとして大阪府警の警察官と、接待したとして府警OBで行政書士事務所の職員だった男が逮捕された汚職事件。

 捜査の対象となっている風俗店や本格捜査の着手時期といった重要な捜査情報を漏らした警察官2人は、懲戒免職処分となった。10月に大阪地裁で開かれた3人の公判で判明した籠絡の手口は、OBの男が昇任試験に落ちた後輩らを「残念会」名目の飲み会に誘って大阪・北新地のキャバクラで「接待」するというものだった。

昇任試験の「残念会」

 今回の事件で贈賄などの罪に問われたのは、元府警巡査長で、風俗店の許認可申請を代行する行政書士事務所の職員だった阿田(あだ)裕俊被告(33)。加重収賄などの罪に問われたのは、府警曽根崎署生活安全課の元巡査長、篠原渉被告(35)と、府警生活安全特捜隊の元巡査長、小野勇気被告(34)の2人だ。

 起訴状などによると、阿田被告は平成29年9月~今年1月、篠原被告と小野被告に捜査対象の店名や時期を漏らすようそそのかし、大阪市内のキャバクラなどで計約41万6千円相当の接待をしたとされる。

 検察側の冒頭陳述や被告人質問などによると、3人が顔をそろえたのは29年9月15日。昇任試験に落ちた2人のための「残念会」という名目で阿田被告が主催した飲み会だった。

 この席で、阿田被告が「何をやってるの」「どこをやっているの」などと捜査に関する質問を繰り返し、篠原被告が具体的な地名などを挙げて答えるというやりとりがあった。

 会話を聞いていた小野被告は、「(阿田被告が)風俗店側と癒着しているのでは」との疑念を抱いたが、それは一瞬のこと。「尊敬する先輩だから大丈夫だろう」と受け止めた。

 2軒目は阿田被告の誘いで大阪・北新地のキャバクラへ。この日の支払いは全て阿田被告が持った。

捜査情報を漏洩

 「残念会」では、捜査情報を漏らすことはなかった小野被告。ところが、キャバクラ接待から2カ月半後の12月1日、酒席の場で、阿田被告から「いい加減分かってるやろ。当直の時に、捜査書類を見てくれ」と迫られた。阿田被告にこれまでの飲食接待を公にされたら「警察官人生は終わる」との思いが頭をよぎった。

 12月15日の当直勤務の際にも、阿田被告から「見たのか」と電話で催促され、「逃げられない」と観念。捜査対象となっている店の名前や強制捜査の時期を伝えた。さらに、今年1月にも、逮捕予定者の氏名などを教えたという。

 検察側の被告人質問に、小野被告は「(情報漏洩を)してはいけないと分かっていたが、警察官としての地位や家族の生活のことを考えると、逃げられなかった」と振り返り、「はっきり断ればよかった」と後悔を口にした。

 篠原被告も29年9月から12月にかけて、阿田被告に捜査情報を漏らした。

 「仕事ができ、後輩の面倒見がよかった」阿田被告を信用していたといい、「利用されているとは思わなかった」と語った。

「気を許したのかも」

 自身を慕っていた後輩らをそそのかし、捜査情報を得ていた阿田被告。現職の時は押しが強く、後輩の面倒見のよいタイプだったとされる。だが、知人女性とのトラブルが原因で減給の懲戒処分を受け、27年に府警を退職した。

 翌年、風俗店の許認可申請を代行していた行政書士事務所に再就職。元警察官としての捜査経験があり「業者と対等に話せる」という強みを生かして、申請書類の作成や提出といった業務をこなしながら、個人的に無料案内所の経営者の顧問も務めていた。

 行政書士から、顧客に関する警察の捜査状況について情報を集めるよう依頼され、現職の警察官を接待して捜査情報を入手しようと決意したという。

 被告人質問では、「後輩におごって贈賄になるとは思っていなかった。そこまで事が大きくなるとは」と語った阿田被告。2人が捜査情報を漏らした理由を尋ねられると「もともと知っている仲で、僕がいろいろな情報を持っていて、『何でも知っている』と思って気を許したのかもしれない」と答えた。

判決言い渡しは11月

 検察側は論告で、小野、篠原両被告が漏らした捜査情報は「捜査対象の風俗店名や関係者の氏名で、捜査対象者が証拠を隠滅したり逃亡を企てたりするのに役立つ情報」と指摘。情報は阿田被告を通じて捜査対象者に伝わり、強制捜査に踏み切る前に無料案内所が廃止届を出す「弊害もあった」などとして小野被告に懲役2年6月、追徴金約18万円を求刑した。

 篠原被告については「高級キャバクラなどでの接待を期待する自堕落な動機によって、警察への信頼を失墜させた」などとして、懲役2年6月、追徴金約23万円を求刑した。

 贈賄側の阿田被告に対しては「警察の上下関係の厳しさを悪用した」と述べた上で、「行政書士や顧客の依頼に応え、自身の実績を上げようとした犯行」と指弾。懲役2年を求刑した。

 判決はいずれも11月16日に言い渡される。
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【田中 ひかる】社員は猛反発…「生理用ナプキン」で成功を収めた男性起業家の人生 自分の痔にもナプキン

2018-10-15 16:35:37 | ニュースまとめ・総合
【田中 ひかる】社員は猛反発…「生理用ナプキン」で成功を収めた男性起業家の人生 自分の痔にもナプキン



2018年10月15日 11時0分

現代ビジネス


ユニ・チャームの創業者、高原慶一朗氏が、10月3日、老衰のため87歳で死去した。

1961年にアンネ社が発売した“元祖”生理用ナプキンである「アンネナプキン」が女性たちから絶大な支持を得ると、「アンネに続け」とばかりに300社ものナプキンメーカーが誕生した。

そのなかで生き残り、国内シェア1位となったのが、高原氏が率いるユニ・チャームだった(以下、敬称略)。

「のちにはみとれ」

高原慶一朗は、1931(昭和6)年、手すき和紙で有名な愛媛県川之江市(現四国中央市)に生まれた。

祖父が若くして戦病死したため、父は尋常小学校卒業後、地元の紙問屋で丁稚奉公し、苦労しながら一代で国光製紙株式会社を築いた。

高原は小柄だった小学校時代、いじめの対象となった。泣きながら家に帰ることもあったが、母は慰めることはせず、こう言ったという。

「男が泣いて帰ってくるようなみっともないことはするもんやない。こう言い返しい。『のちにはみとれ』と」(1)

ある日、高原は海岸でいじめっ子たちから代わる代わる投げ飛ばされ、口や鼻、耳まで砂が入った。悔しさから思わず出た言葉が「のちにはみとれ」だった。

最初は小声だったが、ガキ大将に「なにを見せてくれるんかいのう」と言われて怒りがこみ上げ、「のちにはみとれ」と大声で何度も繰り返した。

いじめに対する復讐という意味ではなく、人間として大きくなって見返してやるという決意だった。その後、いじめはなくなったが、あだ名が「のちにはみとれ」になった。

父の生き方を見て、起業家を目指した高原は、大阪市立大学商学部に入学。卒論のテーマには、郷里川之江にゆかりのある「紙」を選んだ。

紙には「記録する」「包む」「拭く」の3つの機能があると指摘し、とくに「拭く」は経済の発展とともに成長性があると書いた。

将来、自分が紙の「拭く(吸収する)」機能を生かした会社を起こすことになろうとは、夢にも思っていなかった。
映画館を工場に

高原は、29歳で建築資材を扱う大成化工株式会社を設立。常勤役員4人、社員12人でのスタートだった。

その9ヵ月後にあたる1961年11月、坂井泰子が創業したアンネ社が「アンネナプキン」を発売。新聞に掲載された斬新な広告を目にした高原は、生理用ナプキンに関心を持った。

早速、自宅近くの薬局で「アンネナプキン」を購入し、分解。幾層もの紙を裁断する機械があれば、同様のものが作れると考えた。

同じ頃、高原は日本生産性本部の中小企業新製品開発専門視察団に参加し、全米各地をまわっている。

当時日本にはまだなかった大型スーパーマーケットの店頭に、山のように積まれた生理用品を見て、「こんなに堂々と売るものなのか」とショックを受けた。

生理用ナプキンの発売以前、日本の女性たちはおもに、脱脂綿を使って経血を処置していた。生理は「穢れ」「恥ずべきもの」であり、生理用品は人目に触れてはならないものだった。

高原はアメリカ滞在中に、生理用品をボストンバッグいっぱいに買い込んだ。帰国時には、生理用品事業を始めることを決意していた。

しかし、社員たちからは「生理用品の会社に入った覚えはない」と猛反発を食らった。

川之江の閉鎖した映画館を買い取って工場に改造し、「ポン抜きプレス」で幾層もの紙を同じ形に打ち抜いてみたものの、紙を密着させる技術がなく、試行錯誤を繰り返した。

〔PHOTO〕iStock
「私もしてます」――痔にナプキン

高原は試作品を自宅へ持ち帰り、水に濡らして股間に当てて寝たこともあった。伝説的存在であるアンネ社のPR課長、渡紀彦も、ゴム製の月経帯を穿いて銀座を歩いてみたり、一晩ベッドで寝てみたりしていた。生理用ナプキンの普及に努めたこの2人は、言動に共通点が多い。

ナプキンの製品化を進めつつ、高原は社員の説得に当たった。

みんなの前でこう言った。「気持ちがわからんでもない。しかし、こっちが恥ずかしいと思ったら買う女性はもっと恥ずかしいのと違うか。そんないわれのない社会通念や古い意識を変える時や。女性に生理があるのは当たり前のことや」。自らを奮い立たせる意味もあった。「だから、いっしょに頑張ろうやないか。ナンバーワンになろう」。(2)

1963(昭和38)年、高原を含む7人の社員が、試作品を持って宇高連絡線で本州に渡り、木津川(大阪府)の事務所から山陽と山陰の2チームに分かれて営業を行った。中国地方ではまだ、アンネ社の製品が普及していなかったためである。

各駅停車に乗り、駅に降りては電話帳で周辺の小売店、問屋を調べ、営業して回った。「そんなにいい商品ですか」と尋ねられると、高原は「私も使ってます」と笑顔で答えた。

高原は痔に悩んでおり、ナプキンには痛みを和らげる効果があった。
坂井泰子と高原慶一朗

当時、ナプキン市場はアンネ社の寡占状態だったが、高原は技術的にはすぐに追いつけるという自信があった。

正々堂々とアンネに戦いを挑むために、表敬訪問と同時に図々しくも工場見学を申し出た。社長は私より3歳年下の女性。当時としては珍しい存在で、マスコミからも注目を集め時の人だった。
誤解を恐れずに言わせてもらうと、「女に負けてたまるか」と本気でそう思った。なかなか面会はかなわず、卸問屋業界の賀詞交換会で「四国の田舎者ですがよろしくお願いします」とあいさつした。取引のあった機械メーカーの人に何度もお願いし、その口ぞえでやっと工場も見学できた。清潔な工場に機械が整然と並んでいて川之江の工場とは雲泥の差だった。(3)

「女に負けてたまるか」はいただけないが、「のちにはみとれ」の精神の高原が、すでに成功を収め、「時の人」となっていた坂井泰子に対抗意識を抱いたことは、わからなくもない。

女性の生活を快適にしたいという思いから生理用ナプキンを開発したものの、あまり収益に頓着のなかった坂井泰子、そして起業家として「ナンバーワン」を目指した高原慶一朗の好対照が、生理用ナプキンの発展を軌道に乗せたのである。

スーパーマーケットに卸して大成功

アンネ社に宣戦布告した矢先、高原の父が経営する国光製紙の襖紙の工場が火災に遭ってしまう。

これからの時代、襖紙よりもナプキンのほうが成長を見込めると考えた高原は、父に頼み、火災に遭った工場を生理用品の原紙を製造する工場へと替えた。これにより、原紙の調達から商品化までが一貫して行えるようになった。

発売の翌年(1964年)には、年商1億9200万円(建材部門は1億2400万円)を売り上げ、ナプキンは大成化工の中心事業になった。建材事業も順調だったが、社名が生理用品にはそぐわないため、1965年に生理用品の販売会社「チャーム」を立ち上げた。

現社名の「ユニ・チャーム」となったのは、1974年のことである。「ユニ」には「ユニーク(独特)ユナイテッド(協働)ユニバーサル(国際的)」な会社でありたいという願いが込められている。

チャーム社は、高原のアメリカ視察の経験から、日本で登場しはじめたばかりの大型スーパーマーケットにナプキンを卸した。これが大成功につながった。

「アンネに追いつき、追い越せ」を目標に掲げていた高原は、1971年、ついに売上高でアンネ社を抜き去った。

1973年に起きたオイルショックの際には、トイレットペーパーやティッシュペーパーに加えて生理用品も品薄となったが、チャーム社は必死の増産体制でナプキンの供給に努め、流通、小売業界の信頼を獲得し、シェア拡大につなげることができた。
「3K」を改善し「尊厳」を重んじる

花王が生理用品市場に参入した1978年、ユニ・チャームは初の減収減益となる。

市場の飽和を予見した高原は、ナプキンの開発で培った不織布や吸収体の技術を生かして、使い捨ておむつの製造、販売に乗り出そうとする。当時、使い捨ておむつ市場の9割をP&Gが占めていた。

ユニ・チャームは、P&Gのおむつとの差別化を図るため、日本の布おむつにヒントを得た立体型おむつを製造し、1981年に北陸地方で発売、翌年全国展開した。

すると予想以上の好評を博し、1983にはP&Gのシェアを抜いてしまった。しかし今度は、P&Gが生理用品市場に、花王がおむつ市場に参入、再び減収減益を喫する。

巨大企業と競うためには、品質の向上以外にないと考えた高原は、開発に力を入れた。一年後、ユニ・チャームはギャザーを利用して通気性を高め、厚みはそのままに吸収力を3倍増した(同社比)新製品を発売。爆発的な売れ行きで、増収増益を回復した。

高原の次なる課題は、大人用おむつの開発だった。

赤ちゃんだったら、母親がおしっこやうんちを見て健康状態を確認したり成長の過程を楽しんだりする寛容さがあるが、大人用は切実だ。漏れるとお世話する側の手間が増えてしまう。漏らした本人は自尊心が傷つく。同じ紙おむつだが、現場は趣を異にする。(中略)大人用の開発はビジネスというより使命感と起業家のロマンに近い感覚を持っていた。「下の世話にはなりたくない」という言葉があるように人間の尊厳にかかわるところだ。(4)

こうして1987年、ユニ・チャームは大人用おむつ市場に本格参入を果たす。

その後、おむつの中に重ねて付けることで、おむつの交換回数を減らすことができる「尿取りパッド」、自分で履くことにより身体を動かすことになる「リハビリパンツ」など、介護する側される側、双方をサポートする商品開発を行った。

ユニ・チャーム公式サイトより

「リハビリパンツ」発売の同年、トーヨー衛材株式会社(現リブドゥコーポレーション)も、大人用のパンツ型おむつを発売。

ユニ・チャーム、リブドゥコーポレーション同様、紙産業が盛んな四国に拠点を置く株式会社近澤製紙所も早い時期からナプキン、そして大人用おむつの開発を行ってきた。

また、大人用おむつ専業メーカーに、株式会社光洋がある。これら企業の堅実な活動が、製品を向上させ、介護現場を支えてきた。

今日、環境への配慮から「使い捨て」に対する風当たりが強くなっている。

しかし「人間の尊厳」にかかわる排泄の問題を直視し、「3K(きつい、汚い、臭い)」と言われる介護現場の負担を軽減しようとする大人用おむつの進化は、誰もが望むところではないだろうか。

「拭く(吸収する)」技術で、アンネ社なきあと生理用ナプキンの発展を牽引し、大人用おむつの開発により介護現場に貢献した高原慶一朗。「のちには十分にみせつけた」人生であった。
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火葬の順番待ち「遺体ホテル」…オフィス街にも

2018-10-15 16:33:58 | ニュースまとめ・総合
火葬の順番待ち「遺体ホテル」…オフィス街にも



2018年10月15日 14時14分

読売新聞


 高齢化に伴い、年間130万人以上が亡くなる「多死社会」を迎える中、東京や神奈川などの都市部を中心に、火葬前の遺体を預かる「遺体安置ビジネス」が広がっている。

 火葬場が不足し、火葬までの待機時間が長期化していることが背景にある。

 「マンションの住民や、葬儀をしない人たちの需要が増えてきている」。横浜市のJR新横浜駅近くで、火葬前の遺体を一時的に預かる「遺体ホテル」を運営する葬祭場「ラステル新横浜」の担当者はそう説明する。

 オフィス街にある地上9階建てのビルは、27体の遺体を収容可能。常時、面会を受け付けており、弔問客が来ると、喪主に代わってもてなす。面会室には、室温を5度以下に保った安置室から機械でひつぎが運ばれてくる仕組みだ。冷却装置入りのひつぎを備え付けた個室の面会室もある。

 費用は「1泊」当たり1万2000~2万2000円。「ラステル」は人生の最後に泊まる「ラストホテル」という意味で、担当者は「高齢化社会で需要は今後さらに伸びる」と見込む。同社は、横浜市西区でも遺体ホテルを運営している。
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「屋上で医師と患者が話すのは無理」医療ドラマのありえないシーン「今は事故・自殺防止のため入り口を封鎖している」

2018-10-12 10:58:50 | ニュースまとめ・総合
「屋上で医師と患者が話すのは無理」医療ドラマのありえないシーン「今は事故・自殺防止のため入り口を封鎖している」



2018年10月12日 7時0分

キャリコネニュース

10月3日の『バラいろダンディ』(MX系)では、医師のおおたわ史絵さんが、「医療ドラマの現実ではありえないシーン」をピックアップしツッコミを入れた。

医師や医療関係者、患者が病院の屋上で話すシーンは、「事故・自殺防止もあるので今は上がれない。入り口を封鎖している」ため、非現実的だという。患者を"クランケ"と呼ぶこともなく、おおたわさんは「(クランケと言うのは)大正の先生ですね」と一蹴。かなり古い言い回しのようだ。(文:石川祐介)

「最近は美人な女医が増えている」

医師が「美男美女ばかり」に関しては、「私が医者になった頃は『嘘ばっかりだ』って思った。『美男美女なんていないじゃない』って思った」と振り返る。ただ、「今はそうでもない」と感じているようだ。

「女医さんはパパがドクターでママが美人っていうケースが多い。その遺伝子だから、綺麗な女医が多くなっている。パパに頭が似てて、ママに顔が似てるんじゃない」

男性医師が美人の女性と結婚する割合は不明だが、美人の母親の遺伝子を受け継いだ女性が、父親の職業に憧れて医者を目指す、というパターンは少なくないのかもしれない。

また、外科医が脳手術をしているシーンについても「消化器外科だったり、呼吸器外科だったり、心臓外科だったり、今は細分化されているので」と外科医でも様々な種類があるため、多能工のようなスタイルで手術を担うことはないと話す。

俳優の遠野なぎこさんはこれらの話に関連し、ドラマをやっていておかしいと思うことの1つとして、サスペンスドラマでの「血」の扱い方を挙げた。

「何十回刺していても、今って血を出しちゃいけないんですよ。遺体にこれっぽっちしか血がついていないとか。逆に危ないんじゃないかなって。刺したら返り血もあるし」

これを聞いたおおたわ医師は、遠野さんの意見に同意。「今の子たちは刺しても血が出ないって思ってしまう。(中略)ちょっと怖いなって思います」と話していた。
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大人になって気づいた「意味のない」こと「方向の間違った努力」「後悔。反省はするべき」

2018-10-12 10:57:08 | ニュースまとめ・総合
大人になって気づいた「意味のない」こと「方向の間違った努力」「後悔。反省はするべき」


2018年10月12日 7時0分

キャリコネニュース

人生は壮大な暇つぶしである、という言葉がある。人生って一体何なんだろうと考えたとき、僕は「これだ!このために人は生きている!」みたいな激アツフィーバーな答えをすんなり見出すことはできない。偶然生まれ、成長して老いて死ぬ。これが人生の大まかな流れなので、そんなものに意味を強く求めても、あんまり意味がないように思えるのだ。

そりゃ生きてることは楽しいけど、発端は自分の意思じゃない。自分の意思でスタートさせたわけでもないものに、そこまで愛着も執念も抱けない。(文:松本ミゾレ)
「人生」という身も蓋もない答えも

先日、2ちゃんねるに『大人になって「意味がない」って気付くこと←何が浮かんだ?』というスレッドが立っていた。スレ主はその例をいくつか知りたいようだ。

そんなことして何になるんだろう、これもまた意味がないことの一つだとも思えるが、愚痴ばかり吐いていてもしょうがない。スレッドには大人になって気付く無意味なことについての声がいくつも挙がっていた。

「親切」「方向の間違った努力」「無償の奉仕」「プライド」
「後悔。反省はするべき」

どれもこれも、ぶっちゃけそこまで必要じゃないのに、妙に神格化されているように見受けられる。

方向の間違った努力は、今の時代、そんなものしなくても不自由はない。苦手なことをがむしゃらに努力して頭角を現せば、サクセスストーリーとして持て囃される。でも、苦労して苦労してやっと人並み程度に持っていければ良い方、多くはぱっとしないで終わる。努力そのものが無駄だというつもりはないけれど、徒労に終わりそうな努力に使う気力や時間は、別のことに使ったほうがリターンも大きい。

人生、と答えた人もいる。そうだ。これも実際全く意味がない。この手の質問で僕が考える答えも「人生」だ。人なんて生まれてから死ぬだけ。ただ、人間は社会から完全に隔絶されると生きていけない弱い生き物だから、無理から意味を見出して生きている。それが負担になっている人もいるけど、目的があるからやっていけるという人も、随分多いことだろう。僕の周囲にも結構いる。

でも、若い世代の子とかを見ていると、ここ最近はそれすら持ち合わせていない人も散見されるようになってきた。意味がないことには徹底して向き合わないというのも一つの選択肢。案外彼らは、賢い生き方をしているのかもしれない。
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