さてさて、ニホン国の陰湿で疑惑だらけのケーサツ捜査体制を非難して不審死?した元警察官
黒木昭雄氏の一周忌が参りました。
芝居興行師の座長は、その疑惑追求の遺志を継ぐべく・・ブログ特集(黒木昭雄氏の月命日)を
1年間継続して参りましたが、東大法学部卒の安藤隆春ケーサツ庁長官という妖怪ヤクニンは、
A:民間人をヤクザ地雷原を先導させるが如き「暴力団排除シカト条例」を施行し、更に、
B:「自転車の歩道禁止」なる悪規則を強制して自転車弱者を混雑自動車道路へ追い出したのです。
これらの処置は故黒木昭雄氏であれば、
C:前者はケーカン達の手抜き防犯捜査であり、後者はネズミ取り交通ケーカン達のヒマ潰し規制・・
と断罪するでしょう。 これは「平成の鳥居耀蔵」如き悪政であります。
(A)徳川末期の天保年間、江戸市民を恐怖と困惑、貧困に陥らせたのが幕府御用儒家(東大
法学部に相当)の林大学頭を父に持つ鳥居耀蔵で、南町奉行(都知事に相当)を務めた間は
「マムシ、妖怪」と嫌われました。
彼の犯罪捜査の常套手段は「おとり捜査」で、流入する離村農民(フリーターに相当)を
「人返し令」で規制排除したり、江戸経済の要である「座」を禁止したので、活気が無くなり・
疑心暗鬼の社会となりました。
それ以上に酷いのが安藤マムシ長官の「排除条例」であって、「ケーカンのおとり捜査」でなく
民間人を事前勧告もせずにヤクザ犯罪地雷畑に入らせる手法であります。
この手法には、後から民間人を注意する・公表して信用落とす・・という罰則もありますが、
本当の狙いは「人返し令」の如くに、民間人を犠牲にした犯罪立証で組員を監獄隔離するか、
良くて遠方田舎へ帰らせるか?、悪くて地下社会へ追いやって見えなくする・・というニホン社会が
表向き綺麗になる排除条例なのです。
しかしながら、その犯罪地雷が「中国製」に変わったときに、青龍刀に立ち向かうニホン人は
いるのだろうか? 心配な座長です。
(B)徳川末期でも江戸の治安を守るヤクニンは(与力25人、同心120人)という小人数で
あったのだが、平和憲法違反の「交通戦争」を大声で張り上げてきた平成ニホンでは、
本来の犯罪捜査が出来ないネズミ取り交通ケーカンを大勢力の権益集団としてしまった。
そんなリストラ出来ないケーカン達のヒマ潰しの為に、危険なネズミだと規制してきた車の
前にアリ如き自転車弱者を押し出したのが、安藤マムシ長官である。
名著「ピーターの法則」に従ってヤクニン達は貪欲に規制作りに励む結果、過去にも
「自転車の二人乗り禁止、傘差し片手禁止」など庶民イジメをしてきたのだが、権力に
媚びるJマスコミは毎回・・沈黙してしまうのである。
(C)そんな「鳥居耀蔵如き悪政」に立ち向かったのが、南町奉行・矢部定謙という幕臣である。
彼は、堺・大阪の奉行職を務めて「大塩平八郎」らの意見も聞ける世情に通じた人物であった
ので、水野忠邦、鳥居耀蔵ら高級幕僚の机上施策には反対し続けた。
そんな努力の甲斐もなく、9ヶ月間の奉行在職の後に桑名藩お預けの身となるも、サムラ
イの反骨気概をもって、翌7月初から抗議の絶食を実行し・・・24日に亡くなったのである。
どこか、千葉県の車中で「不審死」した黒木昭雄氏の生き方に似たものを感じるのだ(哀悼)。
黒木昭雄氏の一周忌が参りました。
芝居興行師の座長は、その疑惑追求の遺志を継ぐべく・・ブログ特集(黒木昭雄氏の月命日)を
1年間継続して参りましたが、東大法学部卒の安藤隆春ケーサツ庁長官という妖怪ヤクニンは、
A:民間人をヤクザ地雷原を先導させるが如き「暴力団排除シカト条例」を施行し、更に、
B:「自転車の歩道禁止」なる悪規則を強制して自転車弱者を混雑自動車道路へ追い出したのです。
これらの処置は故黒木昭雄氏であれば、
C:前者はケーカン達の手抜き防犯捜査であり、後者はネズミ取り交通ケーカン達のヒマ潰し規制・・
と断罪するでしょう。 これは「平成の鳥居耀蔵」如き悪政であります。
(A)徳川末期の天保年間、江戸市民を恐怖と困惑、貧困に陥らせたのが幕府御用儒家(東大
法学部に相当)の林大学頭を父に持つ鳥居耀蔵で、南町奉行(都知事に相当)を務めた間は
「マムシ、妖怪」と嫌われました。
彼の犯罪捜査の常套手段は「おとり捜査」で、流入する離村農民(フリーターに相当)を
「人返し令」で規制排除したり、江戸経済の要である「座」を禁止したので、活気が無くなり・
疑心暗鬼の社会となりました。
それ以上に酷いのが安藤マムシ長官の「排除条例」であって、「ケーカンのおとり捜査」でなく
民間人を事前勧告もせずにヤクザ犯罪地雷畑に入らせる手法であります。
この手法には、後から民間人を注意する・公表して信用落とす・・という罰則もありますが、
本当の狙いは「人返し令」の如くに、民間人を犠牲にした犯罪立証で組員を監獄隔離するか、
良くて遠方田舎へ帰らせるか?、悪くて地下社会へ追いやって見えなくする・・というニホン社会が
表向き綺麗になる排除条例なのです。
しかしながら、その犯罪地雷が「中国製」に変わったときに、青龍刀に立ち向かうニホン人は
いるのだろうか? 心配な座長です。
(B)徳川末期でも江戸の治安を守るヤクニンは(与力25人、同心120人)という小人数で
あったのだが、平和憲法違反の「交通戦争」を大声で張り上げてきた平成ニホンでは、
本来の犯罪捜査が出来ないネズミ取り交通ケーカンを大勢力の権益集団としてしまった。
そんなリストラ出来ないケーカン達のヒマ潰しの為に、危険なネズミだと規制してきた車の
前にアリ如き自転車弱者を押し出したのが、安藤マムシ長官である。
名著「ピーターの法則」に従ってヤクニン達は貪欲に規制作りに励む結果、過去にも
「自転車の二人乗り禁止、傘差し片手禁止」など庶民イジメをしてきたのだが、権力に
媚びるJマスコミは毎回・・沈黙してしまうのである。
(C)そんな「鳥居耀蔵如き悪政」に立ち向かったのが、南町奉行・矢部定謙という幕臣である。
彼は、堺・大阪の奉行職を務めて「大塩平八郎」らの意見も聞ける世情に通じた人物であった
ので、水野忠邦、鳥居耀蔵ら高級幕僚の机上施策には反対し続けた。
そんな努力の甲斐もなく、9ヶ月間の奉行在職の後に桑名藩お預けの身となるも、サムラ
イの反骨気概をもって、翌7月初から抗議の絶食を実行し・・・24日に亡くなったのである。
どこか、千葉県の車中で「不審死」した黒木昭雄氏の生き方に似たものを感じるのだ(哀悼)。