志情(しなさき)の海へ

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8月26日-28日は旧盆だが研究棟ごもり!祖霊信仰だね!ところで沖縄は原日本ではない?

2015-08-27 09:40:33 | 日々の記録・備忘録

同じ所にこもっていても日々の時の流れは同じで同じではない。毎朝ベランダにやってくる磯ヒヨドリたちも同じのもいれば、台風のときは雛から孵ったばかりの小さなものもいて上から下界を見下ろす雰囲気である。彼らの世界もまた縄張りがあり、競争原理が働いているのだろか?ひねもすおなじ場所で文献を読み、論稿を前に書き進めたりしているが、蟻の歩みでも前には進んでいるのは確かだ。文献をよむと果てがないようで、時間がいくらあっても足りないようだ。だから枠組みなり「くくり」がなされるのだが、効率的にスマートにできない人間は、時間のおもしに押しつぶされるように歩いているのかもしれないと、思ってしまう。

琉球・おきなわを原日本と捉えようとする思考があり、一方でやはりいわゆる原日本の同化論に組みしない琉球独自の思考がある。同化と異化と再構築(統合)がどうなされているのか?

伊從勉さんの『琉球祭祀社会空間の研究ーカミとヒトの環境学』 はいいね!膨大な研究書だ。
全部を丁寧に読めないが、研究テーマとの関連で一部紐解いて読んだ。もっと前に読んでおくべきだった。原日本沖縄の概念を祭祀空間の場から覆してみせている。倉塚暁子さんの『巫女の文化』を高く評価している。彼女の論にヒントを得て表象の「両性具有」としての琉球古典踊り、特に女性踊りを見据える契機になった。彼女のおなり神や聞得大君就任儀礼について、なるほど、に思えた。王はうない神たち(女神官)によって「守護される存在」である。

日本の古代ヒメ・ヒコ制は痕跡のみ残るが、歴史時代には、日本王権はそれを采女や斎王の制度に局限し、女性組織に祭祀権を与えなかった。それに対し琉球王権は、王権成立の初期にオナリ神信仰を母胎として王府の女神官組織を制度化し、その頂点に王族の聞得大君を置いた。世界史、近世に稀にみる祭政二重体制を維持した。 ←それだけでも日琉同祖論に異論ありのようだ。

伊從さんのまとめ②「琉球の神女はカミとの神婚儀礼がなかった。御新下り儀礼を神婚儀礼と読むのは琉球の巫女文化を読み誤っている」

③「聞得大君就任儀礼は、王国の東方聖地に礼拝し自ら霊力を更新するところに本義があり、男性の王の就任、復活儀礼に伴う聖婚儀礼がない。[略]中国皇帝から属国の王である認証を得る冊封儀礼は政治儀礼であって、象徴的な呪術王として即位する要素がほとんど存在しない。国王が女神官によって守護される存在であるからだ。


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