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『演劇学へのいざない:研究の基礎』 byエリカ・フィッシャー=リヒテ(国書刊行会)のご紹介!

2013-04-26 23:00:55 | 書評

ドイツ文学・美学・演劇研究者によるとても時宜をえた翻訳が登場した。エリカ・フィッシャー=リヒテは、2010年夏、ミュンヘンで近代・近代主義などのテーマの国際学会があった時、彼女の基調講演を拝聴し、感銘を受けた。すでにこのブログでも彼女の『パフォーマンスの美学』The Transformative Power of Performanceという書を紹介した。この『演劇へのいざない』(国書刊行会)は『パフォーマンスの美学』よりも読みやすく、分かりいいと言えるかもしれない。スキャンするように今日届いた書を先ほど読み終えた。重なる部分も多いが、2010年時点でエリカさんが基調講演でも話していた日本の近代演劇への言及につても第7章の「上演における諸文化の編みあわせ」で詳細に論じている。

彼女の視点は西欧と東洋の演劇の交流、インターカルチュラルInterculturalな交流、ローカルとグローバルの関係性に対して、また新たな理論を提示していた。それはinterweavingである。翻訳者は編み合わせと日本語で表示しているが、もっといい言葉の修辞がないだろうか?編む事や織ることでもある。さまざまな糸を織り上げてまた多様な織物、布に仕上げるその一連の行為すべてを織ることの行為に込めているように考えられる。編みあげることも同じだが、おそらくmulticulturalism(多文化主義)ともpluralism(多元主義)とも異なるエリカさん独自の表現としてのinterweaving(Verflechtung)なのだろう。

文化帝国主義的なパフォーマンスへの言及も興味深かった。アメリカ主導である。ローカル&グローバルに対して、グローバルマーケットに対してハイナー=ミュラーの言葉をもってきた。「演劇はまずローカルでなければならず、この前提のもとでのみ真に国際的になりえる」である。沖縄の伝統演劇や現代演劇の今後の展望を考える際にも参考になる発言だ。

[リミナリティーと変容]に関しては「パフォーマンスの美学』が詳しい。一部重複する。境界の可能性と変容。

第7章と第8章諸芸術の上演は間メディア性とハイブリッド化は興味深い。第9章の文化上演は多様な他ジャンルとの関係性が問われる。織り込まれる多様な芸術・文化の新しい面≪織り込まれた美≫はどんなものだろうか?演劇学は学際的にならざるをえない。

俳優は人間の条件の本質とするブレスナーの言葉が取り上げられる。人間はみな演じている。人間の条件そのものが演劇的であるのはその通りで、いくつもの仮面をかぶり役割を演じているゆえに当然だろう。その論は特別新しくはない。

近代化=西欧化ではない、の言辞など、なるほどである。一般に日本では近代化=西洋化の概念が大きい。複数の近代化があり、日本独自の美学的実験だった、との認識はなるほどである。リミナリティーや「第三の空間」も興味深い。ホミ・バーバは読まなければー。西欧がとり込んだアジア演劇があり、アジア演劇がとり込んだ西洋演劇。西洋と東洋のハイブリッド性もありアフリカ中南米の演劇とのハイブリディティーもある。綺麗な多様な糸をどう編みこんでいくか、が問われるのかな?

じっくり読みたい本である。スキャン的コメントでした。是非多くの演劇表象に関心を持っているみなさんに読んでほしい書である!

 


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