沖縄民謡 『恋ぬ花』 Kui_nu_Hana: Flower of Love
八重山民謡の「くいぬ端節」の替え歌で戦前、辻街で人気が高まったのですね!元辻の芸妓が歌ってレコーディングされ、評判になったのですね!
歌詞もいいですね。梅も咲かないのに、毎夜鶯が訪れるなどー。この録画を拝聴すると何と鶯の鳴き声まで収録されて粋です。
ネット上の解説ではたるーさんとか、「レキオ島唄アッチャー」さんとか、うちなーんちゅではなく本土の方々で琉球民謡、島唄にほれ込んだみなさんの解説が素直でストレートに民謡や古典の味わいを語っている印象を持ちます。
びっくりするのは、古典音楽も民謡も、そして琉球舞踊もということになるのですが、琉歌などを根にしているのですが、その琉歌の中の恋の歌が多いということです。恋愛は街方では遊郭にありました。美らジュリと士族層の恋が多く歌われていますね。
琉球の美の象徴は美らジュリだったのです。古典女踊りの美女たち←近代から紅型を身に着けて踊っていますが、女形芸ですね、元は。でも遊郭では美らジュリが踊っていたのですね。ため息がでる美しさ、女らしさ、エロス&タナトスがスイングする空間ですね。王府時代は紅型で琉球舞踊は踊っていないですね。近代からの衣裳です。
写真でみてもあまりに美しいので、男性客がすぐ詰めジュリ(妾)にしたり、後妻に迎えたり、実際近代においては玉の腰にのった美妓たちが結構いたのですね。医者の妻になったり寄留商人の妻になったりしていますね。美に人はひきつけられます。美には身体美も精神美もありますね。肝心の美しさもありますが、遊郭は多くの恋物語を編み出していますね。もちろん美の裏の醜も悲哀もあります。波の上神宮の裏の崖から身を投げた恋人たちがいたのですね。自らに誇りを持っていたがゆえに死を選んだ少女たちもいたのです。
首里王府時代、薩摩在番の現地妻になったのは官選美妓でした。琉球美人の誉れは彼女たちの造形だったのですね。古典女踊り=首里の貴婦人説はどうもです。宜保さんとか矢野さんとか、男性芸能研究者はそう思いたいのでしょうが、どうなんでしょうね?乙樽はフィクショナルな人物です。毅然とした村原の妻は死を怖れない女丈夫で気品がありますね。あの知恵は首里士族の理想の女性でしょうか?