志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

『’72ライダー』と『山猫、ナパーム、ショパン]』の作品を融合した舞台が傑作かな?

2012-06-09 01:29:42 | 沖縄演劇
  (紙面が取り上げる突入場面、40年前、国会議事堂に突っ込んで自死した青年がいた!)

OZEの舞台と批評が大きく取り上げられ評価されている。玉城さんの評を読んで、コヨーテピストルのパクさんの作品を思い出した。復帰子と国会議事堂にバイクで突入した若者!対比は鮮烈、

以下は以前、タイムスに書いたエッセイである。

パク・ファナム、沖縄を鋭く照射 二月二十三日、劇団コヨーテピストル公演「山猫、ナパーム、ショパン」を見た。久しぶりに、沖縄の現状に肉薄する、激しい身体と詩的激情に心が震え、こみ上げる涙で眼鏡が曇った。  現状に肉薄するというには、あまりに現状に乖離する、劇空間と言えるのかもしれなかった。劇の構成もまだ未完成のようにも思えた。しかし、闇を一つのテーマにしたアルテ鳥堀の地下は、ショパンの激しい夜想曲が空間を支配し、米軍基地に突っ込んで自爆死を遂げる者たちの愛と生を観客に突きつけ、出口のない状況に銃口を向けた。  明るい、眩しい亜熱帯の島沖縄は深い闇に沈み、そこに鮮血が散った。ベトナムの森を焼きつくしたナパーム弾はアフガニスタンの国土と人々を焼き殺した最新鋭兵器に重なり、沖縄、東京、大阪、広島を焼き尽くした赤い炎に重なった。  しかし、悪魔の仕業だと、地獄だと形容することさえも、空々しく言葉は虚体のごとく宙を彷徨っているようだ。自ら基地の増設を選択した(そう仕向けられた)沖縄に生きる私たちに、多くの難民や餓死する人々の痛みを心底受け止めることができるのであろうか。  主人公福永武史の身体は激しく燃えた。うめき、叫んだ。基地の聖域で生息している山猫(中村弥生)は本能的に武史の心根を捉えた。闇と闘う演技は熱かった。作・演出パク・ファナムは詩人だ。  昨今の沖縄の現代演劇、例えば「越境者」は薄いスープの味がし、「カフェ・ライカム」は甘いナルシシズムの演技がまだ鼻につく。鋭く沖縄を照射する劇は例えば、坂手洋二の沖縄三部作「海の沸点」「ミルクプラント」「ピカドン・キジムナー」などが挙げられるが、「ないちゃーず」の作者増田静とともにパク・ファナムは目が離せない。 2002年2月28日 沖縄タイムス(夕刊)「島風(しまかじ)」掲載

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パクさんのなかにある詩情、それがOZEに欠けるのかもしれないし、逆にわかりいいOZEの物語の筋がパクさんに欠けるのかもしれない。

しかしOZEは前進を続け、持続的な上演を積み重ねて独自の身体性・感性、ことばを生み出しているのは確かなようだ!復帰、(沖縄へ帰ろう)から40年、雑誌も多様な文化現象も華々しいのだが、誰がシャープに現況を捉えているのか?問われ続ける!

「人類館」を超える現代劇を!


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