(40代の頃の大城幸子さん)
大城幸子 プロフィール
おおしろ さちこ(昭和23年12月8日生)
西原町棚原出身
現在甲状腺ガンの手術の後、闘病を続けながら、琉球民謡の作詞・作曲、歌に取り組んでいる。この間子宮癌、腎臓癌、乳癌などをわずらい、十数回のオペを受けながら生きながらえてきたことに感謝しつつ、民謡の作詞・作曲を心の糧にしている。
数年前に7歳年上のつれあい茂を失うが一人娘は結婚し大阪で暮らしている。
琉球民謡の作詞・作曲家大城幸子のデビューは2011年9月。実姉多嘉良和枝作品集のリリースによる。『弾(DAN)』13曲の歌詞・作曲の内6曲は幸子の歌詞であり、もともと独自に作曲した6曲がアレンジされリリースされている。【幸子さんがお話したことである。オリジナルの歌詞と曲も存在する!】歌者としてのデビューは今年秋か来春CDを発行する予定。幸子が作詩・作曲した民謡は現在8作品に及ぶ。
片糸の恋
桜花
夫婦旅(みーとぅたび)
胴頑丈(どうがんじゅう)
あんぐゎー (みやらび)
恋路花(くいじばな)
夢の間の恋路
ネオン通い
幸子は小さい頃から沖縄芝居が好きで芋炊きや幕引きの仕事を手伝ってきた。それゆえに芝居に通じている。また17、8歳から20代にかけて料亭那覇で糸数カメさんの指導を受けながら歌・三線になじみ、雑踊りや古典踊りを踊ってきた。幸子の『海ぬちんぼうら』『カナヨー天川』は人気がある。
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上記は先日の慰問ミニコンサートで紹介したものだが、彼女の作詞は20作品に及び、作曲は10曲ほどで、さらに自分の生まれ島の体験を自分史のように作詞作曲している最中である。彼女の民謡作品に多くのウマンチュが感動するに違いない。
先日、極貧の中で耳も十分に聞こえない中、実母に見捨てられ、祖母と叔母に育てられたことをお話していた。学校にもほとんどいけない中で、祖母カマドさんの信仰が常に身近にあったようだ。障害を乗り越え、荒波を生きてきた幸子さんの人生、戦後沖縄の貧困の中から生き抜いてきた力の「源」に何があったのだろうか。信仰と歌三線が常に彼女の生活に付随していたことがわかる。詳細は、大城幸子のオーラルヒストリーの中で書き進めている現在である。
大城幸子さんの【語り(ウチナーグチ&ヤマトグチ)と歌三線を聞く会】を開催したいと考えています。何時になるだろうか?今、彼女の歌三線に一緒に演奏をしてくださる方を募集しています。琉球民謡に関心を持ち、共に情き歌(なさきうた)を奏でたい方は御連絡ください。彼女は糸数カメさんに可愛がられ、踊りも綺麗な線を見せますね。一番耳が肥えた公設市場のアンマーたちの前で歌いたいですね。