志情(しなさき)の海へ

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戦後沖縄演劇の重鎮『真喜志康忠生誕百年記念誌』を手に取られたみなさまへ、註釈と正誤表を付け加えてくだされば幸いです!

2024-06-17 22:26:00 | 琉球・沖縄芸能:組踊・沖縄芝居、他
先週6月8日に国立劇場おきなわ大劇場で開催された記念公演に来られた皆様へ。思いがけない言葉のミスがありました。あってはならないのですが、そのままの状態にするのは文字通り「申し訳ない」と思い、まだ開封していない記念誌には最後のぺージに貼り付ける註釈と正誤表です。
 それをひょっとして、このブログを訪れる方が中におられるかもしれないと思い、こちらに添付しておきます。
 これから記念誌を手に取る方の冊子には縦書きで貼り付けています。記念誌は希望者には一冊、1,000円で販売します。
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  【註釈と訂正】

❶ 「落城」は1958年琉球新報主催の第三回演劇コンクールで入選、真喜志康忠が最高演技賞を受賞している。審査員の評価も高かった。平良 進は「落城」を観て「ときわ座」に入座する決意をしたと話している。さてこの作品は新聞に掲載された筋書では酩酊させた幸地按司を殺した臣下の真壁を真鍋樽がさし殺す結末になっている。しかし審査員の批評を受けて後に真喜志は脚本の最後の場面を修正している。一方紙面で紹介された真鍋樽役は真喜志八重子となっているが、実際の舞台では乳母を演じている。今回の舞台では幸地按司を殺した真壁を3人の臣下が襲い、彼らを打ち取りながらも傷ついた真壁が真鍋樽を求めた時、彼女にとどめを刺される結末である。自らの打掛を真壁にかけてやり、涙する彼女の姿をどう見るか、観客に投げられている。牢から自由になったじちんだ按司と乳母、そして真鍋樽は天の加護に深謝しつつ涙にくれて幕である。冒頭のナレーションで紹介された「女童ぬじんぶんさーに、按司ぬ命助きてぃ、元の御世、取い返ちゃる物語」である。

❷ この記念誌のために知事、那覇市長、沖縄タイムス社長、琉球新報社長や他の皆様に祝辞や寄稿の依頼書をお送りした際、1958年から60余年ぶりの復活時代劇「落城」とご紹介しました。しかし玉城政子さんによると重要な記念公演で再演したとの発言、また高宮城実人さんが見つけてきた新聞を見ると、沖映で上演した真喜志康忠「芸歴40周年記念公演」(1975年、6月18日~22日)の演目の中に「落城」があり、兼城道子が真鍋樽を演じている写真が小さく掲載されている。
 真喜志康忠著『沖縄芝居と共に』の年表は、2002年作成だが、1975年の項目に「執心鐘入」「二童敵討」「花売りの縁」等、組踊の演目は列挙しているが、沖縄芝居の演目は紹介されていない。見落としていることが分かった。ゆえに、初演から60余年ということは事実だが、其の後1975年に再演があったゆえに、およそ50年ぶりの上演になる。しかしなぜ当時の舞台の録音や録画、写真がほとんどないのだろうか。「落城はかたい芝居なので、あまり上演しなかった」と玉城政子さんは語った。組踊の系譜的な作品ゆえに、時代劇としても物語はあまり受け入れられなかったのかもしれない。しかし2004年、国立劇場おきなわが開場、2010年に組踊はユネスコ無形文化遺産の登録がなされ、評価は高まっている。ゆえに21世紀現在、「落城」(一名真鍋樽)は「仇討物」の系譜として、一般観衆の支持を得られるに違いないというのが、率直な考えである。 

訂正 【誤→正】  
  • 2 ページ 目 次  真壁樽 → 真鍋樽   大湾三留 → 三瑠
  • 3 ページ & 15 ~18 ページ真壁樽 → 真鍋樽
  • 17ページ 大会 → 大海
  • 26 ページ 沖縄演劇研究会 → 沖縄芝居研究会
  • 51 ページ 二三八作 → 238作 & 二百三十八作
  • 71 ページ 帰ってこない → 返ってこない   玉城康子  → 友寄康子      
   
 以下は見本です。さらに修正、追記したりしています。                                        *******************************************************************************
                                    


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