志情(しなさき)の海へ

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「100人委員会」は特権階層と、その他下々の者という事かな?⇒「100人の会」への変更がいいね!

2013-04-26 22:44:53 | 沖縄の過去・現在・未来

と、「創造・想像」にかかわる人が、そう言った。ついでに「学者や研究者なんてね」とも言った。一匹オオカミのような表現者の感性をわたしは信頼しよう!ただ知識人層の功罪はいつも関心をもっている。体制内でも外でも同じかもしれない。純粋に物事のありようを見据える眼差しとは何だろう。いかなる特権も否定する姿勢だろうか?にっこりと体制内で微笑む知的権威も信じない、か?そこに満ちた権威の醜さもある。んんん、直感は真実かもしれない。トカゲの本体をスリム化し、しっぽ(末端)を大事にする知性と感性を信じよう。彼も彼女もNEW LIBERALISMの奴隷だったのね。やれやれ!真に弱者への眼差しをもった者たちをリーダーにしょう。

たしかに「100人委員会」とは選ばれた者たちのイメージがする。誰が選んだ100人だろうか?詩人が提案したように「100人の会」なら一人増えて「101人の会」、さらにそれが増えに増えて「100万人の会」へと意思表示できる会になれる。しかし選ばれた「100人委員会」には特権的イメージが付きまとう。そこはいかにも「物事を知っている知識人」のプライドがエコーしている。それでは下々の者(詩人や作家も含めて)は、いっしょに頑張りましょうの気持ちにはなれないと思う。彼らは選ばれなかったのだから、「100人委員会」に組織化される対象でしかないからである。その括りは疎外感をもたらすかもしれない。「100人の会」が「200人の会」になりそして「100万人の会」になる日を目指そう!は、なるほど、いい考えと思った次第である。

有識者とは何だろう?知識がある人たちということなんだ。つまり「沖縄の平和創造と人間の尊厳を求める100人委員会」以外は有識者ではないという括りだね!面白い!ただ4.28を屈辱の日として捉え、沖縄の差別構造やもろもろを深く論じ合い検証する特別委員会なんですね。思うにいわゆる有識者(?)の境界を崩すSNSの空間がまたマルチチュードなんだね。多くのNGOもあるね。いわゆる社会的なラベルを持った有識者はある面、下層化される多くの沖縄の人間を支配する(収奪する)階層でもあるのかもしれない。1879年から日本の中で最貧県である沖縄で恵まれた層ということでもありそうだ。社会通年の中のヒエラルキーの恩恵を生きてきた方々ではなく、同じように4・28を屈辱と思う100人以外の人々は、100人についてこいのスタンスだろうか?10人委員会とか、30人委員会でもいいのだが、括りによる特権化は、「個」としてやはり制度の矛盾や不条理に異を唱えたい人間をまた疎外してしまっているのかもしれないのだろうか?単に組織化の方法論なのだろうか。

多様な組織を構成したらいいと思う。「100人委員会」を特権化させてはいけない多様な個の集合体が必要かもしれない。一人旗の下で大会に参加するのもいいね。たぶんに4・28の県民大会に参加できそうにないが、思いは同じである。幻の美しき故郷を求め続けている。米軍基地(自衛隊基地)のない(幻の)故郷はどのあたりにあるのだろうか?

「100人の会」がいいね!

個人的に「13人の会」でも作ろうかしらー。(笑)

 


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